またよりによって雨の中、鳥取県倉吉市に出張していた。伝統的建造物群保存地区の視察である。ここは規模も大きいし、街づくりも努力しているところである。そのかいがあり結構今風職人ショップも食事処もありビジターも訪れるところである。
だが百聞は一見にしかずであり、ところどころ民家が歯抜けになっており青空駐車場がかなり目立つ。それは街並みの連続性の欠如ともいえる。伝統的民家も主が亡くなりあとを継ぐ人達がいないと取り壊されて空き地となってしまう。そういう恐れを伝建地区は抱えている。だから街並みを維持するためには、新たな入居者をさがさなければならないことになる。今の課題なのだろう。
そうなると、どれだけ残っているかではなく、どれだけ壊されたかとする新たな研究上のテーマも浮かび上がってくる。そうした視点から何故壊されたかとする視点から伝建地区を再調査してみると、いくつかの知見も得られるだろう。伝建地区のエリアは明確なのだから、戦後駐留米軍が撮影した航空写真と、現在の姿を比較すれば容易にわかるはずだ。研究テーマが浮かび上がったのだから、まあ出張の目的は果たしたことになる。早々に昼飯をたべて帰ろう。
さて画像は、藤森照信先生が命名した擬洋風建築である。明治初期の頃、洋風ではなく大工が洋風を見よう見まねでこしらえたというわけだ。幸いこの建築は、レストランに利用されていた。さてわては、このレストランはパスして、老舗の餅屋で餅しゃぶしゃぶを食べていた。
それにしても京都から倉吉は大変遠い。結局往復で7時間は列車に乗っていたことになる。この時期に山陰にでかけると何故か心が重く万事意欲が喪失してくる。まして雨だろ、気分憂鬱だった。もう山陰にはいかねぇーぜ。
鳥取県倉吉
OLYMPUS EM-1,M.ZUIKO DG7-14mm/F2.8
ISO400,露出補正-1/3,f6.3.1/100
だが百聞は一見にしかずであり、ところどころ民家が歯抜けになっており青空駐車場がかなり目立つ。それは街並みの連続性の欠如ともいえる。伝統的民家も主が亡くなりあとを継ぐ人達がいないと取り壊されて空き地となってしまう。そういう恐れを伝建地区は抱えている。だから街並みを維持するためには、新たな入居者をさがさなければならないことになる。今の課題なのだろう。
そうなると、どれだけ残っているかではなく、どれだけ壊されたかとする新たな研究上のテーマも浮かび上がってくる。そうした視点から何故壊されたかとする視点から伝建地区を再調査してみると、いくつかの知見も得られるだろう。伝建地区のエリアは明確なのだから、戦後駐留米軍が撮影した航空写真と、現在の姿を比較すれば容易にわかるはずだ。研究テーマが浮かび上がったのだから、まあ出張の目的は果たしたことになる。早々に昼飯をたべて帰ろう。
さて画像は、藤森照信先生が命名した擬洋風建築である。明治初期の頃、洋風ではなく大工が洋風を見よう見まねでこしらえたというわけだ。幸いこの建築は、レストランに利用されていた。さてわては、このレストランはパスして、老舗の餅屋で餅しゃぶしゃぶを食べていた。
それにしても京都から倉吉は大変遠い。結局往復で7時間は列車に乗っていたことになる。この時期に山陰にでかけると何故か心が重く万事意欲が喪失してくる。まして雨だろ、気分憂鬱だった。もう山陰にはいかねぇーぜ。
鳥取県倉吉
OLYMPUS EM-1,M.ZUIKO DG7-14mm/F2.8
ISO400,露出補正-1/3,f6.3.1/100