「他人様(ひとさま)に迷惑をかけてはいけない」は翻訳可能かどうかわからないが、世界中どこへ行っても通用する戒律だと思う。個人間や周辺という範囲において、遂行的に言われたり思われるなら、ほとんど「美しいルールだ」とさえ思える。
だが、その目的語が会社や社会や国家、あるいは国民などに無前提に拡大し、人間の顔がない組織や機構や集団に向けて、事後的に「迷惑をかけてしまった」と謝罪に使われるとき、この言葉本来の自戒を込めた謙虚な物言いという核心はまったく損なわれる。
たとえば、安田一平氏が、昨日の「謝罪記者会見」で「皆様にご迷惑を…」と言い淀んだのはたぶんその抵抗感であり、東電裁判で、「国民に多大な迷惑をかける事故を起こした企業の経営トップとしての責任を問われている勝俣元会長」という慣用へ私たちが違和感を感じるゆえんだろう。
迷惑? あれほどの危機が? これほどの被害が? アメリカ軍がシリア空爆で民間人を誤爆して殺してしまったとき、死傷者やその遺家族に対して、「皆さんに、多大なご迷惑をおかけして」とアメリカがコメントを出す場面を想像してほしい。まだ「遺憾である」が空疎なだけでも、よりましな気がするくらいだ。
「迷惑をかけてはいけない」対象が、「他人様(よそさま)」にとどまらず、それ以上に拡大解釈されるようになった。他人様の集合である「世間様」と自らに引き寄せるのではなく、ともすれば夜郎自大的に使われるようになった
家の前を掃除したり、ゴミ出しの分別をいい加減にしない、電車やバスでは座席に詰めて座る、人や車の通行をジャマしないように歩くなど、気がつけばすぐに直せる正せるそれぞれの自主ルールと、企業のコンプライアンス(法令順守)違反などが別次元なのは誰しもわかるのに、「迷惑」が援用されるのはなぜか。
「迷惑」を使うことによって、あたかも個人やいくつかの部署間にとどまるかのように問題を矮小化することができ、すぐにも是正できるような印象を与えて、結果として企業責任を過少に見積もらせようとする意図があるからだろう。そこまでは企業防衛という立場を考えてみれば、わからない理屈ではない。
わからないのは、「他人様(世間様)に迷惑をかけてはいけない」というご近所の言葉が、企業や社会、国家にまで援用されることで、もはや自主ルールといえないほど抑圧的な責め言葉になったことに、多くの人が違和感を持たないことだ。
他者から発せられるときはほとんど断罪に近く、自らが発語する場合は遁辞であれ自白の面持ちが求められ、頭を垂れて薄毛頭を晒す首脳や幹部が映った画面と相まって、「世間様」の留飲を下げ、ときには同情を引いていることだ。
「他人様(世間様)に迷惑をかけてはいけない」という言葉が、「思いやり」という、どこまでも人へ向けた言葉と対であることを思えば、今、これほど実質と離れて使われている言葉もないだろう。
私たちは待っていたのではないか。安田一平氏が帰国後初の記者会見で、「国民の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことをあらためてお詫びします」と頭を下げる場面を。それだけを期待したのではなかったか。
まるで、延長10回、ソフトバンクの柳田悠岐が広島カープの守護神の中崎投手からサヨナラホームランを打った場面をスポーツニュースダイジェストで視るように。
チコちゃんなら、「ボーっと生きてんじゃねえよ!!」と喝を入れる場面だ。
(敬称略したり、しなかったり)
だが、その目的語が会社や社会や国家、あるいは国民などに無前提に拡大し、人間の顔がない組織や機構や集団に向けて、事後的に「迷惑をかけてしまった」と謝罪に使われるとき、この言葉本来の自戒を込めた謙虚な物言いという核心はまったく損なわれる。
たとえば、安田一平氏が、昨日の「謝罪記者会見」で「皆様にご迷惑を…」と言い淀んだのはたぶんその抵抗感であり、東電裁判で、「国民に多大な迷惑をかける事故を起こした企業の経営トップとしての責任を問われている勝俣元会長」という慣用へ私たちが違和感を感じるゆえんだろう。
迷惑? あれほどの危機が? これほどの被害が? アメリカ軍がシリア空爆で民間人を誤爆して殺してしまったとき、死傷者やその遺家族に対して、「皆さんに、多大なご迷惑をおかけして」とアメリカがコメントを出す場面を想像してほしい。まだ「遺憾である」が空疎なだけでも、よりましな気がするくらいだ。
「迷惑をかけてはいけない」対象が、「他人様(よそさま)」にとどまらず、それ以上に拡大解釈されるようになった。他人様の集合である「世間様」と自らに引き寄せるのではなく、ともすれば夜郎自大的に使われるようになった
家の前を掃除したり、ゴミ出しの分別をいい加減にしない、電車やバスでは座席に詰めて座る、人や車の通行をジャマしないように歩くなど、気がつけばすぐに直せる正せるそれぞれの自主ルールと、企業のコンプライアンス(法令順守)違反などが別次元なのは誰しもわかるのに、「迷惑」が援用されるのはなぜか。
「迷惑」を使うことによって、あたかも個人やいくつかの部署間にとどまるかのように問題を矮小化することができ、すぐにも是正できるような印象を与えて、結果として企業責任を過少に見積もらせようとする意図があるからだろう。そこまでは企業防衛という立場を考えてみれば、わからない理屈ではない。
わからないのは、「他人様(世間様)に迷惑をかけてはいけない」というご近所の言葉が、企業や社会、国家にまで援用されることで、もはや自主ルールといえないほど抑圧的な責め言葉になったことに、多くの人が違和感を持たないことだ。
他者から発せられるときはほとんど断罪に近く、自らが発語する場合は遁辞であれ自白の面持ちが求められ、頭を垂れて薄毛頭を晒す首脳や幹部が映った画面と相まって、「世間様」の留飲を下げ、ときには同情を引いていることだ。
「他人様(世間様)に迷惑をかけてはいけない」という言葉が、「思いやり」という、どこまでも人へ向けた言葉と対であることを思えば、今、これほど実質と離れて使われている言葉もないだろう。
私たちは待っていたのではないか。安田一平氏が帰国後初の記者会見で、「国民の皆様に多大なご迷惑をおかけしたことをあらためてお詫びします」と頭を下げる場面を。それだけを期待したのではなかったか。
まるで、延長10回、ソフトバンクの柳田悠岐が広島カープの守護神の中崎投手からサヨナラホームランを打った場面をスポーツニュースダイジェストで視るように。
チコちゃんなら、「ボーっと生きてんじゃねえよ!!」と喝を入れる場面だ。
(敬称略したり、しなかったり)