木江地区の油屋を生業としてきた木造5階立ての建築である。画像では見えないが屋根を突き出て5階部分がある。このブログでは2008年2月21日に取り上げている。平地の少ない島だからこのような建築形態になったのだろう。
往事の人達の空間感覚が現代住宅よりは随分広くゆったりとしていた。現代のマンションなの各居室など、もうかっての民家の押し入れぐらいの広さしかないといってよい。ウサギ小屋と言われた所以である。
そうした空間感覚を狭小なものにしたのは、畳一帖の広さが小さくなっていった事に由来する。以来押し入れ的居室が一般化し、現代人は狭いのに慣れてしまったということだろう。私の感覚からすると住むためのスペースには最低限80㎡は必要であり、それが住宅の基本だと思っている。それより小さいとやはりウサギ小屋とか学生宿舎なのだろう。畳という基本モジュールのサイズが居住者の空間感覚を決めてきたのである。
にもかかわらず押し入れ的マンションが乱立するのは、私達の、そうした空間モジュールの体験を通じて、日常的なスケール感覚がすり込まれているのかもしれない。
さて明日は伝建地区倉吉に出張だ。そこまでゆけば、バスで20分先には三朝温泉がありWEBでみる景観はよさげだが、さて温泉に浸かっていると日帰りで京都に戻れない可能性もある。温泉はパスして帰りは鳥取の町を徘徊して都市構造などを調べるのに留めよう。なにしろ京都から特急列車で3時間半以上かかる。東京へ行くより遠いところがあるんだ。
EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6
エクタクロームⅡ
往事の人達の空間感覚が現代住宅よりは随分広くゆったりとしていた。現代のマンションなの各居室など、もうかっての民家の押し入れぐらいの広さしかないといってよい。ウサギ小屋と言われた所以である。
そうした空間感覚を狭小なものにしたのは、畳一帖の広さが小さくなっていった事に由来する。以来押し入れ的居室が一般化し、現代人は狭いのに慣れてしまったということだろう。私の感覚からすると住むためのスペースには最低限80㎡は必要であり、それが住宅の基本だと思っている。それより小さいとやはりウサギ小屋とか学生宿舎なのだろう。畳という基本モジュールのサイズが居住者の空間感覚を決めてきたのである。
にもかかわらず押し入れ的マンションが乱立するのは、私達の、そうした空間モジュールの体験を通じて、日常的なスケール感覚がすり込まれているのかもしれない。
さて明日は伝建地区倉吉に出張だ。そこまでゆけば、バスで20分先には三朝温泉がありWEBでみる景観はよさげだが、さて温泉に浸かっていると日帰りで京都に戻れない可能性もある。温泉はパスして帰りは鳥取の町を徘徊して都市構造などを調べるのに留めよう。なにしろ京都から特急列車で3時間半以上かかる。東京へ行くより遠いところがあるんだ。
EOS3,EF28-135mm/F3.5-5.6
エクタクロームⅡ