Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

キングダム 見えざる敵

2015年08月16日 02時22分59秒 | 洋画2007年

 ◎キングダム 見えざる敵(2007年 アメリカ 110分)

 原題 The Kingdom

 監督 ピーター・バーグ

 

 ◎やつらを皆殺しにしてやる

 どうやら、この作品で扱われてるサウジアラビアの外国人居住区爆破事件の顛末はモデルになった事件があるようで、1996年6月26日のホバル・タワー爆破事件と2003年5月12日のリヤド居住区爆破事件らしい。まあモデルがあろうがなかろうが想像されるテロリズムの域は出ないものの、撮り方と編集はものすごい。

 ピーター・バーグという人はかなり銃撃戦が好きなようで、根っからのアクション好きなんだね。それにしてもカメラをマルチで徹底的に使いこなし、それを緊迫感をあおるようなカッティングで繋いでみせる腕前はたいしたもんだ。全編が一定のレベルにある臨場感で包まれてて、休む閑がないくらいの仕上がりだ。

 もっとも筋立てはあるようなないような、でもきちんと目配りされたリアリズムが見ていて心地よい。

 ただ、あれだよね、テロによって友達が恋人が殺されればそれがFBIの特別捜査官であっても「やつらを皆殺しにしてやる」というんだろうし、正義の名のもとに復讐されたテロリスト側としてもやっぱりその家族は女子供であっても「仲間がやつらを皆殺しにしてくれる」と聞かされたときには自分のそれに身を捧げるんだっていう決意の眼を見せる。

 復讐の煉瓦積みだよね。

 殺意の連鎖はもう止められないんだよね、とピーター・バーグはいいたいんだろう。

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アース

2015年08月14日 15時02分09秒 | 洋画2007年

 ◇アース(2007年 イギリス、ドイツ 98分)

 原題 Earth

 監督・脚本 アラステア・フォザーギル、マーク・リンフィールド

 

 ◇BBCが5年もかけて撮影したらしい

 なるほど、だからこれだけの映像になってるわけかと納得はするんだけど、ちょっと疑問におもったりするのは、脚本があるというのはどういうことなんだろう?ってことだ。

 たしかにカメラで追っていけば、このクジラやシロクマたちはこれこれこういうふうに生きてきて、これからもそれそれそういうふうに生きていくんだろな~っていう想像はつく。でも、それをわれわれ人間の常識として対象となっている動物たちにはめ込んだところでなにかいいことあるだろうかって話だ。

 そういうところ、ほんと、動物相手のドキュメントは難しいよね。

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さよなら。いつかわかること

2014年11月20日 18時56分01秒 | 洋画2007年

 ◇さよなら。いつかわかること(2007年 アメリカ 85分)

 原題 Grace is Gone

 staff 監督・脚本/ジェームズ・C・ストラウス 製作/ジョン・キューザック、グレイス・ロー、ガルト・ニーダーフォファー、ダニエラ・タプリン・ランドバーグ 撮影/ジャン=ルイ・ボンポワン 美術/スーザン・ブロック 衣装デザイン/ハー・グエン 音楽/クリント・イーストウッド 編曲/カイル・イーストウッド、マイケル・スティーヴンス

 cast ジョン・キューザック シェラン・オキーフ グレイシー・ベドナルジク ダナ・リン・ギルホレー

 

 ◇シカゴからフロリダ

 この頃、主夫って言葉が市民権を得てきたような気がしないでもない。そんなこともないか。一過性のものだったような気もするしね。そもそも男と女の立場の差ってのはいつできたんだろね。男は外で働くものだと威張ってた時代はたしかにあったけど、それは今となっては昔のことで、男は外で働いてりゃいいんだと叩き出される時代もまた今は昔の観がある。かといって主夫が歓迎されるかといえば、そうでもない。女性はやっぱり専業主婦が気楽でいいっておもうものなのかもしれない。

 で、この作品だ。

 ジョン・キューザックは主夫だ。シカゴのホームセンターで働いているものの、ダナ・リン・ギルホレーが陸軍の軍曹で現在イラクに単身赴任しているものだから、家の中の面倒はすべて見なければならない。娘ふたりはまだ幼いし、まったくめんどくさいことこの上ない。そんな中、ダナ・リン・ギルホレーの戦死の報せが届いてくる。けど、ジョン・キューザックはその事実を娘たちには語れず、悲しみを紛らわすようにいきなりフロリダへ旅立つ。キューザックはいつかわかることとはいえダナの死を語れず、毎夜、自宅の留守電に録音されたダナの声を聞くことしかできない。で、イラクへとつながっているフロリダの浜でようやく語るっていうだけの話だ。

 ロードムービーの秀作といってしまえば簡単なんだけど、現代のアメリカの一面を見つめてもいる。そうおもいつつも、家族ってのはいったいどこまで心のつながりがあるんだろうっていう世界共通の投げかけもまた為されてるような気がして、いやまあ、けっこうしみじみ父と娘の旅を眺めちゃったりするんだよね。

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カティンの森

2014年11月09日 00時12分37秒 | 洋画2007年

 ◇カティンの森(2007年 ポーランド 122分)

 原題 Katyn

 staff 原作/アンジェイ・ムラルチク『死後 カティン』 監督/アンジェイ・ワイダ 脚本/アンジェイ・ワイダ、ヴワディスワフ・パシコフスキ、プシェムィスワフ・ノヴァコフスキ 撮影/パヴェウ・エデルマン 美術/マグダレーナ・ディポント 衣裳デザイン/マグダレナ・ビェドジツカ 音楽/クシシュトフ・ペンデレツキ

 cast マヤ・オスタシェフスカ ダヌタ・ステンカ アグニェシュカ・カヴョルスカ アンナ・ラドヴァン

 

 ◇1943年4月13日、カチンの森虐殺事件報道

 たしか歴史の授業では「カチンの森」と習ったような気がする。

 だからぼくはずっとカチンで通してきたから、それに従う。ま、それはともかく、カチンの森で虐殺に遭ったポーランド国軍の将校と兵士らの数は今もってよくわからない。4421人と公式な文書にはあるみたいだけど、それが真実だとはかぎらないし、実際、ソ連が出した射殺命令書の人数はほかの地域のと合わせると25,700人いて、その内21,857人が殺害されたらしい。けど、それは氷山の一角で、戦時中、ロンドンのポーランド亡命政府はソ連に対して約25万人ものポーランド軍兵士と民間人が行方不明だと告げ、その消息を質している。けど、ソ連はまったく知らぬ存ぜぬを通した。ひでえ話もあったもんだ。

 その恐るべき実態のかけらとなったのがカチンの森の虐殺死体発見で、これについてアンジェイ・ワイダが渾身のおもいで撮ったのがこの作品らしい。まあ、ワイダのインタビューとかで父親がカチンの森の犠牲者であったとか、けれど自分が撮ろうとしたのは個人的なものではなくカチンを核にした当時の実際と祖国ポーランドの戦中戦後史なのだというような話は、ここでは書かない。だって、もういろんなところに出てるしね。

 で、映像なんだけど、ひたすら重かった。

 象徴的だったのが主人公の女性ふたり、マヤ・オスタシェフスカとダヌタ・ステンカが国境となってる川の上ですれちがうところだ。マヤは夫に会うためにソ連の支配地域へ、ダヌタは大将となっている夫の消息をたしかめるためにドイツの占領地域へ向かうんだけど、もちろん、移動しているのは彼女らだけじゃなくて、橋の上もたもともそこへ至る道もどこもかしこも難民があふれてる。難民たちはドイツとソ連によって分割された祖国の中を右往左往するだけで結局どこにも行き場がない。こんなめちゃくちゃな話はなく、いったい、当時のナチスやソ連はなにをしたかったのかよくわからない。ソ連の虐殺にいたっては戦勝国という隠れ蓑を着たまま、20世紀の終わりまで秘密にされてきた。マヤとダヌはそれぞれがその秘密を知らぬまま、ひたすら夫の帰りを待つことになる。これが誇り高く描かれてはいるんだけど、いやもう重い。重量級のぐったり感だ。

 ワイダはさすがに上手いな~とおもうところももちろんあった。マヤの夫が手帳にいろいろと書き留めていることで、これが事件の直前まで書き記されているため、手帳の回想というふしぎな視点をもたらしてくれる。それとセーターの使い方が上手で、発掘された死体の中にセーターを着ている兵士が発見されたんだけど、それは夫ではなくセーターの持ち主だということで、夫の消息は未確認とされる。このあたり、伏線もあってよくできてる。

 まあ、なんというか、とにかくリアルに徹してるのはひとりひとりの兵士を処刑していく件りとかもそうで、マヤの曾祖父もまたカチンの犠牲者だったらしいから、スタッフ・キャストともに凄まじい執念をもって撮り上げたんだろうってことはほんとによくわかる。観てる方はけっこう辛いものはあったけどね。

 でも、おもいきり、ちからは入ってた。

 監督となったからには撮らざるをえない映画ってのがあって、ことにワイダはポーランド史と共に映画人生を送ってきたようなものだから、この映画に行きついたのはまったく無理もないし、それだけ堂々とした大作だったことはまちがいない。

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ハーフェズ ペルシャの詩

2014年09月27日 18時50分06秒 | 洋画2007年

 ◇ハーフェズ ペルシャの詩(2007年 イラン、日本 98分)

 原題 Hafez

 staff 監督・脚本・撮影・編集・美術・衣装デザイン/アボルファズル・ジャリリ

    プロデューサー/定井勇二、アボルファズル・ジャリリ

    整音/マスード・ベーナム、ホセイン・アボルセデグ

    録音/メールダド・ダドガリ コーディネーター/ショーレ・ゴルパリアン

    音楽/ヤンチェン・ラモ、アボルファズル・ジャリリ

 cast メヒディ・モラディ 麻生久美子 メヒディ・ネガーバン ハミード・ヘダヤティ

 

 ◇時が止まってしまったようなペルシャ

 アボルファズル・ジャリリという監督は各地で賞をとりながらも、

 同時にいろいろと物議をかもしたりしているらしいんだけど、

 もしかしたらこの作品もまた、

 イスラム教の敬虔な信者たちには容れられないところがあるんだろか?

 無宗教のぼくにはよくわからないので、すなおに映像だけを観ることにした。

 前もって知識として、ハーフェズってなんだって話なんだけど、

 コーランの暗唱者にだけ与えられる称号らしい。

 で、そのハーフェズに任されたのが、偉い宗教者の娘を演じる麻生久美子で、

 彼女は母親がチベット人らしく、実家から帰ってきたばかりでコーランを知らない。

 で、ハーフェズが教えてあげることになったんだけど、

 由来、教師と生徒は心が通い始めると、異性の場合はときとして恋に発展するもので、

 結局、そういうおもいがつのりはじめるんだけど、

 宗教者は自分の弟子と娘を結婚させることになっちゃったもんだから、

 麻生久美子を忘れられないハーフェズは自分の称号を奪われても添い遂げたいと願い、

 鏡の請願の旅に出るんだよね。

 7つの村を回ってそこの処女に鏡を拭いてもらって願いを叶えてあげると、

 自分の願いもまた叶うってやつで、

 これがなかなか艱難辛苦の旅なわけで、

 これが結局はコーランの世界に通じてるんだね、たぶん。

 映画が難解な世界に入り込んでいくのはこのあたりからで、

 麻生久美子の内にある水風砂火を、彼はみずから肉体で体験していき、

 やがてそうしたペルシャの自然を体感して、ある種の悟りを得たかに見えたとき、

 麻生久美子が鏡の上にハーフェズからもらった煉瓦を置き、

 さらには彼女のチャドルがふわりと被さり、リンゴがふたつ転がってくるっていう、

 まるで『小さな恋のメロディ』みたいな世界にぼくらはいざなわれるわけなんだけど、

 いやまあ、これが現代とはちょっとおもえない。

 世界はまだまだいろんな世界があるんだな~と。

 ただ、麻生久美子の出番はちょっと少なすぎる気がしないでもないけど、

 ハーフェズの瞳をとおした映像詩だから、これでいいのかもしれないね。

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私がクマにキレた理由

2014年06月21日 15時54分23秒 | 洋画2007年

 ◇私がクマにキレた理由(2007年 アメリカ 106分)

 原題 The Nanny Diaries

 staff 監督・脚本/シャリ・スプリンガー・バーマン、ロバート・プルチーニ

     撮影/テリー・ステイシー 美術/マーク・リッカー

     衣裳デザイン/マイケル・ウィルキンソン 音楽/マーク・スオッゾ

 cast スカーレット・ヨハンソン クリス・エヴァンス アリシア・キーズ ドナ・マーフィ

 

 ◇子守のねえや

 昔、それなりの家には、ねえやがいた。

 子守をする若い女性のことで、

 ねえやの多くは住み込みで、

 童謡にも歌われてる。

 ところが、このシステムはいつの間にやら日本から無くなった。

 ぼくが知らないだけなのかもしれないんだけど、

 ぼくの知るかぎり、どこの家にもねえやはいない。

 ベビー・シッターすら少なくなってるし、

 事件をひきおこしたりしたベビー・シッターまで出る始末だ。

 ところが、欧米はそうじゃなくて、

 大人が夜出かけるときには、かならず、ベビー・シッターを置く。

 置かないと罰せられる国もあるようで、

 まあ、ぼくとして当たり前だとおもうんだけど、

 ベビー・シッターを頼んで夫婦でお出かけするなんてことは、

 まずもってこの国では聞いたことがない。

 家政婦さんがいる家はあるし、子供の世話もすこしだけ見てくれるけど、

 かといって、この映画のようなナニーがいるかといえば、おもいあたらない。

 ただまあ、このところ、

 洋の東西を問わず、ベビー・シッターの質は低下しているのか、

 あるいは、頼む方も疑り深くなってるのか、

 監視カメラを仕込んでいる家庭も少なくなくなってるらしい。

 だからといって、

 クマに隠しカメラとか仕込まれてたら、そりゃキレるわね~。

 以下、関係ないながら、

 スカーレット・ヨハンソンは、ほんと、ハリウッドで可愛がられてる。

 いったいどこがいいのか、いまひとつよくわからないんだけど、

 子役の時代からすくすくと育っている気がするんだよね~。

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Dr.パルナサスの鏡

2013年11月18日 19時42分27秒 | 洋画2007年

 ◇Dr.パルナサスの鏡(2007年 イギリス、カナダ 124分)

 原題 The Imaginarium of Doctor Parnassus

 staff 監督・美術/テリー・ギリアム

     脚本/テリー・ギリアム チャールズ・マッケオン

     製作/ウィリアム・ヴィンス エイミー・ギリアム

         サミュエル・ハディダ テリー・ギリアム

     撮影/ニコラ・ペコリーニ オリジナル・デザイン/ディヴ・ウォーレン

     衣裳デザイン/モニク・プリュドム 音楽/マイケル・ダナ ジェフ・ダナ

 cast ヒース・レジャー クリストファー・プラマー アンドリュー・ガーフィールド

 

 ◇2007年、ロンドン

 ヒース・レジャーの遺作になってしまったわけだけど、

 ちょっと驚いてしまうのは、テリー・ギリアムの撮り方が功を奏したのか、

 最初から仕組まれていたように、

 ヒースの絶対に必要とされる場面だけが撮り終えられていたことだ。

 もちろん、ヒース自身は、

 欲望を具現化する鏡イマジナリウムの中の自分も、

 すべて演じるつもりだったんだろうけど、おもわぬ効果を生んでる。

 たしかに、

 客の願望を形にしたヒースをジョニー・デップが、

 ヒース自身の願望を形にしたヒースをジュード・ロウが、

 博士クリストファー・プラマーの娘、

 リリー・コールの願望を形にしたヒースをコリン・ファレルが演じるというのは、

 こんなに豪華な配役になっちゃうんだとびっくりすることになるんだから、

 なんだか皮肉な話ではあるけどね。

 ただ、ヒースの友人のこの3人が、

 ギャラはすべてヒースの2歳の娘に捧げたってのは好い話だ。

 ただ、

 この物語の主役は誰になるんだろうっていう素朴な疑問なんだけど、

 そもそもの設定はクリストファー・プラマーだったんだよね?

 博士が悪魔と契約を取り交わしたことから悲劇が生じるわけで、

 さまざまな世界を巡ることとかをおもえば、

 なんだか、文学の世界に足を踏み入れたような感じもなくはない。

 そう『ファウスト』や『新曲』だ。

 このふたつはよくモチーフとして用いられるけど、

 おもってみれば、

 そのまま原作にした映画って見たことないな~。

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スマイルコレクター

2013年10月15日 19時54分28秒 | 洋画2007年

 ◎スマイルコレクター(2007年 フランス 112分)

 原題 LA CHAMBRE DES MORTS

 加題 MELODY'S SMILE CHAMBER OF DEATH

 米題 ROOM OF DEATH

 staff 原作/フランク・ティリエ『死者の部屋』

     監督・脚本/アルフレッド・ロット

     撮影/ジェローム・アルメーラ 美術/ジャン=ピエール・フイエ

     衣裳デザイン/オリヴィエ・ベリオ 音楽/ナサニエル・メカリー

 cast メラニー・ロラン エリック・カラヴァカ ジル・ルルーシュ セリーヌ・サレット

 

 ◎青いテディベア

 メラリー・ロランは『オーケストラ』で注目したんだけど、

 こっちの方が先に出てたんだろうか。

 ともかく、知的な印象があって、とっても好い感じの美人だ。

 飾り気がなくて、さりげなく自然な顔つきってのがいい。

 自分の美しさを知ってる女の人は、

 なにかっていうと必要以上のお洒落をするときがあるけど、

 この役どころが地味な面もあるにせよ、ロランからはそういう無理が感じられない。

 これって、いいよね。

 それはさておき、

 この作品は「2」というキーワードで括られてる。

 前にも別な映画の批評で書いたことだけど、

 双子のシングルマザー、

 死んだ母親の娘2人、

 ひき逃げ犯の2人組、

 誘拐される2人の少女ってのが、そうだ。

 それらの「2」がロランのように決して目立たず、さりげなく組み入れられ、

 過去と現実という、2つの時の流れの中で交差して、

 たったひとつのラストに向かって収斂されていく。

 こういう構成は嫌いじゃないし、どちらかといえば興奮する。

 しかも、

 物語のある種の象徴になってる青いテディベアが、

 ゴミ収集車によって何気なく回収されてゆくカットは、

 重層的ながらもきちんと整頓されている美しさが感じられて、

 とってもいい。

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フィクサー

2013年10月09日 13時13分30秒 | 洋画2007年

 ◇フィクサー(2007年 アメリカ 120分)

 原題 Michael Clayton

 staff 脚本・監督/トニー・ギルロイ

     製作/シドニー・ポラック スティーヴン・サミュエルズ

         ジェニファー・フォックス、ケリー・オレント

     製作総指揮/スティーブン・ソダーバーグ ジョージ・クルーニー

              ジェームズ・A・ホルト アンソニー・ミンゲラ

     撮影/ロバート・エルスウィット 美術/ケヴィン・トンプソン

     衣装/サラ・エドワーズ 音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード

 cast ジョージ・クルーニー ティルダ・スウィントン シドニー・ポラック

 

 ◇4日間のサスペンス

 どうもフィクサーという言葉の印象は、ぼくの場合、黒幕っていう感じが強すぎて、あんまり好きな語感じゃない。だから、しょっぱな、クルーニーの立場がよく見えなかった。あれ?クルーニーって黒幕なんだよね?てな感じで、まるでとんちんかんだった。ただまあ、台詞を聞いている内に、なるほど闇の仕事人って意味かと理解したものの、やっぱりしっくりこない。

 ま、そんなつまらない錯覚はさておき、シドニー・ポラックにしてもジョージ・クルーニーにしても、ふたりとも巨悪に立ち向かうんだけど決して恵まれた環境にはいない主人公が好きらしい。ことに、その巨悪が政治がらみの巨大企業とか公的機関だったりすると、さらに燃えるような印象がある。

 で、今回は巨大な農薬会社だ。

 さらにクルーニーが揉み消し屋として勤務しているのは巨大な法律会社だ。なんだか『ザ・ファーム』の二番煎じみたいな感じがしないでもないが、ふたりが制作に絡んでいることからもわかるように、よほど作りたい主題なんだろう。こういうエコがらみの話だと、ぼくはどうしても日本の高度成長期をおもいだすけど、どうやら、アメリカでは未だにそういう問題が多発しているらしい。もちろん、中国とかでも深刻な問題になってるし、日本だけが顕在化してないんだけど、ほんとはどうなんだろうね?

 でも、クルーニー演じるマイケル・クライトンがいいのは、等身大の人間っていうか、いきなり借金を抱えさせられてどうしようもなくなってるっていう、追い込まれた人間だってことだ。さらに離婚していて、おそらく週一(という説明はないけど)息子の送り迎えをするときだけ会えるという悲しい境遇だ。そういうときについつい手を出してしまうのがギャンブルで、ポーカーですったり儲けたりの繰り返しだ。ベンツはかっこいいけど事務所のリースだから自分のものじゃないし、金に目が眩む人間だと自分でもいう。要するに人生に挫折して自暴自棄になりながら闇の仕事を請け負いながらもやっぱり陽のあたる仕事つまり訴訟担当に戻りたいっていう希望を抱えてたりする。清廉潔白な人間よりもずっと人間臭い。

 こういう脛に傷のあるような人間が、自分のやってる仕事に嫌気がさし、親友の身を呈した行動に背中をおされて戦いに身を投じるっていうのは、ぼくのとっても好きな展開なんだけど、いやまあ、ほんとに地味なんだよね、これが。渋みのある大人のサスペンス映画としては成功なんだろうけど、ね。

 ただ、脚本はすばらしい。なんだか得体の知れないモノローグが始まったかとおもえば、そうじゃなくて、長年の親友といった方がいい同僚からジョージ・クルーニーのところへ入ってきた電話の長台詞だった。これがかぶさりながら、クルーニーの置かれている立場と、これからメインの舞台となるであろう農薬会社の訴訟の裏舞台がそれとなく見せられる。音楽も打楽器が中心で、全体に不気味な印象が漂っているあたり、いやまじで好きな感じだ。

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エディット・ピアフ 愛の讃歌

2013年08月24日 01時47分00秒 | 洋画2007年

 ◎エディット・ピアフ 愛の讃歌(2007年 フランス、チェコ、イギリス 140分)

 仏題 La Mome

 英題 The Passionate Life of Edith Piaf/La Vie En Rose

 staff 監督・脚本/オリヴィエ・ダアン 脚色/オリヴィエ・ダアン イゼベル・ソベルマン

     撮影/永田鉄男 美術/オリヴィエ・ロー 衣裳/マリ・アレン

     音響/ローラン・ゼイリグ パスカル・ヴィアール ジャン=ポール・ユリエ

     音楽/エドゥアー・デュボワ オリジナル曲/クリストファー・ガンニング


 cast マリオン・コティヤール ジェラール・ドパルデュー マルク・バルベ

 

 ◎1963年10月11日、ピアフ、47歳で没

 ぼくは、世の中からおいてきぼりになりそうなほど、音楽に疎い。

 けど、そんな音痴なぼくでも、ピアフくらいは知ってる。

 特徴的なだみ声で、でも、深みのあるビブラード。

 小柄で、

 おそらく幼少期の悲惨さのためなんだろか、

 実際の年齢よりもずいぶんと老けてみえた容姿。

 そして、奔放な性の遍歴まで、なんとなく耳に入ってきたものだ。

 だから、マリオン・コティヤールがマイクの前に立っても、

 聞こえてくるのはもちろん本物のピアフの声だったのは、嬉しかった。

 ただ、それにしても、よくもまあ、あれだけ完璧に、

 ピアフの歌に合わせて歌う演技が出来たもんだ。

 マリオン・コティヤール、すげえ。

 彼女が観客に向かって「愛しなさい」と遺言を語るように言い残す場面なんか、

 まるで、ピアフそのものだった。

 もちろん、ピアフに詳しい人達からすれば、いろいろと不満はあるだろう。

 2度の結婚や、マルセル・セルダンとの恋、

 若手の見出しや、マレーネ・デートリッヒやジャン・コクトーとの友情、

 そりゃもうたくさん、いいたいところのある内容にちがいない。

 でも、それはいわずもがなの話で、

 そういうことを全部知った上で、この映画は作られてるわけだから。

 そんなことより、

 びっくりしたのはセットとカメラワークで、

 すべてのショットは気が利いてて美しいんだけど、

 なんといっても、

 ピアフの家のセットからパンと移動のワンカットで舞台の上に繋がるショットは凄い。

 これには、驚いた。

 アパルトマンでロケをしてると思い込んでいたんだけど、

 もしかしてCGで繋いだりしてないよね?

 ピアフの声はわかったのに、撮り方が自信を持って感じ取れないのは、

 なんとなく、さびしい。

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マイティ・ハート 愛と絆

2013年07月06日 01時30分27秒 | 洋画2007年

 ◎マイティ・ハート 愛と絆(2007年 アメリカ 108分)

 原題 A MIGHTY HEART

 staff 原作/マリアンヌ・パール『マイティ・ハート』

     監督/マイケル・ウィンターボトム 脚本/ジョン・オーロフ

     製作/ブラッド・ピット デデ・ガードナー アンドリュー・イートン

     撮影/マルセル・ザイスキンド 衣裳デザイン/シャーロット・ウォルター

     美術/マーク・ディグビー 音楽/ハリー・エスコット モリー・ナイマン

 cast アンジェリーナ・ジョリー ダン・ファターマン ウィル・パットン デニス・オハラ

 

 ◎2002年、ダニエル・パール誘拐事件

 事件に関する概略はこうなってる。

 ダニエル・パールは、米紙ウォールストリート・ジャーナルの記者で、

 1月23日、カラチでの取材中に誘拐された。

 2月21日、ダニエルの殺害の模様を映したビデオがインターネットで公開され、

 遺体は5月に発見され、アメリカに搬送された。

 そして1か月後、

 アフメッド・オマル・サイード・シャイフ他3人の容疑者が告発され、

 7月15日、パキスタンで有罪判決を受け、シャイフは死刑宣告を受けた。

 そもそも、ダニエルは国際テロ組織アルカイダに関して取材していて、

 誘拐した集団は、

 アメリカが拘束しているテロ容疑者の釈放や、

 パキスタンからの米軍撤退などを要求していた。

 映画は、この事件の被害者ダニエルの妻マリアンヌの手記に基づいて、

 夫の行方を追っていく身重の妻をリアルに描写してる。

 こうした映画は臨場感が命なんだけど、それは充分に観てとれた。

「おや?」

 とおもったのは、彼女が「南妙法蓮華経」の題目を唱えていたことで、

 法華宗にでも入信しているのかなと。

 で、あとで知ったんだけど、

 マリアンヌのミドルネームはサチというらしい。

 幸せのサチって意味なんだろうか。

 まあ、彼女の宗派についてはともかく、

 パキスタンの現状について、なんとなく想像がつくし、

 アメリカが国際社会の中でどのような立場に置かれているのかも、

 おぼろげに見えてくるという意味においては、

 充分に時事性を備えた映画なんだろうな~とおもえるし、

 真に迫った感じはよく出てたんじゃないかしら。

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ブレードランナー ファイナル・カット

2013年06月20日 14時06分21秒 | 洋画2007年

 ☆ブレードランナー ファイナル・カット(2007年 アメリカ 117分)

 原題 Blade Runner: The Final Cut

 staff 原作/フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

     監督/リドリー・スコット

     製作総指揮/ブライアン・ケリー ハンプトン・ファンチャー

     脚本/ハンプトン・ファンチャー デイヴィッド・ピープルズ

     撮影/ジョーダン・クローネンウェス

     美術/ローレンス・G・ポール デイヴィッド・L・スナイダー シド・ミード

     衣裳デザイン/チャールズ・ノッド マイケル・カプラン

     特殊効果/ダグラス・トランブル リチャード・ユーリシッチ デイヴィッド・ドライヤー

     音楽/ヴァンゲリス

 cast ハリソン・フォード ルトガー・ハウアー ショーン・ヤング ジョアンナ・キャシディ

 

 ☆レプリカントは一角獣の夢を見たか?

 この映画がどれだけ面白くて、どれだけ物凄くて、

 撮影されるのにどれだけ苦労して、どんな裏話があったのかとかいう、

 数え切れないくらいのいろいろなことは、あえて書き留めておくこともない。

 要は、また観ればいいんだから。

 1982年、初めてこの映画を観た。

 当時は、

 ハリソン・フォードとショーン・ヤングのネクサス7型ふたりが、

 オーバー・ルック・ホテルをめざしてコロラドの山の中を飛んで行きながら、

 なんともハードボイルドなハリソン・フォードの独白が重なる場面が、

 ラストシーンだった。

 11PMだったかなんだったかで、SF映画の新作が出来たっていう宣伝があり、

 そこにハリソン・フォードが出てるけど、小難しいんだっていう噂だけが先行してて、

 あまり評判はよくなかった。

 けど、当時、大学に通ってたぼくや友達たちは、みんな、

「おおおお」

 と、声をあげてた。

 こんな映画観たこともなかったし、

 あまりにも哲学的すぎて、なにがなんだかよくわからなかったけど、

 それは当時の映画としては、そんなに珍しいことじゃなかった。

 もっと小難しい映画はごまんとあったし、ぼくらはそういうのが好きだった。

 このファイナル・カットで嬉しかったことは、

 ジョアンナ・キャシディが透明なコートをいまだに自前で保存してて、

 それを使って追加撮影をしたっていうことと、

 どちらかといえば否定的な態度に出てたハリソン・フォードの息子が、

 当時のハリソン・フォードと同じ年になって吹替えで出演したっていうこと。

 なんだか、嬉しい。

 ただ、いろいろと見比べておもうことは、

 リドリー・スコットはもちろん嫌がるだろうけれど、

 やっぱりハリソン・フォードのラストの独白はあった方がいいな~と。

 それと、

 ファイナル・カットにするんだったら、

 未公開のシーンをもうあと30分、つけたしてほしかったわ。

 もしかしたら、舞台になってる2019年に、

『ブレードランナー2019』

 とかってタイトルで、出してくれるとか?

 それは、観るわな。

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ウォーター・ホース

2013年06月02日 03時33分23秒 | 洋画2007年

 ◇ウォーター・ホース(2007年 アメリカ 112分)

 原題 The Water Horse: Legend of the Deep

 staff 原作/ディック・キング=スミス『おふろの中からモンスター』

     監督/ジェイ・ラッセル 脚本/ロバート・ネルソン・ジェイコブス

     撮影/オリヴァー・ステイプルトン 美術/トニー・バロウ

     音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード 衣装デザイン/ジョン・ブルームフィールド

 cast エミリー・ワトソン アレックス・エテル ベン・チャップリン デイヴィッド・モリッセー

 

 ◇1942年、ネス湖

 とある友達がいて、そいつは今から30年前、ネス湖に旅立った。

 ネッシーを観たいという、確率的にいえばゼロに近い希望を胸に。

 あほなことをするやつだとおもったけど、実はぼくもしたかった。

 それくらい、ぼくらの少年時代には、ネッシーは夢の対象だった。

『怪獣王子』っていうテレビドラマがあって、

 原作は石川球太だったとおもうんだけど、

 そこに出てくる怪獣はプロントサウルスながら、

 ぼくらの目にはネッシーに映ったものだ。

 ただ、それは小学校の低学年の頃で、長ずるに従い、

 ネッシーの原型が首長竜のプレシオサウルスであることも知った。

 同時に、スコットランドの伝説にある幻獣はケルピーといって、

 NessieというのはLoch Ness Monsterの略称だってことも覚えた。

 胸いっぱいに広がっていた夢がどんどんと輪郭を持つようになり、

 ネス湖そのものからして、

 首長竜のような大型の爬虫類が棲息することは難しいとわかり、

 いよいよ落胆の度が深まったものの、

 いくつかの目撃談や写真に対して藁にも縋るようなおもいになっていった。

 ところが、

 つぎつぎに目撃談や写真が科学的な見解によって否定されていく中、

 忘れもしない1993年11月、

 ぼくたちの最後の支えのひとつだった「外科医の写真」が、

 そう、ネッシーを知らない人でもその写真を見れば、

「あ、これ、知ってる」とか「お、見たことあるわ」とかいう写真だけど、

 これが1934年の4月に作られた偽物だったってことが暴露されたんだ。

 ま、ちょっと注意すれば波紋の大きさが変じゃない?って意見は出るんだけど、

 ほら、やっぱり、藁だからさ、

「なんとなくわかっちゃいたけど、そんなに否定しなくたっていいじゃんか~」

 とおもっていたものが、脳天乾竹割のような凄まじさでまっぷたつにされちゃった。

 で、そんなことを踏まえた上で、作られたのがこの映画だ。

「まだ、作るか」

 とまではいわないにせよ、なんとなく色褪せた観は否めない。

 けど、ネッシーに夢を馳せた少年は、観なくちゃいかんでしょ?

 観た。

 戦時中の話だった。

 ネス湖にドイツ軍の潜水艦が侵攻してきたとして、

 ウォーター・ホースが追い詰められ、対潜用の網に絡めとられようとするとき、

 いったい、どうやって大西洋へ逃げるんだよってところが、味噌だ。

 やっぱり、ネス湖に行きたくなった。

 いつ、行けるんだろ? 

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恋とスフレと娘とわたし

2013年04月09日 13時52分24秒 | 洋画2007年

 △恋とスフレと娘とわたし(2007年 アメリカ 102分)

 原題 Because I Said

 staff 監督/マイケル・レーマン 脚本/カレン・リー・ホプキンス、ジェシー・ネルソン

     撮影/ジュリオ・マカット 美術/シャロン・シーモア 音楽/デイヴィッド・キティ

 cast ダイアン・キートン マンディ・ムーア ガブリエル・マクト トム・エヴェレット・スコット

 

 △やっぱり甘いものが好き

 英語が喋れないのは困ったもので、原題の『Because I Said』ってのもよくわからん。

 勝手に意訳すれば『だから、いったでしょ』とか『ほら、ごらんなさい』って感じなのかな?

 邦画の場合、これをタイトルにするのは難しいよね。

 そんなことはいいんだけど、いかにもダイアン・キートンっぽいタイトルだ。

 ていうか、人物設定も筋立ても、いかにもダイアン・キートンだ。

 ぼくは、彼女がウディ・アレンとつきあってたときから、けっこう贔屓にしてる。

 コメディもシリアスもきちんとこなすし、うまい女優さんだな~とおもってきた。

 今回もそうで、

 スタイルもセンスもよくて、お菓子作りの腕は最高なのに、おせっかいで、口が悪く、

 過保護の塊で、実をいうと娘よりも自分がいつまでも恋をしていたい、

 っていう、なかなかいそうでいない還暦過ぎの母親を、あっけらかんと演じてる。

 下ネタ満載の母子の会話や露骨な冗句に、

 慣れてない人は辟易するかもしれないけど、

 いつまでも若くて、性に関して開放的な感じを出そうとしてるんだろね。

 この頃、ケーキでも、あまり甘くなくて軽い感じです、とかいうのがあるけど、

「ケーキってのは、甘いものを欲しいから食べるんじゃないのかい」

 とかいいたくなっちゃう。

 恋もケーキも、じょわじょわに甘い方がいいじゃん。

 甘いものが出てる映画だと、

 やっぱ『ショコラ』のチョコレートや『アメリ』のクリームブリュレだけど、

 この映画にある『スフレ』もまた象徴的に使われてる。

 結婚適齢期から外れてしまいそうな娘や、恋愛適齢期を過ぎてしまいそうな母親って、

 つまり、焼き上がってからどんどん時間が経ってる『スフレ』なんだよね、

 ヒッチコックの愛したスフレは、焼き立てがおいしくて、時間が経つとしぼんじゃう、

 つまり、恋もスフレもいちばん美味しいときに食べなくちゃいけない、

 かといって、自分の持ってるスフレはひとつだけじゃない、

 還暦すぎても恋のできるダイアン・キートンのように、がんがんスフレを作っていけば、

 人は、何度でも焼き立てのスフレのように美味しくなれるんだ、

 だから、結婚適齢期だの恋愛適齢期だの、

 そんなこと気にしてたら始まらない、

 スフレみたいに甘い恋なんてできないよ、

 てな話だと受け止めればいいんだろか?

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アイ・アム・レジェンド

2010年05月05日 12時40分56秒 | 洋画2007年

 ◇アイ・アム・レジェンド(I Am Legend)

 

 不変の主題で3度もリメイクするたびに人類滅亡の理由と生存した人種が異なってくるんだけど、こういうとき、かならずおもいだすのが、小室孝太郎の『ワースト』だ。傑作漫画だった。主題は同じなんだけど、年代記になってる分、SF色は濃かった。それはさてぽき、本作はウィルスミスのひとり舞台で、ちょっと世界観が小さくなってる気がするな。

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