Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE482. 温泉旅館再考

2012年10月04日 | field work
 さて、輪島の町のビジネスホテルに帰るか。帰りがけにタクシーの運転手さんに、観光客がよく行く店ではなくて、あなたがよく行く居酒屋を紹介して、といって連れて行ってもらった。そこはアットホームな空気があって魚が美味しかった。観光という要素を排除するというのは正解だ。それが私流の旅なのである。
 ふと思ったが、日本の温泉旅館に行くと、部屋には申しわけ程度のユニットバスがあるが、大概はそれを使わないで、大浴場の温泉に行く。だがそれは、どんなに名旅館であっても同様であり、共同浴場であることに変わりはない。つまり昔の銭湯の感覚でしかない。そこが私には大変不満だ。私は、部屋にある浴室こそ、露天風呂にしてもっと充実させるべきだと思う。それでこそ温泉旅館なのである。
 ホテルの場合は、部屋に浴室があるので、いつでも、それが夜中であっても、寝起きであっても時間を問わず簡単にはいれるので、私には大変便利である。そういうときは、建物が新しく、チェックアウトが遅く、グリードの上のホテルをいつも予約する。毎日が忙しい現代人にとっては、そういうルーズなところが非日常的世界であり、それこそが癒されるのである。
 そういうルーズな感覚が日本の温泉旅館にはない。いつでも簡単に温泉に入れることを重視するならば、日本の温泉旅館は、部屋に露天風呂が付いていて当たり前である。当然1室や2室程度は、そうした部屋がある温泉旅館もあるが、料金も高く、利用者も多く、私などにはとても近づけない。だから共同浴場の温泉旅館に泊まるとチェックアウトで追い出されて、いつも時間を気にしなければならず、それでは 日常生活とちっとも変わらず、帰る頃には何故か大変疲れるのである。それは湯疲れではなく、施設の考え方が古くさいのに由来すると私は考えている。
 癒し系とは、もし分け程度のマッサージでもなくアロマセラピーでもない。好きなときに温泉につかり、好きなときに飯を食べ、好きなときに寝て暮らす、そういルーズな暮らしかたができてこそ、温泉旅館なのである。そう考えれば、日本の温泉旅館の99%はリゾート性失格だと言ってよい。温泉旅館再考すべきである。
 現在でもそんなルーズな時間のすごしかたができるのは、数少ない昔からの湯治場だけである。例えば青森県酸湯や玉川温泉といった湯治場である。そこにこそ忙しい現代人を癒すことができる、新しいコンセプトがあるのだ。

輪島市黒島地区,2012年9月27日
OLYMPUS OM-D E-M5,M.ZUIKO DG14-150mm.F4.0-5.6,
ISO3200,焦点距離29mm,露出補正±0,f4.9,1/60,リーニュクレール
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