◎エレジー(Elegy)
死にゆく獣。
原作はそういう題名らしいんだけど、死にゆくっていう表現があってるとはおもえないんだけどなあ。
まあ、完璧な容姿の女性を前にして、情念はあってもケモノになりきれないプライドと観念が老いさらばえた大学教授を通して観ると切実にわかるような気もするけど、魅惑的すぎる設定のペネロペ・クルスがいかにも男目線の理想像となりすぎな印象がして、なんだか損な感じがする。
(以上、2010年3月19日)
観たことをまるきり忘れてて、観ている内に「これ、観たわ」と。
ニコラス・メイヤーもやけに老いた目線になってきたんだなあっていう印象で、こっちも老いてきたから、ベン・キングズレーのどうにもやりきれない優柔不断さが身に染みるようになってきた。
ペネロペ・クルスの誕生日に招待され、キューバの家族や親戚に紹介したいといわれても、自分は30歳も年上だし、おそらく親たちよりも年上で、そんな自分が花束をもっていそいそ出かけるなんて恥ずかしさの極致じゃないかとおもい、車が壊れたと嘘をついて別れにいたるものの、ペネロペ・クルスにしてみればそんなことで家族に会うのを躊躇してしまうくらい自分のことは好きじゃないんだあってわけで、それで涙を流しちゃうわけで、こういうのは老いてみないと切実じゃないね。
でもそうか、乳癌で乳房を失っちゃうから、前半でペネロペ・クルスの美しい乳房に触れて、こんなに美しい乳房は世界にふたつとないといわせちゃうんだね。まさか乳癌の話になるとおもってなくて、いやあ、伏線だったんだあと。
だけどまあ、前に観たときも男目線のやけに自分本位な映画だっていう印象はあったみたいだけど、今回もそうで、赤のルブタンと白のルブタンがそうだ。というのも、ペネロペ・クルスは赤を履いてて、パトリシア・クラークソンは白を履いてる。けれど、彼女の下着は黒だ。20年も都合のいい愛人をしていて、ときにペネロペ・クルスに嫉妬しつつも、これから先もそういう関係なのかも知れないとしたら、あまりにかわいそうじゃないか?
ベン・キングズレーはこの先、乳房はなくなったけれど命は失わずに済んだペネロペ・クルスと共に生きていこうとするんだけど、じゃあ、パトリシア・クラークソンはどうしてくれるんだと。
ちなみに、エレジーは何曲か流れるんだけど、
Philippe JarousskyのGiustino, RV 717: "Vedro con mio diletto" (Anastasio)
Gnossienne, No. 3 (Echoes) on Spotify. Erik Satie
Adagio from Concerto No 3 in D minor, BWV 974
の3つが好きだな。
(以上、2022年11月20日)