Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak5. カウンターカルチャー

2016年03月21日 | Nagoya city
 EOSとニコンの使い回しの連休が続く。
 この画像はDfにオールドニッコールレンズで撮影したものだ。オールドニッコールはパキンと大変シャープで小気味よく写る。それがこの時代のニッコールレンズの特徴である。当時私の回りのグラフィックの編集者達は、そんな理由からニコンを使っていた者が多い。版下原稿づくりでは、少しでもシャープな方が印刷結果がよい。まさに実験装置的ニコンであり、技があった時代のレンズである。今は技がなくても通用する時代だ。
 それはスケッチをみればわかる。デッサンをしてきた人達と、そうでない人達との差は歴然としている。そうでない人達は、IllustratorやPhotoshopを多用する。つまり線書きか筆書きタッチの世界である。当然漫画的表現が跋扈する。そうした安易で簡単な表現は1年も続けるとネタ切れになる。つまり何を書いても漫画的表現では同じ表現方法となり、描くこと自体に飽きてくるわけだ。世の中には、そうした漫画的表現が大量に出回り、例えば自治体のパンフレットは漫画ばかりでうざったい編集だし、病院の壁には下手くそな動物が描かれ、それでよしとされている。つまり小技の能力しかない人達が大量に登場してきた大道芸人的大衆文化的世界、あるいはカウンターカルチャーの社会とまとめておこう。カウンターカルチャーの方がエンターテイメントしやすいわけだ。
 時折iPhoneで撮影機材名をいれて海外のフォクグラファー達の風景写真を眺めていることがある。すると写真が日本人のそれとは決定的に違う。海外のフォトグラファー達の画像は、まず被写体の発色が俄然綺麗だし、撮影コンセプトや技術をきちんと勉強していると感じさせる内容のある画像が圧倒的に多い。
 それに引き替え日本では、WEBで紹介されている特ダネ的撮影名所の絵はがき的風景に飛行機に鉄道に車にハダカ画像ばかりだろ。よく撮れるのは機材によるけど、画像にはそれ以上のものではなく退屈だ。つまり機材に振り回されているかのようでもある。しかも不勉強を機材仕様の不足にするというのには笑ってしまう。だから機材仕様が変な方向に進化してゆき、結果としてつまらない画像を量産することになる。それは物事を考え表現する勉強を全くしてこなかったことの現れである。こうした傾向は大衆文化的カウンターカルチャーの表現と言わざるをえない。機材はよいけど、機材仕様論やテクニック論ばかりで頭つまりコンセプトや表現という方法論を勉強しないのが日本人が撮影した退屈な画像の要因ではなかろうか。
 漫画といい撮影といい、安易な方法で基礎の不勉強な人達がかき回してくれる大衆文化的カウンターカルチャーの世界がいまの日本の生活世界を支配している。日本人はそれで何が悪いというかもしれないが、本来の洗練されたコア・カルチャーがあって、その相対概念としてカウンターカルチャーが成立してくるのである。現代の日本の社会は本来の芸がなく大道芸しかないのであれば、この先世界からは誰も相手にしてくれないよ。世界の中の独りよがりの日本人と言い換えたらよいか。

名古屋市覚王山
NikonDf,Nikkor-SAuto35mm/F2.8
ISO100,露出補正0,f8.1/60
コメント
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