『文章読本』(丸谷才一 中央公論社 1977年刊)
丸谷才一といえば、7月に亡くなった国語学者の大野晋の訃報に、「本居宣長より偉大な人が亡くなった」とコメントしていたと記憶する。さすが『文章読本』をものするだけに、比較が凄い。本書にもそれに近い比較が見受けられる。たとえば、折口信夫の祝詞(のりと)は加茂馬淵よりはるかに傑作だとか。すると、シェークスピアより偉大な劇作家やドストエフスキーより凄い小説家や宮本武蔵より強い武道家などが、現代にもいそうな気がして嬉しくなる。そんな剣豪小説を読むような痛快さが、『文章読本』を読む楽しみのひとつだろう。
著者が選び出した名文の数々の、どこがどのように優れているかを「技芸」として解説した入門書だが、名文の構造を通して、当然日本語と日本文化の構造にその筆は及び、その長所と短所を縦横に論じ、さらに例文となった名文の主題をより一層明確に印象づけようと試みてもいる。たとえば、吉行淳之介『戦中少数派の発言』や柳宗悦『朝鮮の木工品』などが、その反戦や反植民地という主題や思想によって選ばれたのではもちろんない。
吉行や柳の一筋縄ではいかないという意味において深い反戦・反植民地思想が、どのような言葉と文章を織りなすことで表現されているか、丸谷は鮮やかな手つきで慎重かつ大胆に木地と形を削り出す。柳宗悦が『朝鮮の木工品』のなかで、朝鮮の木工における自然の実現について、「だから加工ではあるが、自然の本能より、もっと自然の意志をはっきり充たすのである」というと同様に、書き手の素地と修練を通して、日本人の精神史といったものを捉えようとしているようだ。
『あらすじで読む名作』と同様に、これ一冊でさまざまな文筆家の文章芸とその鑑賞のしかたがわかるという「名文読本」といえるが、「自分も名文を書きたい」という読者には、丸谷は手痛いしっぺ返しを終盤に用意している。ひとつは、論理的に書くために日本語以外の外国語を学ぶこと。ふたつは、何かを書く必然性が内にあること。軽い気持ちで、文章が上手く書けるようになれば、と本書を手にした人は鼻白むのではないか。しかし、本書における丸谷の一貫とした主張は、日本語の成熟と完成はまだこれから、日本人は挙げてその責務を負っている、というものだから、それはしかたがない。
以下は、各章立てと名文の著作者一覧。
第一章 小説家と日本語
第二章 名文を読め
第三章 ちょっと気取って書け
第四章 達意といふこと
第五章 新しい和漢混淆文
第六章 言葉の綾
第七章 言葉のゆかり
第八章 イメージと論理
第九章 文体とレトリック
第十章 結構と脈絡
第十一章 眼と耳と頭に訴える
第十二章 現代文の条件
谷崎潤一郎、志賀直哉、世阿弥、石川淳、佐藤春夫、斎藤緑雨、酒井抱一、荻生狙來、横井也有、柳宗元、鴨長明、永井荷風、尾崎一雄、「日本國憲法」、「大日本帝國憲法」、林達夫、幸徳秋水、『古事記』、藤原定家、新井白石、『伊勢物語』、『古今和歌集』、本居宣長、羽鳥千尋、森鴎外、田村隆一、内田百ケン、川端康成、芥川比呂志、『源氏物語』、吉田健一、宇野千代、大内兵衛、吉行淳之介、泉鏡花、堀口大學、『平家物語』、井伏鱒二、大岡昇平、幸田露伴、坪井忠二、小沼丹、吉田秀和、竹越与三郎、柳宗悦、小倉朗、石田幹之助、山口剛。
(敬称略)
丸谷才一といえば、7月に亡くなった国語学者の大野晋の訃報に、「本居宣長より偉大な人が亡くなった」とコメントしていたと記憶する。さすが『文章読本』をものするだけに、比較が凄い。本書にもそれに近い比較が見受けられる。たとえば、折口信夫の祝詞(のりと)は加茂馬淵よりはるかに傑作だとか。すると、シェークスピアより偉大な劇作家やドストエフスキーより凄い小説家や宮本武蔵より強い武道家などが、現代にもいそうな気がして嬉しくなる。そんな剣豪小説を読むような痛快さが、『文章読本』を読む楽しみのひとつだろう。
著者が選び出した名文の数々の、どこがどのように優れているかを「技芸」として解説した入門書だが、名文の構造を通して、当然日本語と日本文化の構造にその筆は及び、その長所と短所を縦横に論じ、さらに例文となった名文の主題をより一層明確に印象づけようと試みてもいる。たとえば、吉行淳之介『戦中少数派の発言』や柳宗悦『朝鮮の木工品』などが、その反戦や反植民地という主題や思想によって選ばれたのではもちろんない。
吉行や柳の一筋縄ではいかないという意味において深い反戦・反植民地思想が、どのような言葉と文章を織りなすことで表現されているか、丸谷は鮮やかな手つきで慎重かつ大胆に木地と形を削り出す。柳宗悦が『朝鮮の木工品』のなかで、朝鮮の木工における自然の実現について、「だから加工ではあるが、自然の本能より、もっと自然の意志をはっきり充たすのである」というと同様に、書き手の素地と修練を通して、日本人の精神史といったものを捉えようとしているようだ。
『あらすじで読む名作』と同様に、これ一冊でさまざまな文筆家の文章芸とその鑑賞のしかたがわかるという「名文読本」といえるが、「自分も名文を書きたい」という読者には、丸谷は手痛いしっぺ返しを終盤に用意している。ひとつは、論理的に書くために日本語以外の外国語を学ぶこと。ふたつは、何かを書く必然性が内にあること。軽い気持ちで、文章が上手く書けるようになれば、と本書を手にした人は鼻白むのではないか。しかし、本書における丸谷の一貫とした主張は、日本語の成熟と完成はまだこれから、日本人は挙げてその責務を負っている、というものだから、それはしかたがない。
以下は、各章立てと名文の著作者一覧。
第一章 小説家と日本語
第二章 名文を読め
第三章 ちょっと気取って書け
第四章 達意といふこと
第五章 新しい和漢混淆文
第六章 言葉の綾
第七章 言葉のゆかり
第八章 イメージと論理
第九章 文体とレトリック
第十章 結構と脈絡
第十一章 眼と耳と頭に訴える
第十二章 現代文の条件
谷崎潤一郎、志賀直哉、世阿弥、石川淳、佐藤春夫、斎藤緑雨、酒井抱一、荻生狙來、横井也有、柳宗元、鴨長明、永井荷風、尾崎一雄、「日本國憲法」、「大日本帝國憲法」、林達夫、幸徳秋水、『古事記』、藤原定家、新井白石、『伊勢物語』、『古今和歌集』、本居宣長、羽鳥千尋、森鴎外、田村隆一、内田百ケン、川端康成、芥川比呂志、『源氏物語』、吉田健一、宇野千代、大内兵衛、吉行淳之介、泉鏡花、堀口大學、『平家物語』、井伏鱒二、大岡昇平、幸田露伴、坪井忠二、小沼丹、吉田秀和、竹越与三郎、柳宗悦、小倉朗、石田幹之助、山口剛。
(敬称略)