私が正月の良さを感じるのは、人が少なく街が静かなところ。この静かさは、普段のヨーロッパの街に近いかもしれない。日本の日常が過激すぎると思う。
1990年代、リバーサルフィルムの性能が著しく向上し、ボディの電子化(AF・AE)や高性能ズームが開発された。私の周囲のフォトグラファー達は、ニコンからキャノンが新開発したEOSシステムに乗り換えていった。実際EOSは、システム全体のパフォーマンスではニコンを凌駕していた。個人的には、キャノンのファインダーの悪さを体験していたので、初代システムと互換性あるニコンでシステムの更新をした。彼らからF2.8で広角、標準、望遠ズームがいいのではと勧めもあり、汎用性を目指した第2世代システムが以下。
■Nikon F4
■Nikon F3HP(NYのブルックリンカメラで調達した中古)
○Nikkon AiAF,F2.8/20-35mmD
○Nikon AiAF,F2.8/35-70mmD
○Nikon AiAF,F2.8/80-200mmD
○Carl Zeiss Planar F2.8/80mm(NYのブルックリンカメラで調達した中古)
このシステムは、解像度と発色のよい3本の高性能ズームレンズと、F4とF3の類を見ないクリアーな大型ファィンダーは、優れものであった。今でもこれを超える一眼レフボディはない。またF4にストロボSB24の組み合わせは、自然な調光が得られる点でも優れていた。現在講義で使用している国内のスライドは、この機材で撮影したものが多い。
F4ボディは、エンジニアリングプラスティックを使用している。私の経験では、フィールドで撮影中にボディが三脚から外れ、頭からコンクリートの地面に落下し、ボディの頭部が二つに裂けたことがあった。だがそれが衝撃を緩和したため、内部の高価なプリズムガラスに損傷はなく、ガムテープで頭部を貼り合わせそのまま使用できた。因みにキャノンは落とせば必ず壊れ作動しない。そんな進化した機材にも2つの欠点があった。
第1は、ボディとガラスの固まりのような大口径ズームレンズ3本で既に5kgと、初代システムの2kgを超える。それにバッテリー、ハスキーの三脚、フィールド調査の野帳や画材や資料といった類をバッグに詰めると10kg近くになる。持ち歩くというよりは、カートに積んでゆくことが多かった。重い故海外に持ち出す機会もなかった。
第2は、電子化故にバッテリーの消耗が激しいこと。F4が入手しやすい単3電池4本を電源としたのは英断だったが、フィルム20本がスムーズに撮影できる限度である。それを補完したのが、同様の電子カメラF3である。唯一1/60の機械式シャッターを搭載し、電池がなくても使えたのは便利だった。実際の使用場面で万一を考えているところがニコンである。ニコンのプロダクトは、最初は大変使いにくい。しかし長く間使用していると、使いにくさにが、フィールドにおいては必要であり意味があることを教えてくれるプロダクトである。
この頃、京セラのコンタックス・システムのカール・ツァイスレンズの、発色と解像力の優秀さに気づかされる。当時のニコンシステムで使うことができる、ハッセルブラット用を代用した。キャノンやニコンのレンズは優秀だが、ツァイスのレンズは、それら以上に優秀なのである。
第2世代システムは、総じて撮影結果が良くなり、作業が効率的になった分、重さとバッテリー消耗の早さというデメリットがある。ある部分が優れて進化し、それと引き替えに何かが退化するといった経験をすると、この種のプロダクトは、開発と進化とはあまり関係性がないことに気づかされた。
注
注:ニコンF4、F3といった大変優れた高性能ボディが、中古価格4万円程度で販売されている。これらのボディとレンズを使用し、リバーサルフィルムで撮影するのであれば、撮影結果は現在のデジタル一眼レフの画像を上回る。フィルムスキャナーを用いてデジタル化をした場合、読み取り画素数は2,360万画素となり、EOS1DSmarkⅢ(価格90万円)をしのぐ。そういう点では、今大変買い得な機材だろう。言い換えればデジタル一眼レフボディは、フィルムボディと比較し、価格がすこぶる高く、得られる画像情報が少ないということになる。
画像撮影データ
Nikon COOLPIX990,SB24