先の戦争で亡くなった人について、私たちの国家は適切な対応をしてこなかったということは気にするべきだ。国家として適切な対応をしてこなかったのに、英霊と祀ったり戦争の犠牲者と悼んだり、ましてや慰霊などというのは欺瞞を通り越して冒涜と呼ぶべきだろう。適切な対応とは何か。まずは遺骨収集である。靖国神社法案の上程の頃から、一部の有志の細々とした活動を除いて、遺骨収集活動は実質的に沙汰止みになった。兵士たちの遺骨の大半はアジア各地の戦地で野ざらしのままである。沖縄を訪れば、いまでも各地にしゃれこうべはざくざく残っている。荼毘に臥されてはじめて遺骨と呼ぶ。ただの骨片である。もちろん、それは国家の責任であるが、そうした国家を60年認めてきた国民の無責任を問う必要はないか。もういいかげんに靖国をめぐる嘘っぱちの言説を斥けるべきだ。多くの人は、戦争で死んだ人のことなど忘れてきたのではないか。ひゅんと死んだ竹内の詩にあるように、男たちは事務に、女たちは化粧に忙しかったのではないか。戦後直後から今日まで。不戦の誓いと平和の祈念を政治家の口から聞く度に、とくに遺骨収集の所管官庁である厚生大臣をつとめた政治家が心底から信じているかのように口を尖らすのを見るとき、「嘘をつけっ」という声がどこからか木霊してほしいと思う。しかし、死者の木霊も言霊もない。ないのにあるというのはバカであり、ないのにあるかのように振る舞うのは悪人である。靖国を凝視すれば、そこまでいく。靖国か、新たな慰霊施設か、どちらも必要ないと断じたいところだが、虚偽を具体化しているだけ、靖国の方が実際的だろう。
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