◎絞殺(1979)
「…やってしまおう。…おしまいだ」
西村晃が乙羽信子に言う。昭和五十年代の非行や家庭内暴力は戦後3番目の多さだったらしい。町内会や婦人会など、まわりの好奇な目に見られ、そのストレスに耐え切れず神経を病んでしまう。つらいだろうなあ。小金井から千住に越してきて、営んでいたスナックも移転させた。でも、変わらない。
教師役は戸浦六宏。当時、いやらしい教師役は戸浦六宏か穂積隆信かっていう印象がある。ふたりとも憎々しげな演技が上手だった。戸浦さんの方がずる賢く、穂積さんの方がお人好しで小心なぶん卑怯さや卑屈さがよく表れてた。
ちゃぶ台、茶だんす、家具調テレビ、レコード・コンポーネント、サイドボード、水割りセット、洋ダンス、ガラスケース入りの唐子人形、親のむつごとの声が生々しく漏れ聞こえる明かり障子とモルタル住宅、すべてが現役の昭和世界だ。
懐かしの茅野駅。
息子と養父殺しの娘の道行。蓼科湖畔、雪の白樺林で青姦するんだが、さらにお別れにと蓼科高原、城の平の頂きで八ヶ岳を見晴かしながらまぐあう。なんとも昭和臭いなあ。やっぱり懐かしいなあ。
「勉のしたことは、わたしにはよくわかります」
乙羽信子の遺した書き置きにはそうあるが、新藤兼人の若者に対する言葉と見えなくもない。突破口のない、自己表現のできない、激情にかられてしまう若者に対する言葉だが、さて…。