色あせた紫陽花を背に
門扉の内側に屈み
私は待っていた
これなら通行人に見られることはない
玄関ドアのノブが回り
この家の主人が出てきた
私はゆっくり立ち上がった
訝しげにこちらを見た
左手の写真と比べながら近づいた
そっくりとはいえない
名前を尋ねた
違うとはいわなかった
男に囁きかけるように身体を寄せ
右手のナイフを肝臓の位置に定め
刺し通してから抉った
前にのめろうとする男を支え
首筋を抱えこんで
玄関前の小さな階段に座らせた
かすかな溜息が洩れた
男か私のどちらが発したものか
少し考えた
門扉を閉めながら
酔いつぶれたように頭を垂れた
男を一瞥した
振り向きざまに
何か柔らかいものに触れた
10歳くらいの男の子が立っていた
いつからそこにいたのか
愚鈍な顔つきで私を見ていた
とっさにその子の手を引いて
歩き出した
住宅街では車は人目につく
乗ってこなかったのは正しい
悔む必要はないと自分に言い聞かせた
とにかく駅まで歩くしかない
しばらくして小さな商店街が見えてきた
男の子の緊張が少し和らぐのを右手に感じた
コンビニでアイスクリームを買い与えた
釣り銭も握らせると
男の子の表情がほころんだ
両手にアイスと小銭を握ったまま
困った表情を浮かべていた
アイスを持ってやり
小銭を握った手を開いてやったら
眼を開いて数えていた
信頼の表情が浮かんだ
コンビニの裏手で
男の子がアイスを舐め終わるまで
20分以上はかかった
「家はあの近くなのか」
「うん」
「お父さんは何してる」
「いない」
「お母さんは」
「ビール屋さん」
「酒屋なのか」
「ううん、ビール屋さん」
「ビール工場にでも勤めているのか」
「ビール屋さん」
「このあたりにビール工場なんかないぞ」
「お母さんがそういった」
「嘘つけ、お母さんはどこで働いている」
「駅のほう」
「駅のどこだ」
私は木切れを拾って地面に直線を引いた
捨ててあったコーヒーの空き缶を真ん中に置いて
ここが駅だと示した
男の子は瞳を輝かせて地面に見入り
「ここに自転車屋さんがあって、
ゲーム屋さんがあって、
なんでもない屋さんがあって、
床屋さんの隣」
といった
ほどなく駅の北口に床屋を見つけた
なんでもない屋さんといったのは
閉じた小児科医院のようだった
その一角には酒屋もビール工場もなかったが
男の子は嘘をついてはいなかった
たしかにそこでは毎晩たくさんのビールを売っている
いまは廃車の下で仰向けになっている男の子の
行方を気にするのは
その母親くらいなものだろう
上着の裾に付いたコーンの屑を払った
「殺し屋さんだね」
そんな声が聞こえた気がした
溜息をついたのは誰なのか
今度は考えるまでもなかった
(6/25/02)
門扉の内側に屈み
私は待っていた
これなら通行人に見られることはない
玄関ドアのノブが回り
この家の主人が出てきた
私はゆっくり立ち上がった
訝しげにこちらを見た
左手の写真と比べながら近づいた
そっくりとはいえない
名前を尋ねた
違うとはいわなかった
男に囁きかけるように身体を寄せ
右手のナイフを肝臓の位置に定め
刺し通してから抉った
前にのめろうとする男を支え
首筋を抱えこんで
玄関前の小さな階段に座らせた
かすかな溜息が洩れた
男か私のどちらが発したものか
少し考えた
門扉を閉めながら
酔いつぶれたように頭を垂れた
男を一瞥した
振り向きざまに
何か柔らかいものに触れた
10歳くらいの男の子が立っていた
いつからそこにいたのか
愚鈍な顔つきで私を見ていた
とっさにその子の手を引いて
歩き出した
住宅街では車は人目につく
乗ってこなかったのは正しい
悔む必要はないと自分に言い聞かせた
とにかく駅まで歩くしかない
しばらくして小さな商店街が見えてきた
男の子の緊張が少し和らぐのを右手に感じた
コンビニでアイスクリームを買い与えた
釣り銭も握らせると
男の子の表情がほころんだ
両手にアイスと小銭を握ったまま
困った表情を浮かべていた
アイスを持ってやり
小銭を握った手を開いてやったら
眼を開いて数えていた
信頼の表情が浮かんだ
コンビニの裏手で
男の子がアイスを舐め終わるまで
20分以上はかかった
「家はあの近くなのか」
「うん」
「お父さんは何してる」
「いない」
「お母さんは」
「ビール屋さん」
「酒屋なのか」
「ううん、ビール屋さん」
「ビール工場にでも勤めているのか」
「ビール屋さん」
「このあたりにビール工場なんかないぞ」
「お母さんがそういった」
「嘘つけ、お母さんはどこで働いている」
「駅のほう」
「駅のどこだ」
私は木切れを拾って地面に直線を引いた
捨ててあったコーヒーの空き缶を真ん中に置いて
ここが駅だと示した
男の子は瞳を輝かせて地面に見入り
「ここに自転車屋さんがあって、
ゲーム屋さんがあって、
なんでもない屋さんがあって、
床屋さんの隣」
といった
ほどなく駅の北口に床屋を見つけた
なんでもない屋さんといったのは
閉じた小児科医院のようだった
その一角には酒屋もビール工場もなかったが
男の子は嘘をついてはいなかった
たしかにそこでは毎晩たくさんのビールを売っている
いまは廃車の下で仰向けになっている男の子の
行方を気にするのは
その母親くらいなものだろう
上着の裾に付いたコーンの屑を払った
「殺し屋さんだね」
そんな声が聞こえた気がした
溜息をついたのは誰なのか
今度は考えるまでもなかった
(6/25/02)