コタツ評論

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アメリカンギャングスター

2008-08-28 23:47:52 | レンタルDVD映画
『アメリカンギャングスター』
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD11888/

アメリカギャング史上、初の「黒人ビジネスマン」フランク・ルーカスの栄光と挫折。ハーバードビジネススクールの企業研究(ケーススタディ)のように、NYハーレムを拠点としたフランクの麻薬組織の成立が跡づけられる。イタリアマフィアから学んだ家族を中軸とする組織論、原産地から直接買い付ける流通改革、輸入における特権的なリスクとコスト管理、それらによる高品質と低価格の実現、そしてフランクのリーダーシップと企業家精神。

フランク以前、ハーレムの黒人ギャングは白人マフィアの下請けに過ぎなかった。『ゴッドファーザー』の大マフィア会議で、ドン・コルレオーネ(マーロン・ブランド)は、黒人街で麻薬を売ることは認めるが、白人の子どもに売るのはけっして許さないと釘を刺す場面があった。フランクの安全保障と引き換えに提携を持ちかけるイタリアマフィアのボスは、「お前の成功のおかげで、何万人もの売人や中間業者が職を失った」と「業界の秩序を乱した」と非難する。

フランクは自分が卸す麻薬を小分けした袋に「ブルーマジック」と印刷して卸す。「ブルーマジック」を薄めて粗悪品を売る大物売人に、「ブランドイメージを傷つけた」と責め、「商品名を変えろ」と通告するのだ。とてもギャングには見えない優等生顔のデンゼル・ワシントンがフランクを演じることで、ときどき取扱い商品が麻薬であることを忘れてしまうくらい。フランクのような創意工夫と行動力に富んだビジネスマンが扱える商品と参入できる市場が麻薬以外になかったわけだ。

この映画のユニークさのひとつは、フランク以下、麻薬ビジネスマンたちにほとんど罪悪感が伺えないという点だ。もちろん、麻薬の害悪を訴える悲惨なショットは何度も挿入されるが、まさしくスナップであり、挿し絵として後景に引いている。フランクの市場改革によって、麻薬が大衆化され、フランクがNYの麻薬王にのし上がる一方、「麻薬禍」はそれ以前より広く深くアメリカ社会を浸食した。フランク以後の麻薬との全面戦争を描いた『トラフィック』のような地獄図を生んだ、麻薬の罪と罰に迫る問題意識は、この映画にはほとんどみられない。

それは時代が違うというだけでなく、うがちすぎかもしれないが、あの悪名高い「黒人映画」(黒人収奪映画)の流れを組む映画だからではないかとも思える。だとすれば、サブプライムのような貧民をターゲットにして金儲けを狙う「貧困ビジネス」(『ルポ 貧困大国アメリカ』)として麻薬ビジネスを描くわけもない。アメリカ最大最強の「貧困ビジネス」とは、繰り返し、ありもしない「アメリカンドリーム」をアメリカ国民に刷り込む映画ビジネスにほかならないのだから。

(敬称略)

何を言おうと俺の勝手

2008-08-28 00:13:48 | ノンジャンル
「言論の自由」というから、しゃっちょこばる。「何を言おうと俺の勝手」と言い換えれば、もっと自由になれるし、責任の在処をきちんと問える。

『偏屈老人の銀幕茫々』(石堂淑朗 筑摩書房)

を読んでいてニヤリとした箇所。

高校生の頃から、76歳の現在まで、クラシック党を任じてきた石堂淑朗は、最近ではリヒャルト・シュトラウスにはまっているらしい。

「(リヒャルト・シュトラウスは)やはりナチスドイツ時代にヒトラーと喧嘩しつつもチャンと活躍していたことで戦後何となく敬遠されているのであった。私はナチスにさして反感は持っていないから逆に不満である」

こういうことをさらりといえるところが、石堂淑朗らしい。脳梗塞で左半身が不自由のうえに、狭心症で死に損なった老人だからこそ得た「言論の自由」、つまり「何を言おうと俺の勝手」なのかもしれない。

石堂のような境地に達せないならば、「言論の自由」とはあくまで政治制度と考え、国家権力の介入にだけ反対するにとどめ、個人間に使うことは控えるべきだと思う。「言論の自由」云々と事挙げしたくなったら、「何を言おうと俺の勝手」と言い換えてみて、自らの覚悟と許容範囲を問うてみたらよい。

(敬称略)