日本が沖縄を守らないのに、アメリカは日本を守ってくれる。そう信じられる人がいるのが、私には信じられない。
丸山真男に「抑圧移譲」という言葉がある。強者に抑圧された弱者がさらに弱者を抑圧することだ。当然、普天間問題では、アメリカ→日本→沖縄という構図になる。鳩山は、アメリカ←日本/沖縄という弱者連合を組もうとした。ところが、内閣支持率20%台に低下という世論調査が示すとおり、この連合はできなかった。「国外移転」や「最低でも県外」という「沖縄県民の思い」に同意・同感する日本国民の声が上がらなかったどころか、国民の多くは「県内移設」で決着することを期待しているかのようだ。新聞・雑誌・インターネットを渉猟する限り、「基地はいらない」「米軍は出ていけ」という当然の主張や論陣はほとんど見かけなかった。
また、先日、民主党の山岡賢次国対委員長が、普天間問題を「国民生活と関係ない雲の上の話だ」と「失言」して、民主党の沖縄糸満市議から、「謝罪と撤回」を求められた件もまた、国民世論が「県内移設」で決着を求めていることををうかがわせるものだった。たぶん、党員を前にした山岡国対委員長の発言意図は、「普天間問題に国民の関心はそれほど高くない、来る参院選にそれほど悪影響は及ぼさない」という現状認識を示し、党員や所属議員の不安を沈静化したかったのだろう。
逆に言えば、末端党員や市議レベル、所属議員から、「迷走する普天間問題を抱える民主党」への落胆が広がっているという声を少なからず山岡が聴き、危機感を抱いていたからこそ、件の発言となったと思われる。党員や所属議員の声とは、いうまでもなく地元の支持者たちや不支持者たちの声を集約したものである。「迷走」とは解決の道が示されないことを指すが、この場合の解決の道とは、沖縄県民の思いに与して、普天間基地の国外移転や県外移転を押し進められない鳩山内閣を不甲斐ないとするものではなく、その逆のベクトルであると理解した山岡は、その名前のとおり、賢明にも普天間問題などないものにしようとしたと思える。
しかし、山岡の理解は、本当に正しいのだろうか? そして、「県内移設」で決着して、普天間問題などなかったかのように、私たち日本国民は忘れ去ることができるだろうか。私たちは、米軍基地の国外移転をめざした私たちの首相が、アメリカの高官から、「ルーピー(クルクルパー)」と罵られた屈辱を記憶から消せるだろうか。消せるかもしれない。アメリカと一緒に、「ルーピー鳩山」と唱和すればよい。そして、アメリカの抑圧を「沖縄の問題」に棚上げして、これまでどおり、枕を高く寝ればよい。「アメリカの機嫌を損ねさえしなければ、安心だ」と布団を被って。
丸山真男は、「抑圧移譲の原理」といった。抑圧を受けた弱者は、必ずさらに弱者を抑圧して、自らが受けた抑圧の屈辱と怒りを晴らそうとする。そうしなければ、自己の尊厳が保てず、自己同一性が侵されるからだ。さて、沖縄が抑圧移譲先になるだろうか。かつて、沖縄戦で米軍と死闘して「負けなかった」沖縄県民の子孫たちは、手強い相手だ。ならば、抑圧移譲は誰に対して行われるか。社会的弱者に向かうしかない。これから、女や子ども、老人、障害者、病者、外国人が苛められる世の中に少しずつなっていくだろう。「原理」であるならば。
しかし、まだ手はある。日本中どこも、「米軍基地の引き受け先はありません」と鳩山が泣きべそをかいて、アメリカに国外移転を訴えるのだ。もしかすれば、泣く子が地頭に勝てるかもしれない。いつまでも泣き続けていれば。
(敬称略)
また、先日、民主党の山岡賢次国対委員長が、普天間問題を「国民生活と関係ない雲の上の話だ」と「失言」して、民主党の沖縄糸満市議から、「謝罪と撤回」を求められた件もまた、国民世論が「県内移設」で決着を求めていることををうかがわせるものだった。たぶん、党員を前にした山岡国対委員長の発言意図は、「普天間問題に国民の関心はそれほど高くない、来る参院選にそれほど悪影響は及ぼさない」という現状認識を示し、党員や所属議員の不安を沈静化したかったのだろう。
逆に言えば、末端党員や市議レベル、所属議員から、「迷走する普天間問題を抱える民主党」への落胆が広がっているという声を少なからず山岡が聴き、危機感を抱いていたからこそ、件の発言となったと思われる。党員や所属議員の声とは、いうまでもなく地元の支持者たちや不支持者たちの声を集約したものである。「迷走」とは解決の道が示されないことを指すが、この場合の解決の道とは、沖縄県民の思いに与して、普天間基地の国外移転や県外移転を押し進められない鳩山内閣を不甲斐ないとするものではなく、その逆のベクトルであると理解した山岡は、その名前のとおり、賢明にも普天間問題などないものにしようとしたと思える。
しかし、山岡の理解は、本当に正しいのだろうか? そして、「県内移設」で決着して、普天間問題などなかったかのように、私たち日本国民は忘れ去ることができるだろうか。私たちは、米軍基地の国外移転をめざした私たちの首相が、アメリカの高官から、「ルーピー(クルクルパー)」と罵られた屈辱を記憶から消せるだろうか。消せるかもしれない。アメリカと一緒に、「ルーピー鳩山」と唱和すればよい。そして、アメリカの抑圧を「沖縄の問題」に棚上げして、これまでどおり、枕を高く寝ればよい。「アメリカの機嫌を損ねさえしなければ、安心だ」と布団を被って。
丸山真男は、「抑圧移譲の原理」といった。抑圧を受けた弱者は、必ずさらに弱者を抑圧して、自らが受けた抑圧の屈辱と怒りを晴らそうとする。そうしなければ、自己の尊厳が保てず、自己同一性が侵されるからだ。さて、沖縄が抑圧移譲先になるだろうか。かつて、沖縄戦で米軍と死闘して「負けなかった」沖縄県民の子孫たちは、手強い相手だ。ならば、抑圧移譲は誰に対して行われるか。社会的弱者に向かうしかない。これから、女や子ども、老人、障害者、病者、外国人が苛められる世の中に少しずつなっていくだろう。「原理」であるならば。
しかし、まだ手はある。日本中どこも、「米軍基地の引き受け先はありません」と鳩山が泣きべそをかいて、アメリカに国外移転を訴えるのだ。もしかすれば、泣く子が地頭に勝てるかもしれない。いつまでも泣き続けていれば。
(敬称略)
沖縄戦に動員された日本軍は、116,400人、そのうち94,136人、80%が死んだ。
当時の沖縄県の人口は、491,912人、そのうち約94,000人、約20%が死んだ。
日本軍は米軍に皆殺しにされるまで闘い抜いたといって過言ではないだろう。
沖縄県民はその総力を挙げて米軍と闘ったといって過言ではないだろう。
老人から乳幼児まで含め、5人に1人という死亡率は凄まじい。さらにその60%、55,246人は県民の戦闘参加者による「戦死」が占めている。
ここで奇妙な数字の一致に気がつく。日本軍の戦死者数と沖縄県民の死者数が、約94,000人で一致している。その合計188,000人は、沖縄上陸戦に投入された米軍の183,000人と一致する。
また、県民の戦闘参加者の死者55,246人を日本軍と同じ戦死率80%とすると、戦闘参加者の総数は69,057人と推計され、これに日本軍116,400人を合計すれば、やはり185,457人となり、米軍の183,000人と一致する。
つまり、この試算に基づけば、米軍の上陸部隊18万人に対し、在沖縄の軍民18万人が闘い、それぞれ9万人、計18万人が戦死したともいえる。一方、米軍の戦死者は12,520人。この戦死者数の非対称に、沖縄軍民の絶望的な闘いの有様がうかがえる。
ひとりひとりの死を背景とした数字を弄ぶかのような不遜をあえて試みたのは、沖縄戦における沖縄県民の死とは、戦没者とひとしなみに扱われる、戦争に巻き込まれたことによる死などではなく、「戦死」に限りなく近い死であったことを再確認したかったからだ。
沖縄戦に投入された米軍総兵力は、後方部隊を合わせると54万人とされる。1平方メートル当たり10トンもの艦砲射撃や爆撃をした後に、上陸した18万人の米兵から12,520人もの戦死者を出したことになる。
米軍は圧倒的な装備で沖縄戦に臨み、ほとんど一方的に沖縄軍民の殺戮をしながら、軍民混成の日本軍の頑強な抵抗に遭い、1か月とした沖縄陥落の計画を3か月に長引かせるほど苦戦した。
18万人に対して12,520人の戦死者を比べれば、沖縄側はまさに玉砕、全滅に等しいわけだが、本土決戦を準備するための時間稼ぎという、沖縄戦の当初の目的を果たしたのも事実である。つまり、作戦上は日本がアメリカに勝ったともいえる。
沖縄根拠地隊司令官だった大田実海軍少将は、自決する前、海軍次官に宛て、最後の電報を打った。長文であるが、将兵の奮戦などには一切触れず、ただ沖縄県民の苦闘の日々を淡々と述べ、あの有名な「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という言葉で結んだ。
なぜ、沖縄に米軍基地が集中し、なぜ、沖縄から、たったひとつの基地すら減らすことができないか。「古証文」を読み直しても罰は当たるまい。そこには、私たちの負債が書いてある。
しかし、それでもなお、本土の安全のために、沖縄にこれまでどおり米軍基地も核も必要だというなら、沖縄県民の県内移設に反対する声に、私たちは反対の声を上げるべきだ。それが道理というものだろう。
私たちの反対の声は、次の参院選において、県外移設・国外移転を模索した民主党を敗北させるため、自民党に投票することで実現する。米軍に頼らぬ本土防衛の準備が整うまで、沖縄県民にはこの先も耐えてもらうしかない。そういうべきだ。
普天間問題とは、米軍が居座り、出ていかない、という問題ではない。本土と沖縄、本土の国民と沖縄県民の間の問題である。納得しない沖縄県民に対して、私たちがどう対応するかという問題である。
「アメリカが難色を示している」「難しい問題だ」と他人事にして済まされる問題ではないはずだ。かつて、沖縄県民は本土を守った。米軍に安全保障を委ねてきたというなら、戦後65年、沖縄は本土を守ってきた。しかし、私たちが沖縄を守ることはない。
そうはっきりというべきだ。それをいわないなら、没義道である。
※戦死者数や戦没者数は、沖縄県援護課のデータに拠る。沖縄県の戦没者数は、15~20万人まで諸説あるようだ。また、米軍の戦死者数も、実際は12,520人以上ではないかという説もある。
当時の沖縄県の人口は、491,912人、そのうち約94,000人、約20%が死んだ。
日本軍は米軍に皆殺しにされるまで闘い抜いたといって過言ではないだろう。
沖縄県民はその総力を挙げて米軍と闘ったといって過言ではないだろう。
老人から乳幼児まで含め、5人に1人という死亡率は凄まじい。さらにその60%、55,246人は県民の戦闘参加者による「戦死」が占めている。
ここで奇妙な数字の一致に気がつく。日本軍の戦死者数と沖縄県民の死者数が、約94,000人で一致している。その合計188,000人は、沖縄上陸戦に投入された米軍の183,000人と一致する。
また、県民の戦闘参加者の死者55,246人を日本軍と同じ戦死率80%とすると、戦闘参加者の総数は69,057人と推計され、これに日本軍116,400人を合計すれば、やはり185,457人となり、米軍の183,000人と一致する。
つまり、この試算に基づけば、米軍の上陸部隊18万人に対し、在沖縄の軍民18万人が闘い、それぞれ9万人、計18万人が戦死したともいえる。一方、米軍の戦死者は12,520人。この戦死者数の非対称に、沖縄軍民の絶望的な闘いの有様がうかがえる。
ひとりひとりの死を背景とした数字を弄ぶかのような不遜をあえて試みたのは、沖縄戦における沖縄県民の死とは、戦没者とひとしなみに扱われる、戦争に巻き込まれたことによる死などではなく、「戦死」に限りなく近い死であったことを再確認したかったからだ。
沖縄戦に投入された米軍総兵力は、後方部隊を合わせると54万人とされる。1平方メートル当たり10トンもの艦砲射撃や爆撃をした後に、上陸した18万人の米兵から12,520人もの戦死者を出したことになる。
米軍は圧倒的な装備で沖縄戦に臨み、ほとんど一方的に沖縄軍民の殺戮をしながら、軍民混成の日本軍の頑強な抵抗に遭い、1か月とした沖縄陥落の計画を3か月に長引かせるほど苦戦した。
18万人に対して12,520人の戦死者を比べれば、沖縄側はまさに玉砕、全滅に等しいわけだが、本土決戦を準備するための時間稼ぎという、沖縄戦の当初の目的を果たしたのも事実である。つまり、作戦上は日本がアメリカに勝ったともいえる。
沖縄根拠地隊司令官だった大田実海軍少将は、自決する前、海軍次官に宛て、最後の電報を打った。長文であるが、将兵の奮戦などには一切触れず、ただ沖縄県民の苦闘の日々を淡々と述べ、あの有名な「沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という言葉で結んだ。
なぜ、沖縄に米軍基地が集中し、なぜ、沖縄から、たったひとつの基地すら減らすことができないか。「古証文」を読み直しても罰は当たるまい。そこには、私たちの負債が書いてある。
しかし、それでもなお、本土の安全のために、沖縄にこれまでどおり米軍基地も核も必要だというなら、沖縄県民の県内移設に反対する声に、私たちは反対の声を上げるべきだ。それが道理というものだろう。
私たちの反対の声は、次の参院選において、県外移設・国外移転を模索した民主党を敗北させるため、自民党に投票することで実現する。米軍に頼らぬ本土防衛の準備が整うまで、沖縄県民にはこの先も耐えてもらうしかない。そういうべきだ。
普天間問題とは、米軍が居座り、出ていかない、という問題ではない。本土と沖縄、本土の国民と沖縄県民の間の問題である。納得しない沖縄県民に対して、私たちがどう対応するかという問題である。
「アメリカが難色を示している」「難しい問題だ」と他人事にして済まされる問題ではないはずだ。かつて、沖縄県民は本土を守った。米軍に安全保障を委ねてきたというなら、戦後65年、沖縄は本土を守ってきた。しかし、私たちが沖縄を守ることはない。
そうはっきりというべきだ。それをいわないなら、没義道である。
※戦死者数や戦没者数は、沖縄県援護課のデータに拠る。沖縄県の戦没者数は、15~20万人まで諸説あるようだ。また、米軍の戦死者数も、実際は12,520人以上ではないかという説もある。