ボサノバ(新しい傾向という意味)音楽の来歴と、1960年代のボサノバ創世記を彩る個性的な音楽家や詩人の群像をインタビューを中心に紹介した記録映画である。もちろん、サンバに代表されるブラジル音楽の系譜、アメリカでは「ブラジリアン・ジャズ」と紹介された1960年代の音楽シーン、コードやリズムやメロディを微妙にずらしていくギター奏法の工夫とボーカルといった技術的な革新などについては、まったく知らなかった。
しかし、ボサノバのマエストロといわれた、いまは亡きアントニオ・カルロス・ジョビン(映画の中ではトム・ジョビンと呼ばれている)が、「あなたは世界で2番目に多くの国々で演奏された音楽家です。1番目はビートルズですが」と賛辞を捧げられたように、俺も曲名こそすぐには挙げられないが、いくつものボサノバの歌や曲を聴いてきている。ちなみに、トム・ジョビンは、「1番目はビートルズですが」に対して、「向こうは4人で、こちらは一人だけれどね」と笑ったそうだが、この映画を観ると、その笑いはたぶん照れ笑いではなかったかと思う。
在りし日のトム・ジョビンは語っている。「当時、ボサノバは非商業音楽と思われていた。誰も売ろうとは思っていなかった」。映画に登場するボサノバ音楽の創成者たちが語るトム・ジョビンとは、「ボサノバ音楽最大最高の作曲家であり、編曲家だった」「全ミュージシャンのアイドルだった」「トム・ジョビンはボサノバより偉大だった」。ジャズのバリトンサックス奏者のジェリー・マリガンやフランク・シナトラとも共演したトム・ジョビンが、ボサノバを商業音楽ではないと思っていたのだ。ましてや、後年、お洒落を鼻にかけた気取った店のBGMとして流れるなんて思ってもみなかったわけだ。
ボサノバは、けっして声を張らず、小声で語る囁くような歌唱と、かき鳴らさない爪弾くギターの音色を特色とする。なぜそうなったか。作曲家の一人はいう。「コパ(コパカナーナ)にアパート群が立ち並びはじめた頃、音楽ではない別の仕事を終えた仲間たちが、そんなアパートの一室に集まっては、夜毎、作曲した曲を持ち寄って演奏していたんだ。コパのアパートは、壁が5cmほどの厚さしかない。すぐに「うるさいっ、眠れないぞ!」と壁が叩かれる。それでだんだん声を小さくし、ギターの音も抑えていったのさ」。そんな風に演奏されていたボサノバの当初の愛好者は大学生たちだった。ボサノバの歌手や演奏家が一堂に会した最初の大コンサートは、カトリック大学の広場で開かれた。
次々にボサノバの代表曲や名曲が紹介されていくのだが、演歌と同様どの歌も同じに聞こえてしまう。歌詞もその音に似て、言葉少なく、話し言葉中心の平易なものが多い。翻訳で読む限りは、陳腐で平板とも読める。が、当時としては、口語体で詩を書く、歌詞にすることは画期的な事件だったらしい。トム・ジョビンに歌詞を提供して、ボサノバ詩を創った代表的な詩人がヴィニシウス・モラエスという人だそうだ。この2人を評して、ある女性ボサノバ歌手は、「ボサノバ音楽の聖と俗が出会ったのよ」という。ボサノバの出現によって、口語体詩という革命が起こったらしいのだ。
かくしてトム・ジョビンは、コンサート会場にもかかわらず、隣に座っている恋人に語りかけるように歌ったのである。観客がざわめいていたり、いっそう耳目を引き寄せたいときには、彼はますます声と音を小さくしていった。そんな歌や曲が、「ボサノバ(新しい傾向)」として一部には面白がられても、ブラジルでさえ主流になるとは思えなかったろうし、ましてや世界の音楽マーケットでヒットするなんて、夢想だにしなかっただろう。
ラフマニノフを愛聴し、クラシック音楽の造詣も深いトム・ジョビンの風貌が魅力的だ。どうしてかモノクロ写真のスナップには、人の精神性を映す作用があるようだ。強い意志と繊細な知性が同居した黒い瞳、真剣な表情にはなっても気難しくはならず、そこはかとないユーモアが漂う男らしい太い稜線で象られた顔。誰もが師弟となりたがるマエストロだが、その教えかたは優しい。ある作曲家は、「トム・ジョビンはけっして、その音は間違っているとはいわなかった。僕の曲をピアノで弾いてみて、ある音の所にくると、あ、間違えた、という。また最初から弾いて、また、間違えたという。何度かそれを繰り返し、僕が、間違えた音の方がよいというと、そうかいとニッコリする。人をよい方向に導いていくんだ」と想い出を語る。
ジャズファンには、前出のジェリー・マリガンの「ワンノート・サンバ」やアストラッド・ジルベルトと共演したスタン・ゲッツのゆったりしたテナーサックス音がすぐに甦るものだ。しかし、「ブラジリアン・ジャズ」だという定義には、出演者のみなが反対していた。音楽評論家は、トム・ジョビンがブラジル音楽の誰それを聴いて育った、誰それの影響を色濃く受けていたと分析して、ボサノバの母はサンバであり、トム・ジョビンが影響を受けたとすれば、それはジャズよりラベルやショパンなどではなかったかと推測する。ある演奏家の一人は、私見と断って、ボサノバは12世紀の南仏の吟遊詩人の歌や曲に似ていると語っている。
「イパネマの娘」の大ヒットで知られる作曲家であり歌手でもあるジョアン・ジルベルトの仲間の一人は、有名になる前のジョアンについてこう語っている。「クラブが引けた後、よく二人で海岸を散歩した。その頃、私は精神的なものに惹かれていた。ヨガだよ」「ジョアンは、それはすばらしいねといった」「ヨガは人に幸福をもたらす。でも真の幸福は、人々が連帯し、誰もが等しく幸福になることなんじゃないかな、といった」「彼はマルクスや共産主義の話をはじめた」「この国には、貧困が満ち溢れている。彼がはじめて、社会主義というものに私の眼を見開かせてくれた」「いまでは誰も信じない話だが、ジョアンはそんな人だった」
ボサノバとは何か。その静かで優しい調べと語りを創り愛した人々は、若い理想を胸に抱き、自分たちの感覚に合った歌や音を探していた、アマチュアか、アマチュアに近い音楽家たちだったようだ。ボサノバとは何か。作曲家の一人は、こう語っている。「ボサノバは心のありようだ」。別の一人は、「女性への敬愛に溢れた音楽」だという。そして、「ボサノバはブラジルの理想なんだ」と語っていた。
しかし、ボサノバのマエストロといわれた、いまは亡きアントニオ・カルロス・ジョビン(映画の中ではトム・ジョビンと呼ばれている)が、「あなたは世界で2番目に多くの国々で演奏された音楽家です。1番目はビートルズですが」と賛辞を捧げられたように、俺も曲名こそすぐには挙げられないが、いくつものボサノバの歌や曲を聴いてきている。ちなみに、トム・ジョビンは、「1番目はビートルズですが」に対して、「向こうは4人で、こちらは一人だけれどね」と笑ったそうだが、この映画を観ると、その笑いはたぶん照れ笑いではなかったかと思う。
在りし日のトム・ジョビンは語っている。「当時、ボサノバは非商業音楽と思われていた。誰も売ろうとは思っていなかった」。映画に登場するボサノバ音楽の創成者たちが語るトム・ジョビンとは、「ボサノバ音楽最大最高の作曲家であり、編曲家だった」「全ミュージシャンのアイドルだった」「トム・ジョビンはボサノバより偉大だった」。ジャズのバリトンサックス奏者のジェリー・マリガンやフランク・シナトラとも共演したトム・ジョビンが、ボサノバを商業音楽ではないと思っていたのだ。ましてや、後年、お洒落を鼻にかけた気取った店のBGMとして流れるなんて思ってもみなかったわけだ。
ボサノバは、けっして声を張らず、小声で語る囁くような歌唱と、かき鳴らさない爪弾くギターの音色を特色とする。なぜそうなったか。作曲家の一人はいう。「コパ(コパカナーナ)にアパート群が立ち並びはじめた頃、音楽ではない別の仕事を終えた仲間たちが、そんなアパートの一室に集まっては、夜毎、作曲した曲を持ち寄って演奏していたんだ。コパのアパートは、壁が5cmほどの厚さしかない。すぐに「うるさいっ、眠れないぞ!」と壁が叩かれる。それでだんだん声を小さくし、ギターの音も抑えていったのさ」。そんな風に演奏されていたボサノバの当初の愛好者は大学生たちだった。ボサノバの歌手や演奏家が一堂に会した最初の大コンサートは、カトリック大学の広場で開かれた。
次々にボサノバの代表曲や名曲が紹介されていくのだが、演歌と同様どの歌も同じに聞こえてしまう。歌詞もその音に似て、言葉少なく、話し言葉中心の平易なものが多い。翻訳で読む限りは、陳腐で平板とも読める。が、当時としては、口語体で詩を書く、歌詞にすることは画期的な事件だったらしい。トム・ジョビンに歌詞を提供して、ボサノバ詩を創った代表的な詩人がヴィニシウス・モラエスという人だそうだ。この2人を評して、ある女性ボサノバ歌手は、「ボサノバ音楽の聖と俗が出会ったのよ」という。ボサノバの出現によって、口語体詩という革命が起こったらしいのだ。
かくしてトム・ジョビンは、コンサート会場にもかかわらず、隣に座っている恋人に語りかけるように歌ったのである。観客がざわめいていたり、いっそう耳目を引き寄せたいときには、彼はますます声と音を小さくしていった。そんな歌や曲が、「ボサノバ(新しい傾向)」として一部には面白がられても、ブラジルでさえ主流になるとは思えなかったろうし、ましてや世界の音楽マーケットでヒットするなんて、夢想だにしなかっただろう。
ラフマニノフを愛聴し、クラシック音楽の造詣も深いトム・ジョビンの風貌が魅力的だ。どうしてかモノクロ写真のスナップには、人の精神性を映す作用があるようだ。強い意志と繊細な知性が同居した黒い瞳、真剣な表情にはなっても気難しくはならず、そこはかとないユーモアが漂う男らしい太い稜線で象られた顔。誰もが師弟となりたがるマエストロだが、その教えかたは優しい。ある作曲家は、「トム・ジョビンはけっして、その音は間違っているとはいわなかった。僕の曲をピアノで弾いてみて、ある音の所にくると、あ、間違えた、という。また最初から弾いて、また、間違えたという。何度かそれを繰り返し、僕が、間違えた音の方がよいというと、そうかいとニッコリする。人をよい方向に導いていくんだ」と想い出を語る。
ジャズファンには、前出のジェリー・マリガンの「ワンノート・サンバ」やアストラッド・ジルベルトと共演したスタン・ゲッツのゆったりしたテナーサックス音がすぐに甦るものだ。しかし、「ブラジリアン・ジャズ」だという定義には、出演者のみなが反対していた。音楽評論家は、トム・ジョビンがブラジル音楽の誰それを聴いて育った、誰それの影響を色濃く受けていたと分析して、ボサノバの母はサンバであり、トム・ジョビンが影響を受けたとすれば、それはジャズよりラベルやショパンなどではなかったかと推測する。ある演奏家の一人は、私見と断って、ボサノバは12世紀の南仏の吟遊詩人の歌や曲に似ていると語っている。
「イパネマの娘」の大ヒットで知られる作曲家であり歌手でもあるジョアン・ジルベルトの仲間の一人は、有名になる前のジョアンについてこう語っている。「クラブが引けた後、よく二人で海岸を散歩した。その頃、私は精神的なものに惹かれていた。ヨガだよ」「ジョアンは、それはすばらしいねといった」「ヨガは人に幸福をもたらす。でも真の幸福は、人々が連帯し、誰もが等しく幸福になることなんじゃないかな、といった」「彼はマルクスや共産主義の話をはじめた」「この国には、貧困が満ち溢れている。彼がはじめて、社会主義というものに私の眼を見開かせてくれた」「いまでは誰も信じない話だが、ジョアンはそんな人だった」
ボサノバとは何か。その静かで優しい調べと語りを創り愛した人々は、若い理想を胸に抱き、自分たちの感覚に合った歌や音を探していた、アマチュアか、アマチュアに近い音楽家たちだったようだ。ボサノバとは何か。作曲家の一人は、こう語っている。「ボサノバは心のありようだ」。別の一人は、「女性への敬愛に溢れた音楽」だという。そして、「ボサノバはブラジルの理想なんだ」と語っていた。