
さてまた普段のブログに戻ろう。天候の話を書くと、適当に画面が埋まり私にとって都合良いが、そんな話ばかりでは飽きられること必須。といって今日は、大した話題もない。ならば画像であげた舞楽「蘭陵王」の話題でも。
WEBで調べると、「中国南北朝時代末期、北斉の蘭陵王・高長恭は勇猛果敢であったが余りにも美しすぎたために、敵を威嚇できないことを残念に思っていた。そこで、彼は醜悪な仮面を着けて戦いに挑み、大勝を博した。彼の勇猛な姿を舞にしたのが、舞楽「蘭陵王」である」と解説されている。醜悪な仮面と独特の衣装を着け早いテンポの曲に合わせて舞うので、現代人の視点で見ても面白い。平安時代の感性が生きている。
今日の画像にあげた三船祭の「蘭陵王」には、醜悪な仮面がない。WEBによれば、女性や少年少女が舞うときは、桜の挿頭花を挿した前天冠を着け舞台化粧をし、とあり船上で奉納される15歳位の少女の舞が妖艶であることに変わりはない。
話題は飛躍するのだが、東京生まれだと、江戸・徳川文化で歴史的感性が形成されるのであるが、個人的には江戸・徳川の、やたらに金を張り巡らして権力を誇示する田舎くさい下品な感性は好きになれない。映画やテレビの時代劇でも、貧乏人と権力者とが相対峙する二極化した構図は馬鹿馬鹿しいし、いまだに下町情緒なんて観光の旗印にしているが、戦争で全部焼けちゃったのに、なんでそんな珍奇なことができるのかい。とまあ江戸・東京時代は歴史的につまらない時代だというのが私の実感である。
それだけに、遣唐使を通じて国際交流をしていた平安時代前期、唐の史話をもとにしてつくられた舞楽蘭陵王を見ていると、今見てもテンポの早い舞曲もコスチュームも洗練されており、これがつくられた時代に想いが及ぶ。それはどんな歴史的感性の時代だったのだろうかと興味も湧いてくるのである。
ようやく、話題が広がって本日のブログとなった(笑)。
京都市・嵐山,2010年5月16日撮影.
EOS40D,EF100-400mm,f3.5-5.6,
シャッター:1/1000,絞りf5.6,焦点距離400mm,ISO400.
WEBで調べると、「中国南北朝時代末期、北斉の蘭陵王・高長恭は勇猛果敢であったが余りにも美しすぎたために、敵を威嚇できないことを残念に思っていた。そこで、彼は醜悪な仮面を着けて戦いに挑み、大勝を博した。彼の勇猛な姿を舞にしたのが、舞楽「蘭陵王」である」と解説されている。醜悪な仮面と独特の衣装を着け早いテンポの曲に合わせて舞うので、現代人の視点で見ても面白い。平安時代の感性が生きている。
今日の画像にあげた三船祭の「蘭陵王」には、醜悪な仮面がない。WEBによれば、女性や少年少女が舞うときは、桜の挿頭花を挿した前天冠を着け舞台化粧をし、とあり船上で奉納される15歳位の少女の舞が妖艶であることに変わりはない。
話題は飛躍するのだが、東京生まれだと、江戸・徳川文化で歴史的感性が形成されるのであるが、個人的には江戸・徳川の、やたらに金を張り巡らして権力を誇示する田舎くさい下品な感性は好きになれない。映画やテレビの時代劇でも、貧乏人と権力者とが相対峙する二極化した構図は馬鹿馬鹿しいし、いまだに下町情緒なんて観光の旗印にしているが、戦争で全部焼けちゃったのに、なんでそんな珍奇なことができるのかい。とまあ江戸・東京時代は歴史的につまらない時代だというのが私の実感である。
それだけに、遣唐使を通じて国際交流をしていた平安時代前期、唐の史話をもとにしてつくられた舞楽蘭陵王を見ていると、今見てもテンポの早い舞曲もコスチュームも洗練されており、これがつくられた時代に想いが及ぶ。それはどんな歴史的感性の時代だったのだろうかと興味も湧いてくるのである。
ようやく、話題が広がって本日のブログとなった(笑)。
京都市・嵐山,2010年5月16日撮影.
EOS40D,EF100-400mm,f3.5-5.6,
シャッター:1/1000,絞りf5.6,焦点距離400mm,ISO400.
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