Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

エッセイ821.都電の背後が・・・、追記

2025年01月24日 | field work




  鉄ちゃんに誘われて、銀座の都電が無くなるから撮りにゆこう。それが街歩きの切っ掛けだった。都電は其の後順次廃止され、これに呼応して残されている都電を撮影していた。1968年4月の東京である。
 だか都電を撮影していると背後にある古い建築に目がゆく。なんだろうあれは?。トップ画像は神田界隈にあった一橋大学の如水会館である。2番目は桜田門であり当時の警視庁の旧庁舎が写っていた。国会議事堂が正面に来る位置をさがして都電と警視庁がはいる位置をさがして撮影したのだろう。それはシティスケープへの関心が芽生えといえる。3,4番目は数寄屋橋だ。すでに銀座通は都電が廃止されたが、一本皇居側の大通り数寄屋橋交差点では、まだ都電が走っていた。メディアの関心と現実とは違うと感じた頃である。そして最後は東京タワーから日本最初の超高層霞が関ビルを撮影した。当時東京の平均階数は3階まではゆかなかった時代だから、街が閑散としている。今は東京タワーから霞が関ビルがみえるだろうか?。
 こうして鉄道の背後にある街のありように関心が移っていった頃である。変わらなかったのは撮影機材。それももらい物のお古。金のない高校生だったからニコンなんて夢さ。そんなとき同級生がPENTAXなら一番安いボディが買えるよと助言をくれた。彼はその機材を調達し写真の世界にはいっていった。だからPENTAXという機材に今でも親近感がある。それは見栄や肩肘なんかはらないで、今できることをしたほうが正解だよとする人生訓だったかもしれない。

機材:Canon6L,50mm/F1.4.


出典:https://camera.yoakemae.shop/items/7110050?srsltid=AfmBOooTYZATzGfMbitYCEkv19Ax8fK_WwqTo_Hn0H9qMROHcsTLsD9y
 1964年TTL露出計を内蔵したPENTAX SPが旭光学から発売された。それと同じ機能でありながらTTL露出計を除いた機種がPENTAX SLが1968年に発売された。まさに質実剛健。当時の価格でボディは27,000円。因みにニコンFボディは55,000円だったから、本格的な一眼レフでありながら価格の安さがPENTAXの良心を感じさせる商品であった。中学時代O君はこの機材でレンズシステムを組み高校の部活で写真を勉強していた。これは実に賢い選択だった。ふと、このボディをそのままの寸法でデジタル部品を実装してデジタル一眼レフをつくらないかなぁーと想像した。

追記
 フィリピンにいて日本のニュースを検索するとフジテレビがいつも登場する。こればかりですか・・・。情報を集約するとフジテレビは、女子アナウンサーの出世欲につけこんで、隠密りに枕営業をしていた。コンプライアンス以前の古い企業風土があった。スポンサーが大挙してずらかりCM差し止めになった。それ自体が事の重大さを裏付けている。こちらは、どうなるかを客観的に見る面白さがある。テレビ局自体が実にテレビ的に演じられている。
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