不快顔をさせたら日本一の猪瀬さんですから、不快顔を見せつけられてバカにされたり、無視されたりしてきたマスコミ記者が、猪瀬さんの「高転び」に沸き立っています。
猪瀬東京都知事の過激なイスタンブール攻撃に「オリンピック招致規則違反」の懸念
http://getnews.jp/archives/331394
アスリートにとって最善のオリンピック開催地は(リオデジャネイロで2016年に開催される予定の)ブラジルのように社会インフラが整備され、近代的な施設がある国だ。我々(日本)もそれらの条件を満たしている。
しかし、(トルコを含む)イスラム教国は、アッラーの教義を絶対とする階級社会で、内戦に明け暮れている。そのような国は開催国にふさわしくない。
「イスラム教国初の開催」と言うが、それは「仏教国初」や「キリスト教国初」と同様に重要な意味を持つものではない。
トルコは日本よりも平均年齢がはるかに若く、貧しいので子供がたくさん生まれる。日本は人口増加も止まり、高齢化が進んでいるが健康的で落ち着いた生活を送っている。トルコの国民も長生きしたいと思っているのは同じだろう。彼らは早死にしたくないのならば、日本と同様の文化を創造すべきである。
この通りの発言だとすれば、オリンピック招致規則と照合などせずとも、一般的にいっても、下品にして非常識な発言です。ただし、五輪招致のための公務ですから、同行した東京都のPR担当か五輪招致のPR担当の落ち度でもあります。まず、知事と想定問答をインタビュー前に確認しておくべきであり、インタビュー後には原稿をチェックする必要がありました。もちろん、事前にインタビュアーの過去記事や人となりを把握しておくのも、PR担当としてはごくあたりまえの仕事です。
そんなあたりまえの仕事をPR担当がしなかったとは考えにくいから、猪瀬さんが「いいからいいから」とはしょったのかもしれません。とすれば、自身ジャーナリストとして多くのインタビュー経験があり、インタビュアーが日本人記者でもあるので、多寡をくくったのかもしれません。いずれにせよ、まったく異なる他の理由があったにしろ、「ほんとにこんなバカなこと云ったのかよ」と信じがたいほど、お粗末な発言です。
そのような国は開催国にふさわしくない。
「イスラム教国初の開催」と言うが、それは「仏教国初」や「キリスト教国初」と同様に重要な意味を持つものではない。
政治家自身がネガティブキャンペーンをする論外については、誰でも知っていることです。石原慎太郎前都知事に影響されたのかもしれないが、キャラクターが違いすぎます。好悪は別にして、石原慎太郎は戦後の文化人スターの代表の一人です。政治家となって老練さを身につけ、それなりの愛嬌もあり、つねに国内に限った発言をしています。残念ながら、猪瀬さんにはそのいずれの与件もありません。真似たとすれば、ひどい勘違いです。
また、イスラム諸国の内戦に、アメリカをはじめ旧宗主国が関係していることは周知の事実です。イスラム原理主義勢力VS民主化を求める市民の「内戦」を「どっちもどっちのケンカ」とするなら、それは「民主化」側に立つIOCをはじめとする欧米主導の国際社会の「理念」や「正義」を貶めるものです。同様に、欧米の「侵略」と「専横」と闘っているつもりのイスラム原理主義勢力も、敵に回す発言になることはいうまでもありません。
「どっちもどっち」という判断や見解は、一見、ニュートラルで公平なようですが、「俺から見ればどっちもどっちだよ」と「上から目線」を売り込む場合が多いものです。子どものケンカならともかく、いうなれば世界を二分する勢力の上に立とうとするとは、ちょっと猪瀬さんを見くびっていたのかもしれません。
彼らは早死にしたくないのならば、日本と同様の文化を創造すべきである。
日本の平均寿命が世界一であることを誇っているのですが、ならばトルコだけでなく、世界の国々に対し、「日本と同様の文化を創造すべき」といっているに等しいわけです。オリンピック招致に向けて、日本や東京への共感や共生感を醸成するために取材を受けているはずなのに、「長生きしたけりゃ、日本文化に学べ」では、反発しか招きません。
いうまでもなく、文明は共有できますが、文化は民族固有のものですから、非常識きわまる発言でもあります。とりわけ、親日国といわれるトルコにとっては、きわめて不当といえる発言です。西欧文明を普及させた例外的なイスラム国にして、その反動としてクルド人など民族独立運動に苦しむトルコに、日本文化という民族文化を学べと説教するとは、ちょっとどころか、おおいに猪瀬さんを見直さなければなりません。
真意が伝わらなかった
猪瀬さんはそう弁明しているようです。その後、「言葉足らずであり、私の不徳の致すところ、関係者の皆様にお詫びする」と続けば、日本の場合は水に流しておしまいです。ですが、外国にはこの弁明も謝罪も通用しません。「真意をねじ曲げた」とNYTに抗議しないのは、さすがにPR担当もインタビューに同席して録音やメモをとっていて、記事内容には文句をつけられないと判断したからでしょう。
ほとんど無風選挙で都知事になった苦労知らずが、この脇の甘さにつながったのかもしれません。石原慎太郎前都知事は戦後文化人のスターであり続けていますが、政治家としては挫折をくり返し、都知事選挙でも苦杯をなめています。肩を並べられない猪瀬さんとしては、副知事が分相応だったといわれないために、石原さん以上の実績を上げねばならず、石原さんができなかったオリンピック招致にのめり込むあまりの失言かもしれません。
しかし、ヨットマンとしてワッペン付きのブレザーを着慣れた石原さんにはオリンピックは似合うが、猪瀬さんには似合いません。東京マラソンのときも、ただただ場違いな印象をふりまいただけでした。だいたい、ベルサーチのスーツが似合わないというか、スーツ姿そのものが似合わない人です。都職員ジャンパーでも着込んで、地味ながら都民に有益な実績を積み上げる方が、柄に合っていると思います。どうせ、再選はないのだし。