おそらく札幌市民の誰一人として2020年東京五輪のマラソンと競歩が札幌移転になるとは思っていなかったろう。9月末にドーハで開催された陸上世界選手権の女子マラソンで、高温多湿の影響により4割のランナーが途中棄権した事態を考慮してのことらしい。準備してき小池都知事や都民の怒りはわかるが、「ドーハの悲劇」(どこかで聴いたなぁ)を招くと開催地ばかりかIOCの責任問題にも発展するのでベストではないがベターな判断と思う。
一連の報道で度々耳にしたお名前が、IOC副会長のジョン・コーツ氏だ。ここから久しく忘れていたピアニストとレコードを思い出した。The Jazz Piano of John Coates Jr.・・・嗚呼、とあのキース・ジャレットに似たスタイルを思い出された方もおられるだろう。録音は1974年で、国内盤の発売は遅かったもののリアルタイムで輸入盤が出回り、随分と話題になったものだ。74年というとキースはアメリカでデューイ・レッドマンやチャーリー・ヘイデンと組む一方、ヤン・ガルバレクとヨーロピアン・カルテットを結成した絶頂期なので、早速キースのそっくりさんが現れたのかと思ったが、何と影響を受けたのはキースというから驚きだ。
ペンシルベニア州の片田舎のジャズ・クラブでハウス・ピアニストとして活動していたコーツをキースが聴いたのは高校生の時だったという。個性的なハーモニーやメロディーライン、動と静が織りなすリズムにキースが憧れたのもうなずける。これだけのピアニストが何故、この場所に甘んじていたのか不思議ではあるが、中央に出たからといって誰でもが録音の機会に恵まれ、名声と人気を得るわけではないし、音楽的な才能を伸ばせるとは限らない。都会の喧騒に邪魔されず、ミュージシャン間の競争に要らぬエネルギーを費やすよりも、空気の馴染んだ生地でひたすら自己の音楽を研鑽するのもジャズ・ピアニストとしての生き方のひとつだ。
マラソン開催の依頼があったとき、札幌市長は二つ返事で引き受けたという。市民の半数以上が開催に反対している2030年の冬季五輪の誘致につながると思ったのだろうか。警備態勢やボランティアの確保、そして費用負担と課題は山積みだ。更に短い札幌の夏を満喫できる大通公園のビアガーデンも発着点となるため開催が危ぶまれている。言わば市民を締め出す形だ。イベント成功と市民感情への配慮、日本ハムファイターズを札幌ドームから追い出した「実績」のある札幌市の手腕が見ものだ。
一連の報道で度々耳にしたお名前が、IOC副会長のジョン・コーツ氏だ。ここから久しく忘れていたピアニストとレコードを思い出した。The Jazz Piano of John Coates Jr.・・・嗚呼、とあのキース・ジャレットに似たスタイルを思い出された方もおられるだろう。録音は1974年で、国内盤の発売は遅かったもののリアルタイムで輸入盤が出回り、随分と話題になったものだ。74年というとキースはアメリカでデューイ・レッドマンやチャーリー・ヘイデンと組む一方、ヤン・ガルバレクとヨーロピアン・カルテットを結成した絶頂期なので、早速キースのそっくりさんが現れたのかと思ったが、何と影響を受けたのはキースというから驚きだ。
ペンシルベニア州の片田舎のジャズ・クラブでハウス・ピアニストとして活動していたコーツをキースが聴いたのは高校生の時だったという。個性的なハーモニーやメロディーライン、動と静が織りなすリズムにキースが憧れたのもうなずける。これだけのピアニストが何故、この場所に甘んじていたのか不思議ではあるが、中央に出たからといって誰でもが録音の機会に恵まれ、名声と人気を得るわけではないし、音楽的な才能を伸ばせるとは限らない。都会の喧騒に邪魔されず、ミュージシャン間の競争に要らぬエネルギーを費やすよりも、空気の馴染んだ生地でひたすら自己の音楽を研鑽するのもジャズ・ピアニストとしての生き方のひとつだ。
マラソン開催の依頼があったとき、札幌市長は二つ返事で引き受けたという。市民の半数以上が開催に反対している2030年の冬季五輪の誘致につながると思ったのだろうか。警備態勢やボランティアの確保、そして費用負担と課題は山積みだ。更に短い札幌の夏を満喫できる大通公園のビアガーデンも発着点となるため開催が危ぶまれている。言わば市民を締め出す形だ。イベント成功と市民感情への配慮、日本ハムファイターズを札幌ドームから追い出した「実績」のある札幌市の手腕が見ものだ。