Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日11. 時計屋さんの作業台

2016年03月17日 | field work
 EOSなシリーズで飽きないうちに、デジタルEOSも加えておこうと思った。
 なにしろこの機材は彩度の高い発色の良い色が好きだ。彩度の高い街といえば心斎橋筋とか新世界か。しかしこんなんアップしておもろいのか。やはりつまらんという結論になり、御手洗のスライドデュープ画像に差し替えた。御手洗の町の路地の一角で春の光が射し込む時計屋さんの作業台である。そんな御手洗に出かけたのは10年以上前の今頃の季節だ。気候が暖かく、明るい光が射す瀬戸内の景観が記憶に残っている。
 これだけ撮影できると、スライド画像もなかなかよさげだ。なんといっても発色が綺麗だ。リバーサルフィルムで撮影して、ニコンDfでデュープに落とすという方法もあるのか。リバーサル・フィルムが復活するだろうか。そうなると堀内現像所はまだあるのだろうかと、なかなか面倒な算段が必要になってくる。音楽の世界でハイレゾ音源がはやりつつある。どこかアナログ的な世界が復活してきそうにも思われる。
 今日は、残った研究費の消化に励んだ一日だった。結局多変量解析とVue11の専門ソフトを調達し、なんなく消化できた。来週からは、これらのソフトで仕事ができそうだ。だが大したクリエイションをしないというのも寂しい限りである。しかも明日は午後1番に山の畑キャンパスまで会議ででかけなければならない。どうしてこんな半端な時に会議なのだ。これじゃ1日どこにも出かけられないじゃないか。全くあちらの研究室は何考えてんだろう。会議は朝早くにしてくれればよいのに。

広島県呉市御手洗町
EOS3.EF,28-135mm/F3.5-5.6,エクタクロームⅡ
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EOSな日10. 多義的な空間

2016年03月16日 | field work
 こんな画像をライフの写真集で見た記憶がある。確か旧ソ連邦の街中での量り売りだった。今は旧ソ連邦からも中国からも、こんな露天商は無くなっているだろう。中国の近代化は急ピッチなのである。
 建築だけを見ていると隣棟間隔の狭い2階立てRC像の住戸が並列に林立している。そこをところどころ通りにつながる通路が貫通している。そんな空間構成なのだろう。だがこの通路が結構多目的に利用され、子供の遊び場だったり、行商がやってきたり、近所づきあいの語らいの場だったり、風が抜けるから涼を取る場だったりと、生活にはなくてはならない通路だと読み取れる。そしていずれは高層マンションにとって変わる空間でもある。
 私達の生活には、寝室や居室と言った使途の明確な単機能空間だけではなく、こうした多義的な空間が必要不可欠なのである。それはあえて設けなくても、どこかに多義的な空間が発生してくるのである。 
 それがマンション化が進行してきて、随分私達の暮らしも、そして意識も変わってきた。その頃から不登校児童や家庭内暴力が発生してきたこともあるだろうし、パーティーといえば食卓を囲むぐらいの智恵しか無くなってしまった。いまやそれすらもないかも知れない。
 そんな居住環境にしておいて、はたして近代化といえるのだろうかと思われる。

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,エクタクロームⅡ
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Nikon Freak81. 東京スケッチ

2016年03月15日 | diving
 人なつこい魚だ。ブログの方は相変わらず行間がバラバラ。
 そういうのはほっておいて、今日は東京スケッチ。つまり東京から依頼された仕事で福島県のある新都市のイメージを製作中。ようやく半分ぐらい完成し明日で仕上げようと意気込むと、京都の不動産屋からガレージの許可が下りたので明日までに手付金を振り込んでください。急だなと思ったら出した郵便物が戻ってきたんですよだって。住所は合ってるのになぜだ。
 そういうミステリーにつきあわされ、明日は朝一番に銀行へ。その分大学へ行くのが遅れるし東京スケッチが予定通り進まないではないか。気分がのると突然ノイズがかかってくる。まあ人生なんてそんなものだろうけど、あまり社会とかかわり合わないほうが良いことは確かだ。ではでは明日は高木珈琲で時間をつぶしつつ、朝一番に銀行へ立ち寄ろう。
 東京スケッチを描いていると、MacのとなりにおいてあるワコムのCintig27inchに慣れておけば良かったと後悔。時間もないから手書きで送ろう。
 もしiMacがクラッシュしなかったら、このブログはどうなっていたのだろう。死ぬまで書き続けるつもりだったか。書いている私自身いつまで続けるつもりかと自問自答したこともあった。やはり10年という節目の年で終わるのがよいのだろうと思っている。
 クラッシュ以来もう読者は去っていったであろう。誰も読まないブログを黙々と書く自分の律儀さが笑える。

沖縄県チービシ諸島ラビリンス
Nikon Coolpix AW130 
ISO125,焦点距離11mm(61mm相当),露出補正0,f4.4,1/100
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EOSな日9. 暖かくなったら絵を描こう

2016年03月15日 | field work
 画像は、2007年頃に撮影した上海泰康路の界隈だ。アーティスト・アトリエやショップがあるこの煉瓦の建築群は、市の歴史遺産として今も残っている。
 だが現在は、この周囲はすべて高層マンション群によってとりこまれている。私達が訪れた時は周囲のスラム化した建築群の取り壊しが始まっていた頃だった。多分この住居も建築は残されているが、今は店舗に変わってしまい多くのビジターが訪れている街となっているだろう。
 このところスライド画像のデジタルデュープによる再生画像をブログで続けているが、本来のスライド画像は大変色が綺麗で空間感がある。これなどは全体にパープルの空気が漂っているのは好ましい限り。
 水彩絵の具で絵を描くときは、影を色としてみている。だから決して黒ではない。もともと水彩絵の具で白と黒はほとんど使わない。そこでパープルは影に使う場合が多い。デュープ画像は絵の具の世界と共通点がありそうだ。
 さて携帯用の水彩絵の具を探したが、大学に置いてきてしまった。暖かくなったら絵を描こうというわけだ。
 今日は京都-名古屋の大学-帰りに大阪-そして京都に戻ってきて疲れたぜ。歳かなぁー。

上海市
EOS3,28-135mm/F3.5-5.6,エクタクロームⅡ
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PEN LIFE1288. 気分憂鬱

2016年03月14日 | field work
 またよりによって雨の中、鳥取県倉吉市に出張していた。伝統的建造物群保存地区の視察である。ここは規模も大きいし、街づくりも努力しているところである。そのかいがあり結構今風職人ショップも食事処もありビジターも訪れるところである。
 だが百聞は一見にしかずであり、ところどころ民家が歯抜けになっており青空駐車場がかなり目立つ。それは街並みの連続性の欠如ともいえる。伝統的民家も主が亡くなりあとを継ぐ人達がいないと取り壊されて空き地となってしまう。そういう恐れを伝建地区は抱えている。だから街並みを維持するためには、新たな入居者をさがさなければならないことになる。今の課題なのだろう。
 そうなると、どれだけ残っているかではなく、どれだけ壊されたかとする新たな研究上のテーマも浮かび上がってくる。そうした視点から何故壊されたかとする視点から伝建地区を再調査してみると、いくつかの知見も得られるだろう。伝建地区のエリアは明確なのだから、戦後駐留米軍が撮影した航空写真と、現在の姿を比較すれば容易にわかるはずだ。研究テーマが浮かび上がったのだから、まあ出張の目的は果たしたことになる。早々に昼飯をたべて帰ろう。
 さて画像は、藤森照信先生が命名した擬洋風建築である。明治初期の頃、洋風ではなく大工が洋風を見よう見まねでこしらえたというわけだ。幸いこの建築は、レストランに利用されていた。さてわては、このレストランはパスして、老舗の餅屋で餅しゃぶしゃぶを食べていた。
 それにしても京都から倉吉は大変遠い。結局往復で7時間は列車に乗っていたことになる。この時期に山陰にでかけると何故か心が重く万事意欲が喪失してくる。まして雨だろ、気分憂鬱だった。もう山陰にはいかねぇーぜ。

鳥取県倉吉
OLYMPUS EM-1,M.ZUIKO DG7-14mm/F2.8
ISO400,露出補正-1/3,f6.3.1/100
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EOSな日8. 畳という基本モジュール

2016年03月13日 | field work
 木江地区の油屋を生業としてきた木造5階立ての建築である。画像では見えないが屋根を突き出て5階部分がある。このブログでは2008年2月21日に取り上げている。平地の少ない島だからこのような建築形態になったのだろう。
 往事の人達の空間感覚が現代住宅よりは随分広くゆったりとしていた。現代のマンションなの各居室など、もうかっての民家の押し入れぐらいの広さしかないといってよい。ウサギ小屋と言われた所以である。
 そうした空間感覚を狭小なものにしたのは、畳一帖の広さが小さくなっていった事に由来する。以来押し入れ的居室が一般化し、現代人は狭いのに慣れてしまったということだろう。私の感覚からすると住むためのスペースには最低限80㎡は必要であり、それが住宅の基本だと思っている。それより小さいとやはりウサギ小屋とか学生宿舎なのだろう。畳という基本モジュールのサイズが居住者の空間感覚を決めてきたのである。
 にもかかわらず押し入れ的マンションが乱立するのは、私達の、そうした空間モジュールの体験を通じて、日常的なスケール感覚がすり込まれているのかもしれない。
 さて明日は伝建地区倉吉に出張だ。そこまでゆけば、バスで20分先には三朝温泉がありWEBでみる景観はよさげだが、さて温泉に浸かっていると日帰りで京都に戻れない可能性もある。温泉はパスして帰りは鳥取の町を徘徊して都市構造などを調べるのに留めよう。なにしろ京都から特急列車で3時間半以上かかる。東京へ行くより遠いところがあるんだ。

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6
エクタクロームⅡ
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EOSな日7. 大きな鯨

2016年03月12日 | field work
 2005年春先の瀬戸内海を訪れた集落めぐりは面白かった。画像は、伝建地区御手洗から木江地区へ足を伸ばしたときのものだ。平地が少ない島だから木造3階建てはあたりまえで、なかには5階立てもあった。この画像もスライドフィルムからのデジタルデュープである。露出オーバーだったがPhotoshopが地面の色を再生してくれた。
 使用したのはキャノンのフィルム機材だが、何故か私と相性が良い。高校生の頃最初に使った本格的機材がキャノン6Lだったからかもしれない。当時ニコンF持ちの友人の前では少し恥ずかしくて鞄から出せなかったという懐かしい記憶もあるが、肩肘張らずに撮影できる機材である。だから今でもEOS1DsMarkⅢが研究室のデスクに置いてある。
 そのキャノンが07年以降収益が下降し続けている。キャノンは多くの製品アイテムがあるが、やはり稼ぎ頭はデジタルカメラとプリンターである。それが投資家向けの情報によれば、スマホの台頭とcloud環境の拡大で、近年とみにふるわなくなったとある。さらにはマイクロフォーサーズが追い打ちをかけた。現在では、アジア市場が唯一の維持基盤となっているようだ。
 実際私もキャノンのプリンターは、何台も使用しているが、いかんせんインク代がすこぶる高いので、次第に出力しない仕事のやり方に変わっていってしまった。
 キャノンのWEBサイトをみると数多くの製品アイテムがみられるが、主力製品がふるわないと他に目玉となれるようなアイテムがないのも特徴である。だから大きな鯨が瀕死の重傷であえいでいるようにも思われる。
 そんな個人的気分もあって、少しEOSな日を続けているのかも知れない。

広島県呉市大崎上島木江地区
EOS3,EF28-135mm,エクタクロームⅡ
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EOSな日6. 泰然とした国家中国

2016年03月11日 | field work
 さてスライドフィルムのデュープ画像も、ここまで復元できれば申し分ない。
 画像は、雲南省の大理近郊を徘徊していた私達の一行が、民家の門前で老人と遭遇したときのものだ。話を進めてゆくと文物の研究者とのことだ。
 日本よりはるかに歴史のある中国だからこそ、文物の研究者も多いのだろう。長い歴史の中で四大文明発祥の地であり、ユーラシア大陸の支配者となることもあった歴史的経緯からは、日本よりもはるかに深い歴史の蓄積を感じさせてくれる。こういう中国には、新参者国家日本の立場としては見習うべきところが多々ある。老人は最後に清々しい笑顔で私達を見送ってくれた。そこに悠久の歴史を感じた。
 個人的な見方だが、中国人の顔にいくつかの類型があると思われる。こうした知的な風貌の他に、まず口ひげを変に長くはやしている怪しげな風貌(撮影の被写体向き)は普通の農民である。さらに孫悟空の猪八戒のような顔をした太った、あるいは太り気味の中国人(つまり日本人と見分けがつかないのだが)は、上海や北京の都会人といった具合だろうか。
 中国の知識人は、悠久の歴史を眺める哲学人というのが私の理解だ。だから、かなわないなあ中国の歴史には、いつもそう思う。泰然とした国家中国なのである。

EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6,コダクロームⅡ
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PEN LIFE1287. IBM

2016年03月10日 | field work
 本島笠島は、歴史の経緯からして要塞として町を形成してきた。だから先を見通せない路が続く。そのことが正面に建物が見えたりして結構よい景観となっている。
 こうした本降りの雨の中では、45mmのテレ・エルマリートが重宝する。レンズに雨滴がかからず、遠くの被写体まで近寄る必要がないからである。とはいっても傘をさしつつの撮影で画面を確認しないから成り行きの構図である。だからPhotoshopでトリミングした。
 さて、今日は風が冷たく先日の暖かさはどうしたんだいといいたくなるような寒い1日であり、当然終日デスクワークであった。それで気がついたのだが、今年度の私の研究室の予算が余っているではないか。今月中に消化しないと事務に没収させられる。といってすぐに納品できる物なんか限られている。
 早速不足する物がないかを探し回り、結局平凡にもう1本多変量解析のソフトを調達することにした。さてIBMと電話でやりとりし・・・
落ち着き払った声で「16日に新しいバージョンででます」
「げっ!、そんなのどうでもよいです、すぐ欲しいのです。今月中に納品と請求書が必要なんですよ。」
「大丈夫です。ソフトはWEBからダウンロードできますから、メールでパスワードとアクセスキーを送るので1日で完了します。ダウンロードしている間にPDFで請求書を送りますね」
・・なんだ便利になってんじゃん。こちらがあわてる必要もなかった。それにしても旨いタイミングでバージョンアップしますね。この時期会計の〆の所も多いからねぇー。
さっすがIBM、手慣れている企業ですね。
 IBMといえば、15年以上前のThinkPadを取り出して、明日の打合せに使おうと目論んだ。あっ使えそうだ。それにしてもこのPCはすごく上品だと感心をしていた。
 因みにこのPCは、現在LENOVOというメーカーから発売されている。もうIBMではないしなぁー、その後先進的な進化がないですねぇー、他に先駆けることこそIBMの精神だったのに、日本人が製品開発を引き継ぐとスペックだけの話になるのか。もう少しThinkしろよな、Appleみたいに。
 もしIBMがそのままPCを開発していたら、今とは全く違う製品が登場する可能性があったかもしれない。いや逆にPCの限界をみてしまったのかもしれない。それでIBMは、PCを手放したんだろうな。
 私も随分世話になった企業である。好意的なのは、IBMのソフトで博士論文をはじめ何本も審査付学術論文を書いたからというのもある。IBMづくしの一日でもあった。

香川県丸亀市
OLYMPUS EM-5,LEICA DG TELE ELMARIT45mm/F2.8
ISO400,露出補正-1/3,f6.3.1/100
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PEN LIFE1286. 空間の性格が逆転

2016年03月09日 | field work
 備讃瀬戸の一つ塩飽諸島の本島笠島へ出張していた。早い時期に伝統的建造物群保存地区に指定されたところだ。
 なんでこんな日を選んだかと思われるような本降りの雨の中、オリンパス7-14mmレンズのフィールド・テストを兼ねているから、むしろ好ましい環境というべきか。
 私一人だけを乗せた、むくじ丸海運というローカルな船を下り、本降りの雨の中を歩くこと25分ほどで笠島集落につく。けっこう立派に復元してはる。だが生活の臭いがしないのも不思議だ。街並み資料館で暮らしぶりを尋ねたが、返事はなかった。つまり余り人が暮らしていない。
 伝建地区もビジターがやってきて賑わっているところもあるが、静かなたたずまいだけというところも結構多い。国や行政は、保存するではアカンので利活用を勧めているはずだが、私にいわせればそれでもまだ不足であり、これまで日本には定着しなかった長期滞在型の可能性なんかを研究してみたいと思う。つまり日本版リトリート(隠れ家)という考え方がないだろうかと思う。
 そう考えていたら、目の前に瀬戸大橋が見えている。なんだよ、もう隠れ家ではないのか。昔の塩飽諸島の勢力あった水軍は、瀬戸内海の隠れ家としてこの土地を選んだということを文献で読んだ。その隠れ家が表になっちゃったわけだ。つまり空間の性格が逆転してしまったのである。雨だし早々に退散することにした。
 さて、もう一つEM-1のデジタルシフト機能をためそうという意図もあった。コマンドダイヤルの反応がすこぶる鈍いぞ。幸いバッテリーグリップのダイヤルが使えたので間にあった。しかしこのモードをOFFにしても画像がデジタルシフトの効いた画面のままなのには閉口した。これは使い慣れないとアカンですね。それにコマンドダイヤルの調整も必要だな。
 そんなわけで7-14mmレンズには、防塵防滴性能を試すのには格好の天候であった。フィールド機材の汚し始めといったらよいか。フィールドにもって行けば撮影機材はボロボロになりますから。それで貫禄が付いたと喜ぶのが我々の世界なのです。7-14mmのレンズも鏡胴がはげるぐらいにフィールドへ行きたいですね。
 機材にはうってつけの天候であっても、こちらは通勤時の格好である。しまった山用のスタイルでくればよかったか。もう都会派のスニーカーは中に水がはいりぐしょぐしょですわ。ホントにスニーカーってフィールドではあきまへんです。

香川県丸亀市
OLYMPUS EM-1,M.ZUIKO DG 7-14mm/F2.8
ISO200,露出補正-,f9.1/200
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EOSな日5. 界隈の空気

2016年03月08日 | field work
 中国世界遺産麗江のメインストリートは、どこか原宿竹下通りのような空気でつまらない。そこでこれをパスして小さな門をくぐり細い露地沿いに進むと普段の顔があるわあるわ。
 正面のカップルが肉まんをほおばり、なかなか密度の高そうな空間だなと思ってレンズを向けると、いや中国の界隈の空気がたっぷりしみこんでいた。多分レンズをいっぱいに伸ばして135mmで撮影したのだろう。これこそ中国の普段の顔だ。
 フィールド調査も後半であり、いささか撮影に飽きてきた頃だ。シャッターの音がしないよ、飽きてきたのかいと先生から見透かされ、それはまさに図星なんだけど、こたえる気力もなく疲れていた。それでもこの界隈には自然とレンズが向いた。
 これがプロならば角度を変えて何枚も撮影するのだろうけど、撮影に飽きた立場としては1枚撮影するのがやっと。マラソンと同じで最初から高いテンションで撮影しまくると、旅の後半には疲れがでる。マイペースで撮影するのが良いのでしょうけど。
 今日もスライドのデジタル・デュープで再生した画像だ。白い部分が少し飛んでいるが、もう少しトーンをコントロールしたほうが良いか。それにしてもここまで再現できれば原稿には使えそうだ。

中国麗江,1999年
EOS3,EF28-135mmF3.5-5.6.コダクロームⅡ
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EOSな日4. 記憶の底を引っ張り出す

2016年03月07日 | field work
 ニコンDfでロッカー1台分のスライドフィルムのデュープを作成したことは前にも書いた。デュープ画像は少しガッカリさせられる写りだったし、使うことのない保存用とあきらめていた。
 だがPhotoshopで修正すると魔法にかけたように、スライドフィルムに近い状態の画像に再生させてくれた。これに気をよくして少しばかりデュープ画像の再生をしていた。
 でっ少し画像の再生を始めたのだが、欧米の画像がちっとも面白くない。欧米の画像は講義でも使用しているが、ブログにすると実につまらない。それは町が整然としすぎているし、多くの人々が既に撮影していることもあるのだろう。そうなるとブログでは混沌とした画像の方が面白い。でっ、やはり20世紀最後の中国だ。
 当時海外はEOS、国内はNikonと使い分けていた。この画像は長江第一湾曲の石鼓鎮という小さな集落である。雨模様の中、ズームレンズに飽きたので、この日は50mm/F2.0という当時8千円の標準レンズで撮影していた。このレンズは予想外に良い描写をしてくれたことを思い出す。
 このフィールド調査では、コダクロームを使った。少し赤系統が強いときもあるが、得も言われぬ発色をしてくれる希有なリバーサルフィルムである。
 今では、コダクロームというフィルムも、コダックという企業もなくなってしまったし、中国の混沌とした世界といい、当時のフィルム機材といい、なんか記憶の底から引っ張り出すような感じでもある。

EOS3,EF50mm/F2.0,コダクロームII
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PEN LIFE1285. 気の抜けた麦酒

2016年03月06日 | diving
 そろそろSAIPANのダイビング画像もつきてきた。
 眼をこらしてみると正面の岩の上辺りに微かに4匹のマダラトビエイがいる。魚の方が動きが速く、しかもこちらは魚眼レンズなのでこのあたりが限界だ。彼らを見送ってこの一年のダイビングも休養期間中。 
 昨日・今日と随分と暖かくなり、昨日はその心地よさを堪能しながら何もしないで暖かさを実感しながらすごすという怠惰な1日であった。何もしないでいると、さて今週はフィールド調査に行こうと新企画を目論む。さしあたり京都から1日でゆける香川県の伝建地区本島笠島あたりか。
 であれば機材は、狭い街路から大きな民家を立面図のように撮りたい。となると一番画角の大きい7-14mmか。するとシステムは決まってくる。さて月曜日に出張申請でも出しておこう。
 曇天の日曜日、あまり好きな天候ではない。明日からの仕事に精をだそう。といっても大学は全ての学事日程が終わりつつあるので、学生もおらず気の抜けた麦酒のように大変静かだ。

SAIPAN
OLYMPUS EM-1,M.ZUIKO DG Fisheye ED8mm/F1.8
ISO200,露出補正-,f9.1/200
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EOSな日3. 離島

2016年03月05日 | field work
 2005年にフィールド調査で出かけた離島、広島県大崎上島の木江集落は、下島の江戸時代の風待港御手洗集落同様に旅籠や遊郭らしき古い建築がならぶ。
 正面の建築は木造3階建てだが、この集落には木造5階立ての建築もあり、2008年2月21日のブログで紹介した。この辺りには瀬戸内海航路の港町が多く残されている。
 こちらの画像もEOS3で撮影したフィルムのデジタル・デュープ版である。Photoshopが元画像の過半以上の情報を復元させてくれた。フィルムのデュープ化であきらめていたが、結構この再生方法は使えると判断できた。
 さて国内であれ、海外であれ、フィールド調査に出かけるというのは、当然街や街や建築の勉強もあるが、やはり執筆するときにはオリジナルの画像が必要になる。百歩譲って他者が撮影した画像も論文に撮影者の氏名が掲載できれば使えなくなもないが、撮影意図が不明だから使い物にならないといってよい。といって撮影者不詳やニックネームでは全く使いものにならない。出典が記載できるかオリジナルであることが学術論文の基本である。そういう点では例えばスペースシャトルから撮影した画像をアメリカ政府が公開すれば使えるということになる。
 さて国内外を問わずフィールド調査にはいつもEOSが多い。多分それは傷が付こうと、雨に濡れて壊れようと、或いは盗まれても惜しくないという気分からだと思う。だから気楽にぶらさげて行ける。EOS3は防滴構造ではないので雨に濡れ動作不良になったこともあったが、海外のホテルのスタンドの下で暖めていたら復活したなんてこともあった。案外手間のかからない機材であった。
 この頃EOS Kiss Digitalにシグマの18-125mmのズームレンズを付け、EOS3に28-135mmのズームレンズを付けて持参した。フィールド調査用の標準ズームレンズでは、28mm相当の画角と望遠側に135mmクラスの望遠が必須である。そんなデジタルとフィルムの二刀流だが、画質などといううるさいことを無視したこの二つのシステムは、大変実用的で快感になるぐらいに使いやすかった。キャノン特有のかんだかい金属音をなびかせ撮影していた事を思い出す。

2005年3月
広島県大崎上島木江地区
EOS3,EF28-135mm,フィルム:エクタクローム
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EOSな日2. デジタルデュープ

2016年03月04日 | field work
 EOSな日もせっかくシリーズタイトルを付けたのだから1枚位は画像をアップさせようとライブラリーを探していた。
 そしたらなんとフィルム時代のE0S3で撮影したスライド画像のデジタル・デュープを見つけた。丁度2005年の今頃の季節に瀬戸内や山陽路を訪れた時のものだ。伝統的建造物群保存地区の御手洗を始めとして、瀬戸内の古い集落を訪れていた。この画像もシリーズタイトルに加えよう。当然この時期のブログにも、この旅の話を掲載している。
 もともとスライドフィルム画像をニコンDfでデジタルデュープをつくり保存していたものだ。それは発色も解像度も低いデュープ画像であり、保存用だから画質は今一つだなとあきらめていた。それをPhotoshopで修正したらどうやら70% 位は再生されたようだ。色に関しては記憶色というほかない。その記憶も曖昧になりつつある。こんなフィルム時代の画像ストックが15,000枚はあるだろう。
 10年前か、随分よい時代だった。当時の旅の空気が再生されてくるようでもある。この時はフィルム一眼レフEOS3とデジタル一眼レフEOS Kissの二刀流だった。どちらも均等に使っていたころである。そう両方の機材が存在していた頃でもある。

2005年3月 広島県御手洗
EOS3 EF28-135mm,F3.5-5.6
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