デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

ダイナ・ワシントンは名前すら知らないピアニストを雇った

2017-08-06 09:24:00 | Weblog
 先週話題にしたジョー・ザヴィヌルはシンセサイザー奏者としてフュージョン世代に人気がある。また、日本のファッション誌「Z」の表紙を毎号飾っていたことから知名度も高い。マイルスの「Bitches Brew」や、1971年に結成されたウェザーリポートの立役者としてつとに有名だが、意外なことにそれ以前の音楽活動は知られていない。キャノンボール・アダレイのバンドにいたことは前稿で紹介したが、その前は・・・

 Wikipediaによるとメイナード・ファーガソン楽団に採用されたあと、いきなりキャノンボールに飛ぶ。この間は書かれていない。この楽団は数箇月でクビになるが、在籍中テナー奏者が軍隊に召集されたことからオーディションをすることになり、これに立ち会っている。ジョージ・コールマンにエディ・ハリス、ウェイン・ショーターが受け、合格したのはショーターだった。キャリアのスタートに盟友と出会っている。解雇された経緯は機を改めるとして、キャノンボールのバンドに参加する前の2年間はダイナ・ワシントンのバックバンドにいた。メンバーはツアーや録音で流動的だが、参加した当時のメンバーが凄い。ケニー・バレルにリチャード・デイヴィス、ロイ・ヘインズだ。

 ジョーがバンドに入ってから2週間後にレコーディングが行われた。ジョーの音はミックスダウンの段階でほとんど消されているのが残念だが、ダイナ最大のヒット曲「What a Diff'rence a Day Makes」である。ダイナといえばクリフォード・ブラウンと火の出るようなセッションを繰り広げた「Dinah Jams」が人気盤だが、ストリングスをバックにしたダイナミックな歌唱も魅力だ。タイトル曲は勿論だが、サミー・カーンとジュール・スタインの名コンビが書いた「It's Magic」がグッとくる。ドリス・デイをスターにした曲だが、ソウルフルでハスキーな声も曲調に合っていて聴き惚れる。ブルースの女王の魔法なのだろう。

 ダイナとジョーが初めて出会ったのはアトランタのマグノリア・ボールルームでファーガソン楽団がダイナの前座を務めたときだ。その後バードランドで再会したとき、「アトランタでブルースを弾いていた人じゃない?」と声をかけられた。次の晩、ヴァンガードでのオープニング・ナイトに招待されたジョーはそこで何曲か演奏する。そのステージの上で採用が決まったという。「彼女は私の名前すら知らなかった」とジョーは回想している。縁は異なものだ。
コメント (4)
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