コタツ評論

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今夜は月の歌

2015-03-08 18:20:00 | 音楽
Fly me To The Moon [日本語訳付き]   ダイアナ・パントン


まずはポピュラーな Fly me To The Moon から。続いて、Moon River や Moonlight Serenade などにいくとお思いでしょうか(検索してみると、ダイアナ・パントンは前記のような moon の歌をいくつも歌っています)。

おおたか静流 三月の歌


月は入っているし、ときは3月。まあ、いいじゃないですか。作詞は谷川俊太郎、作曲は武満徹。石川セリのカバーです。

わたしは花を捨てて行く
ものみな芽吹く三月に

わたしは道を捨てて行く
子等のかけだす三月に

わたしは愛だけを抱いて行く
よろこびとおそれとおまえ

おまえの笑う三月に


諫山実生「月のワルツ」LIVE ver.


NHK「みんなの歌」の一曲だそうですが、知りませんでした。じつに楽しい。作詞は湯川れい子、作曲は諫山実生(いさやま みお)です。

こんなに月が蒼い夜は
不思議なことが起きるよ
どこか深い森の中で
さまようわたし

タキシード姿のウサギが来て
ワインはいかが? とテーブルへ
真っ赤なキノコの傘の下で
踊りが始まる

貴方は何処にいるの?
時間の国の迷子
帰り道が解らないの
待って待っているのに

眠れぬこの魂は
貴方を探し森の中
{月の宮殿(チャンドラ・マハル)}の王子さま
跪いてワルツに誘う -以下略-


(敬称略)

13歳と18歳

2015-03-04 23:03:00 | ノンジャンル
そうではないかもしれない。

浦島太郎の子は、人懐っこい少年でした。暴力を振るわれていることを聞きつけた友人たちが18歳少年の自宅へ抗議に押しかけるほど、年少ながら他人をして我が事のように心配させる人望がありました。

一方、自宅にひきこもっていた18歳少年は、迷惑被害を受けているという家族の通報でかけつけた警官に、威迫強要の「被害者」として事情を説明する羽目になりました。警官は18歳少年から借りた携帯電話で浦島太郎の子に電話をして、友人たちが口にしたような暴力被害を受けているのか確認しました。

なぜ、被疑者の携帯電話から被害者に連絡したのか、警察の配慮のなさが批判されていますが、それはさておき、まず注目すべきは18歳少年からの電話に浦島太郎の子が出たことです。暴力にただひるみ怯えていたのではなかったこのでした。そして、二人は電話でしばらく話し、警察官の被害確認の質問に対して、「18歳の少年とは仲良くなったから大丈夫」と答えて、浦島太郎の子その場を収めたのです。

18歳少年はどう思ったでしょうか? 支配しているはずの中学一年生の同級生たちに、家に押しかけられ家族に知られて、警察まで来る騒ぎです。その立つ瀬のない窮地を救ったのは、ほかならぬ浦島太郎の子がとりなした一言でした。はるか年下の13歳に情けをかけられ助けられたわけです。グループのリーダーという優位は跡形もなく消え、劣敗感にまみれたのでした。

浦島太郎の子は、衣類を身につけない裸で発見されました。18歳少年が「川に入れ」と命じたことに従って脱いだからでした。暴行脅迫されてとても逆らえなかったからでしょうか。そうではなく、ある意味では、自ら決意して川に入ったのかもしれません。18歳少年が望んだから川に入ったのですが、浦島太郎の子はその望みを誤解していました。そのとき、亀は川にはいませんでした。

18歳少年は、浦島太郎の子が溺れ死んでくれることを願っていました。冗談で命じたら溺れ死んでしまった、あるいは自殺したのかもしれない、といえるからです。その方が好都合というだけでなく、逡巡があったのでした。「死ね!」と強く念じていましたが、自ら手を下して殺すには、浦島太郎の子に圧倒されていたからです。しかし、浦島太郎の子は川に入り、川から上がってきて、寒さに震えながら眼前に立ちました。

浦島太郎の子は、どう思っていたのでしょうか? 18歳少年の子分になりたかった、グループの上下関係に居場所を見つけたかった。そうではありませんでした。ただ、いっしょに仲良く遊びたかったのです。生まれ育った島では年上年下の関係なく一緒に遊びます。都会の「先輩」や「後輩」という支配関係や遊びが万引きであることを知り、18歳少年とそのグループから離れることを思い決めていました。

殺される直前、同級生に、「翌日から登校する」と「LINE」でメッセージを送っています。その一方で、18歳少年の子分の17歳少年に、自分から「遊びませんか」と「LINE」して、18歳少年と合流しています。とても矛盾した行動です。「これが最後」とひどい暴力を振るわれることを覚悟の上、浦島太郎の子は18歳少年と別れるために会うつもりでした。

「川に入れ」と命じられたとき、当然、「死ぬかもしれない」と怖ろしい思いがしました。しかし、そこまでしなければグループを抜けることは許されない。と同時に、川に入れば許されるとも考えたのでした。18歳少年から、許されたいと浦島太郎の子は思ったのでした。年上でしたが、一時は「友だち」だったのですから。

逃げたり、拒んだりすれば、暴力を振るわれるでしょうが、それより川で溺れるほうがずっと怖かったはずです。島育ちで泳ぎは得意でしたが、海と川では勝手が違うし、水は凍るように冷たいはずです。でも、それで18歳少年の気が済むなら、仲間への面子が保てるなら、川に入るしかないと浦島太郎の子は思いました。そして、川から出たときに、これですんだと思ったのでした。

18歳少年は、「中学生に舐められて」と貧弱な語彙しか思い浮かばなかったが、ひどく追いつめられた気がしていました。いま眼前で、濡れて震えている貧弱な裸体を見て、いったいこいつの何をひどく気にしていたのだろうと不思議な気持ちがしました。自尊心の厚い甲羅がもどってきて、冷たい血がさらに冷えたのに、亀はひさしぶりに満足を覚えました。

18歳少年は家族がつけた弁護士を同道して警察に出頭しました。浦島太郎の子の通夜には、同じ中学に通う生徒ら500人が参列しました。

(以上は、事件を報道した新聞記事を素材に、推測によって再構成した創作です。為念)

250年前

2015-03-02 00:11:00 | ノンジャンル
浦島太郎の子は川崎に引っ越してフィリピーナの子に殺される。その子もかつてハーフゆえにイジメを受けている。年長者ばかり島では、「先輩」と遊ぶのは自然なこと。原日本と現日本の異質と異質の不幸な出会い。べつの「先輩」に虐待を打ち明けたことから、フィリピーナの子の家に同級生たちが押しかける騒ぎ。このとき警察沙汰になっている。その4日後に浦島太郎の子は死体となって河川敷で発見される。グループを抜けてべつの「先輩」を頼った「裏切り」に対する「処刑」である。事件を防げたはずの警察の責任は重い。弁護士同伴の出頭を異質だという声。同質を疑うことない銅の人々。



あなたはお互いに憎み合えとして、心を、またお互いに殺し合えとて、手をわれわれにお授けになったのではございません。苦しい、つかの間の人生の重荷に耐えられるように、われわれがお互い同士助け合うようにお計らいください…。

われわれの虚弱な肉体を包む衣装、どれをとっても完全ではないわれわれの言語、すべて滑稽なわれわれの慣習、それぞれ不備なわれわれの法律、それぞれがばかげているわれわれの見解、われわれの目には違いがあるように見えても、あなたの目から見ればなんら変わるところない、われわれ各人の状態。

それらのあいだにあるささやかな相違が、また「人間」と呼ばれる微小な存在に区別をつけているこうした一切のささやかな微妙な差が、憎悪と迫害の口火にならぬようお計らいください。

(宗教がからんだ冤罪事件を通して、フランス社会の狂信と強制に寄せた、ヴォルテールの『寛容論』」の一節。同書が出版されたのは1763年、日本では「享保の改革」の徳川吉宗の時代)