高見順の「いやな感じ」からの引用箇所は、私娼窟の探訪記事のようでもあるが、当初、週刊朝日記者だった川本三郎も、500円だけを握りしめて東京の最下層を訪ね歩くというルポ記事を命じられて書いていた。
その取材のなかで、ミニチュアウサギを売る露天商の手下になったりする。売り物のウサギを全部死なしてしまった失策から、兄貴分に殴る蹴るの制裁を受けながら懸命に謝り続ける露天商を横目に、へらへら顔で金勘定をする川本三郎記者。
気の好い露天商を騙して記事を書く「後ろめたさ」を自覚しながら、眼前の暴力はやり過ごせるのは、菊井と同様に、その「暴力革命論」への理解が空理空論に過ぎず、高見順のように「下層貧民」を我が同胞とし、その「いやな感じ」さえ肉感的に受けとめる自意識は持ち合わせなかった。
というのが、当時の川本三郎のような活動家やシンパの若者に対する、後世代であるこの映画の監督や脚本家の批評的な立脚点だろう。
もっといえば、山本義隆になれなかった菊井良治、東大の山本義隆は思想犯として扱われ、日大の菊井良治はたんなる殺人犯とされたという川本の慚愧を踏まえながらも、スクープ報道をめぐる記者の葛藤というこの映画(原作も含めて)の枠組みから逃れようとしている。
そのためか、川本の取材活動の是非や当時の朝日新聞など報道機関の問題性、あるいはそれと表裏をなす可能性などについては未整理のまま、いわゆる社会派映画としての理路に乏しく物足りなく思えるはずだ。
社会派映画としての枠組みを逃れようとして、はたして映画はどこに向かったのかは、冒頭のミニチュアウサギを売る露天商の手下になる場面に明らかにされている。
エピローグとなる最後に、逮捕されて朝日新聞社を馘になり、ジャーナリストになる夢破れ、フリーライターとしてメディアの片隅にしがみついて、腑抜けのようになっている川本三郎が、ふと目についた小さな居酒屋の暖簾をくぐる。「いらっしゃい」と迎えた声の持ち主は、なんとかつて騙して取材したミニチュアウサギを売る露天商だった。
いまでは女房子どももある居酒屋の主人として出会った露天商に、懐かし気に話しかけられて動揺する川本三郎元記者。
最底辺の暮らしをしていた露天商が、この10年余で生活者として地歩を築きながら、いまだに川本を宿無しと信じていて、「お前のことを心配していたんだよ」という笑顔に、込み上げて川本は泣く。
かつてはインチキ露天商いまは居酒屋主人であるこの人物こそが、川本並びに、川本と表裏一体であった菊井良治に対比されて、彼らの「闘争」も「報道」も無化されたのである。川本の涙は自己憐憫だけではなく、その呪縛から解放され救われたことによるものだ。
それは高見順の「いやな感じ」とは逆に、庶民や市民の立場から、山本義隆や滝田修、川本三郎たちジャーナリストが属する思想の「上層」に向けて、映画の作り手が「いやな感じ」という視点を貫いたエンディングとして重なるものだ。
この映画の監督や脚本家ほどではないが、やや後世代として川本らに感情移入できないその「感じ」はよくわかる。彼らにとって、「理解不能」な69~71年という学園紛争時代に、庶民や市民に対置させた批評性になかば同意したい気もする。
ただし、繰り返すが、事実として、「安田講堂攻防戦」は学生運動の頂点ではなくその落日の表れであるように、69~71年はすでに遅延証明が出されていた時期である。
また、「安田砦」に立て籠もって機動隊と激しく戦った学生たちに東大生はごく少なく、菊井良治のような私大生や地方国公立大生に大多数が占められていた。東大全共闘はとっくに後景に退いていた。
60年安保世代とは大きく違って、70年当時の学生活動家たちは出自もその思想も庶民であり、大衆化した大学において、「大衆」そのものであった。
逮捕覚悟で集会に参加した「英雄的」な山本義隆を冒頭近くに持ってきた作り手の意図は、山本義隆の退場を描いて、菊井良治登場を予感させるものだったはずだ。ならば、菊井良治が山本義隆になれなかったのではなく、その逆だともいえる。
菊井良治のうさんくささやいかがわしさ、虚言と大言壮語、不純と狡猾などは、当時の「学生大衆」にとって、それほど珍しいものではなかったはずだ。そして、菊井良治は一場哲雄陸士長を刺殺していない。計画指揮はしても、実行犯ではないのである。
大衆社会が用意準備してやがて供給するものが何であったか。今日のネットをみればおよそのことはわかるはずだ。
大学のタテカンをはじめ、新聞社の乱雑なデスク群、学生アパートの部屋内など、当時を再現した美術がすばらしかった。
Bob Dylan "My Back Pages" (ABSOLUTE BEST EVER) LIVE 23 Oct 1998 Minneapolis
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(続く)
その取材のなかで、ミニチュアウサギを売る露天商の手下になったりする。売り物のウサギを全部死なしてしまった失策から、兄貴分に殴る蹴るの制裁を受けながら懸命に謝り続ける露天商を横目に、へらへら顔で金勘定をする川本三郎記者。
気の好い露天商を騙して記事を書く「後ろめたさ」を自覚しながら、眼前の暴力はやり過ごせるのは、菊井と同様に、その「暴力革命論」への理解が空理空論に過ぎず、高見順のように「下層貧民」を我が同胞とし、その「いやな感じ」さえ肉感的に受けとめる自意識は持ち合わせなかった。
というのが、当時の川本三郎のような活動家やシンパの若者に対する、後世代であるこの映画の監督や脚本家の批評的な立脚点だろう。
もっといえば、山本義隆になれなかった菊井良治、東大の山本義隆は思想犯として扱われ、日大の菊井良治はたんなる殺人犯とされたという川本の慚愧を踏まえながらも、スクープ報道をめぐる記者の葛藤というこの映画(原作も含めて)の枠組みから逃れようとしている。
そのためか、川本の取材活動の是非や当時の朝日新聞など報道機関の問題性、あるいはそれと表裏をなす可能性などについては未整理のまま、いわゆる社会派映画としての理路に乏しく物足りなく思えるはずだ。
社会派映画としての枠組みを逃れようとして、はたして映画はどこに向かったのかは、冒頭のミニチュアウサギを売る露天商の手下になる場面に明らかにされている。
エピローグとなる最後に、逮捕されて朝日新聞社を馘になり、ジャーナリストになる夢破れ、フリーライターとしてメディアの片隅にしがみついて、腑抜けのようになっている川本三郎が、ふと目についた小さな居酒屋の暖簾をくぐる。「いらっしゃい」と迎えた声の持ち主は、なんとかつて騙して取材したミニチュアウサギを売る露天商だった。
いまでは女房子どももある居酒屋の主人として出会った露天商に、懐かし気に話しかけられて動揺する川本三郎元記者。
最底辺の暮らしをしていた露天商が、この10年余で生活者として地歩を築きながら、いまだに川本を宿無しと信じていて、「お前のことを心配していたんだよ」という笑顔に、込み上げて川本は泣く。
かつてはインチキ露天商いまは居酒屋主人であるこの人物こそが、川本並びに、川本と表裏一体であった菊井良治に対比されて、彼らの「闘争」も「報道」も無化されたのである。川本の涙は自己憐憫だけではなく、その呪縛から解放され救われたことによるものだ。
それは高見順の「いやな感じ」とは逆に、庶民や市民の立場から、山本義隆や滝田修、川本三郎たちジャーナリストが属する思想の「上層」に向けて、映画の作り手が「いやな感じ」という視点を貫いたエンディングとして重なるものだ。
この映画の監督や脚本家ほどではないが、やや後世代として川本らに感情移入できないその「感じ」はよくわかる。彼らにとって、「理解不能」な69~71年という学園紛争時代に、庶民や市民に対置させた批評性になかば同意したい気もする。
ただし、繰り返すが、事実として、「安田講堂攻防戦」は学生運動の頂点ではなくその落日の表れであるように、69~71年はすでに遅延証明が出されていた時期である。
また、「安田砦」に立て籠もって機動隊と激しく戦った学生たちに東大生はごく少なく、菊井良治のような私大生や地方国公立大生に大多数が占められていた。東大全共闘はとっくに後景に退いていた。
60年安保世代とは大きく違って、70年当時の学生活動家たちは出自もその思想も庶民であり、大衆化した大学において、「大衆」そのものであった。
逮捕覚悟で集会に参加した「英雄的」な山本義隆を冒頭近くに持ってきた作り手の意図は、山本義隆の退場を描いて、菊井良治登場を予感させるものだったはずだ。ならば、菊井良治が山本義隆になれなかったのではなく、その逆だともいえる。
菊井良治のうさんくささやいかがわしさ、虚言と大言壮語、不純と狡猾などは、当時の「学生大衆」にとって、それほど珍しいものではなかったはずだ。そして、菊井良治は一場哲雄陸士長を刺殺していない。計画指揮はしても、実行犯ではないのである。
大衆社会が用意準備してやがて供給するものが何であったか。今日のネットをみればおよそのことはわかるはずだ。
大学のタテカンをはじめ、新聞社の乱雑なデスク群、学生アパートの部屋内など、当時を再現した美術がすばらしかった。
Bob Dylan "My Back Pages" (ABSOLUTE BEST EVER) LIVE 23 Oct 1998 Minneapolis
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(続く)