コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

今週の拾得物 愛のさざ波

2021-05-11 15:38:00 | ノンジャンル
今週の流行語といえば、これですね。

愛のさざ波 


左派政党から庶民が離れたのは、左派政党の責任だ
「トマ・ピケティ「欧米の左派政党は庶民ではなく、もはや高学歴者のための政党となった」

https://courrier.jp/news/archives/243521/

トランプ現象に対するひとつのエビデンスが紹介されている。日本の野党批判の背後にあるどす黒いまでの憎悪は、やはり政権与党に対する絶望の裏返しではないかと思う。

ため池に落ちると、なぜ命を落とすのか
https://news.yahoo.co.jp/byline/saitohidetoshi/20210510-00237132/

全国の小中高で教材にすべき良記事と実験ビデオ。プールや川、湖、海などで溺れている人を助けようと飛び込んで助けられるのは、経験や技術のある人に限られる。

池江璃花子さん「とても苦しい」。東京オリンピック辞退を求める一部の声に
https://www.huffingtonpost.jp/entry/tokyo_jp_6095e0a8e4b0aead1b83d4b7

池江さんのコメントを電通の手が入ったものと批判する人は、ちょっと女性のスポーツ選手に対して偏見があるか、この程度のコメントすら上出来すぎると思うほど、知的に不自由な人だと思う。あるいは、その両方か(というのもよく使われる、目配り利いている私アピール。明日は雨か晴れか、あるいは両方か、というのと同じ怯懦の産物)。

LIVE】参議院予算委員会 蓮舫参院議員(立憲民主党)質疑(5月10日)


安倍前首相のときには、こんな場面などけっして放映せず、木で鼻をくくったような答弁だけをつなげて、ニュースでは「快刀乱麻を断つ」風に編集をしていたのに、菅首相には手を抜いているのは不公平というもの。

『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』チーム研究の第一人者が唱える「心理的安全性」とは?
https://honz.jp/articles/-/45909

よくこの手のタイトルで売られている、いわゆる「ビジネス書」には、明日の企画会議用の読み捨てが多いが、さすがに「アメリカなんて国はない。ビジネスがあるだけだ」(映画ジャッキー・コーガン)の本場本家。「心理的安全性が多様性を担保して、イノベーションをうながす」。これだけ覚えて実践すればいいだけのこと。すでに芽や種はあるはずだから、うながす、だけでいい。ただし、日本では死ぬほど難しいこと。

株式会社東和不動産一級建築士事務所のブログ
新国立競技場に行ってきました

https://www.towaf.co.jp/blog/2020/01/06/%E6%96%B0%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%AB%B6%E6%8A%80%E5%A0%B4%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F/

素人ながら、ヒドそうだな。「愛国」栄えて、「御国のために」は払底す。

錦織圭、コロナ禍に揺れる東京五輪は「死人が出ても行われることではないと思う」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e49c7ac1c00a4825f89f21abfe18421ba457a1a

今回(イタリア国際)のような100人規模の大会じゃなくて、1万人が選手村に集まって大会に参加する。だから、簡単じゃないと思う。特に今、日本で起きている状態は、うまくはいっていない。日本だけじゃなく、世界中で今、起こっていることを考えなくてはいけない。まだ2、3か月ある。今何かを言うのは難しい。ただ、今は保留していても、いつかは決めないといけない。もしそれが今なら、とても難しいと自分は思う」

これも大阪なおみさんの影響の一つだといえば、錦織選手に失礼か。

「40歳を過ぎたら、舞台に立たないと思っていた」――奇跡の女形、坂東玉三郎が歩む芸道一筋の70年
https://news.yahoo.co.jp/articles/5bd62f6c6b1837ef23e73f6f2096da2843aef6ea

欧米基準でいえば芸術家。ご本人はたぶん芸能者という自負。

益子直美さんがミズノの大会に違和感を抱く訳
「怒ってはいけない」同じ大会名でもこうも違う

https://toyokeizai.net/articles/-/426894

企画屋とか広報の浅薄さ、レベルの低さ。欧米の足許にも及ばない。

本日の宝島社、見開き全面意見広告。
読売新聞、朝日新聞、日本経済新聞に掲載。



ワクチンもない。クスリもない。
タケヤリで戦えというのか。
このままじゃ、政治に殺される

私たちは騙されている、
こんぽ一年は、いったい何だったのか。
いつまで自粛をすればいいのか。
我慢大会は、もう終わりにして欲しい。
ごちゃごちゃ言い訳するな。
無理を強いるだけで、なにひとつ変わらないではないか。
今こそ、怒りの声をあげるべきだ。

「宝島社、金があるんだなあ」「ワンマン社長だからできる」という効果を狙ったのだろうな。ついでに、「何」だったのか、「なに」ひとつ、と漢字とかなの使い分けを覚えましょう。

グローバルな大国間協調の組織化を ―― 多極世界を安定させるために
https://www.foreignaffairsj.co.jp/articles/202105_haass/

第二次世界大戦後に形作られた欧米主導のリベラルな秩序では、もはや世界の安定を支える役目は果たせないことを冷静に認めなければならない。21世紀の安定を実現するための最良の手段は「19世紀ヨーロッパにおける大国間協調」を世界に広げた、中国、欧州連合(EU)、インド、日本、ロシア、アメリカをメンバーとし、国連の上に位置する「グローバルな大国間協調体制」を立ち上げ、大国の運営委員会を組織することだ。

日本以外のどこが「位打ち」に乗るかどうか。

経団連 中西会長の退任と十倉新会長の就任内定を発表
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210510/k10013021751000.html?utm_int=news-business_contents_news-main_003

新会長の出身母体は住友化学で生え抜き。住友化学の重要な柱であるプラスチックと農薬のどちらも、地球環境問題や持続可能な社会づくりからは指弾される立場だ。選ぶほうも受けるほうも、政治センス皆無というしかない。

(これまで)



今夜は、Keiko Necesario

2021-05-09 22:12:00 | 音楽
Joni Mitchell特集にしようと、よく知られた Both Sides Now や The Circle Game を検索していたら、彼女を見つけました。Keiko Necesario さんです。

これまで、韓国のソン・ソヒ、ハンガリーのカティカ・イレイニ、ノルウェイのアンジェリーナ・ジョーダン、ハロプロのBABY METALなどを皆さんにご紹介してきました。

いずれもローカルではスターでしたので、そのバックグランドも少し検索すれば知ることができました。今回のケイコ・ネサリオさんもフィリッピンでは何曲もオリジナルを出しているようですが、そのバックグラウンドよくわかりません。

彼女のスタイルや情感深い歌唱がよりわかるように、オリジナル曲ではなく有名曲のCOVERを選んでみました。


BOTH SIDES NOW (Joni Mitchell COVER) - Keiko Necesario



CAN'T HELP FALLIN IN LOVE (KEIKO COVER)


Keiko Necesario - Moon River (Acoustic Cover)


HAPPY TOGETHER (Aldub Coke commercial COVER) - KEIKO


Shake it off - Taylor Swift (Keiko Necesario ACOUSTIC COVER )

(止め)

今夜は、朱里エイコ

2021-05-08 14:19:00 | 音楽
日本政府は主権まで放棄したわけではない
米紙「日本政府は損切りし、IOCには『略奪するつもりならよそでやれ』と言うべきだ」

https://courrier.jp/news/archives/244435/

「ぼったくり男爵バッハ」と罵って話題のワシントン・ポスト記事の翻訳です。IOCの金権体質やJOCの唯々諾々、主権なき政府などより、いちばんの問題は、日本の忖度マスコミでは絶対にこんな記事は書けないということです。

福岡一家4人殺人事件 #1
https://bunshun.jp/articles/-/45260

#4まで読んで、「ノンフィクション小説」という矛盾した命名が浮かびました。週刊新潮の名物連載「黒の報告書」のような小説仕立ての事件読み物ではなく、もちろん、事実や実話に基づいた小説とはどこか違います。「まさに小説より奇なり!」が叩き売り言葉になっているので、とりあえず「ノンフィクション小説」と呼んでみました。韓国なら、すぐにこれを原作にハードボイルドでノワールな傑作映画をつくるでしょう。

金ちゃんの紙芝居
https://asakacity.wordpress.com/kamishibai/

1950年代の埼玉県朝霞市の町と家と人を描いた紙芝居です。1960年代に大田区蒲田の町工場街で育ったので基地の町の様子を私は知らないはずですが、「2丁目の夕日」や「寅さん」とはまるで違う「懐かしさ」を覚えます。

【首相会見 質疑応答要旨⑥】
日テレ会見動画(2:47:00~)
https://www.youtube.com/watch?v=NtA3O6-RPM4

>Q:憲法改正について。#緊急事態条項 がなければとれない対策とは?

A(菅首相):緊急事態に対応する規定、現実のコロナ対策を行う中で緊急事態への関心は高まっていると思っている


質問したのは産経記者ですから、打ちごろの山なりボールを投げたつもりなんでしょう。振ればヒット確実、長打もあり得たのに、何回どう読んでも、難解な返答になってしまいました。菅首相本人も解説できないのではないでしょうか。

小泉今日子さんが入管法改正案に反対「#難民の送還ではなく保護を」 ミュージシャンや俳優も抗議の声
https://www.buzzfeed.com/jp/sumirekotomita/nyukanhou-voice

>SUGIZOさん「どの国にいようとも基本的人権は守られるべき」

そのとおり、だって、「基本的」な「人権」なんだから。でも、基本的人権という言葉は、その意味とともに定着していないんです。わからなければ、とりあえず「人道」と言い換えてもいいんですが、決定的な違いは、人道は為政者や権力者に求めるのに対し、基本的人権は彼らに突きつけるものなんですね。力を持った私たちが。

日本のアニメは海外で大人気なのに、なぜ邦画やドラマはパッとしないのか
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2105/04/news018.html

韓流や華流と違って国の支援がないに等しい、韓流映画のように有能で情熱的なプロデューサーがいない、単に業界の上が無能なバカだから、と思ってきました。「単に」ではなく、ビジネスモデルとして、仕事をしている振りの「ブルシットジョブ」の高給とりの保身や忖度が構造になって、作品や現場が潰されてきたようです。

朱里エイコ 女は世界の奴隷か!



朱里エイコ - ジョーのダイヤモンド


朱里エイコ 白い小鳩

(止め)

ゴールデン・レトリーバーか!

2021-05-07 00:16:00 | 政治
「ぼったくり男爵」異名を持つIOCのトーマス・バッハ会長は、あの偉大な音楽家バッハの一族だそうです。アメリカ人と話していて、バッハをバックというのでなんて教養がないのだろうと呆れていたら、英語圏ではバッハではなくバックと発音しているそうです。ちょっと考えてみれば、当たり前なのですが、日本では当たり前でないですね。

バッハ Bach: ゴルトベルク変奏曲 Goldberg Variations BWV988/グレン・グールド Glenn Gould 1955/レコード/高音質




以前、大阪なおみさんが全米オープンに優勝したときも問題になりました。肌色の違う有名人に、「人種差別メール」を送る日本人が少なからずいるようです。

バスケ八村塁・阿蓮兄弟に「人種差別DM」 本人公開で「これは悲しい」「いつになったら無くなるんだ」
https://www.j-cast.com/2021/05/05410867.html?p=all

八村阿蓮氏がその事実を明かした目的は、「日本には人種差別がない」と思い込んでいる人々へ、「どうか考え直して」とアピールするためでしょう。

身近に黒人など肌の色の違う人々と接する機会が少なく、じっさいに差別を見聞することもほとんどないことから、「日本には人種差別がない」と思っている人は多そうです。

そして、たいていの人は「日本には(アメリカのような酷い)人種差別はない」と補っているものです。アメリカと日本との差異や程度を比較して、相対的に「ない」と判断しているのです。

いうまでもなく、日本にも黒人差別と同様、在日や同和、アイヌなどの人々を出自により差別した歴史を持ち、いまもその差別感情は根深く残っているといわれます。

そうした差別について、ある年代以上の人に尋ねれば、「日本には差別がない」と言い切る人はごく少ないでしょう。ただし、「差別がある」と積極的に言う人はもっと少ないはずです。

「ない」とも「ある」とも言明しない人々とは、「する」側であっても「される」側ではないので、差別するかしないかを選べるように、いつも問われてから答える受け身の姿勢でいられるのです。

アジア系女性、ハンマーで頭殴られる 歩行中に「マスク外せ」―NY市
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021050500204&g=int

その動画
https://twitter.com/i/status/1390177002188156928


そんな多数派の日本人も、少数派アジア人として、等しくアメリカで「人種差別」の対象となり、日常的な暴言や暴力に晒されています。

それでも、多くの日本人にとっては遠いアメリカで起きていること、じっさいには差別されないので他人事なのが正直なところでしょう。そして、安堵してこう思うのです。

(日本には人種差別がなくてよかった)と。

たしかに黒人とみたら即座に発砲したり袋叩きにする警官や、アジア人を行きずりに襲う人など日本では見かけませんし、ニュースになったこともありません。

そんな苛烈な差別に比べれば、メールやSNSに「差別的発言」を書き込んだりするくらいは、「たいしたことではない」と思う人々が多いのは無理もないことです。

ネット上の差別者たちが告訴や訴追されたとき、まずびっくりするように、その多くに罪悪感などなく、気軽な気持ちで面白半分にやっていたという供述が目立ちます。

ネットを介して言葉で揶揄する、貶める、脅すことは、じっさいに面と向かって暴言を吐いたり、怒鳴りつけたり、暴力を振るったりすることとは、別ものだと思っているのです。

あるいは、差別だとしても、程度としては軽く低いものと判定しているのでしょう。差別にも段階があるというわけです。

しかし、このNY市で起きた「アジア系女性、ハンマーで頭殴られる」記事についたあるコメントを読むと、「暴力」からまだ先の段階があることがうかがえると同時に、差別の段階(論)そのものがとんでもない勘違いかもしれないと思いました。

no nameID: d51195

少し主題とはズレるが、私はある時仲良くなった米人に酒の席でアジア女性を伴侶にする理由を尋ねてみた事があるのだが、この回答が非常に衝撃的であった。消されると思うけど書く。

「穏やかな大型犬種と共に生活する感覚に近い」と割と真面目に回答された。

米国は離婚率が高い。
そして再婚相手には前妻とは違う性格のパートナーを求めるが、人に依っては犬と共に暮らす生活を選択する人も少なからずいて、その感覚に似ていると言うのだ。

よくよく尋ねると、もう顔とかじゃなく精神的に寄り添ってくれる生き物枠としてアジア人女性を認識している様であった。

アジア人女性=献身的であるイメージはどこからきたのか、とにかく聞いた時あまりにも価値観が違いすぎて絶句したのだが、それでも犬はなかろうと問うも典型的米国女性の悪 口に話題が移ったので結局有耶無耶に。
 
その後私はこの話題を出さなくなったので、彼のこの考えが一般的なのかどうかは判らないが、自身の倫理観、価値観とは決定的にかけ離れた人達がいるという事を改めて認識できた機会であった。

つまり、住む世界が全く違う。
猛獣のいる場所では闘うより逃げた方がいいと思う。

もちろん、「事実とすれば」という留保をつけなければなりませんが、差別する側の奥深さを垣間見たようで肌が泡立つ思いがしました。

コメントに登場する白人は、自他ともに「差別しない人」でしょう。ある意味で、究極の「差別しない人」かもしれません。

差別に関して、メールやSNSへの投稿ぐらい「たいしたことはない」とタカをくくる日本人も、「決定的にかけ離れた人たち」という筆者に同感するかもしれません。「大型犬」なんてあり得ないと。

「だから日本に人種差別はないって」と早合点するまえに、日本の「差別しない人」は、いったいどんな人なのか、いま一度考え直してみる必要があるでしょう。

メールやSNSへの投稿ぐらい「たいしたことはない」とタカをくくる人たちも、言外に(怒鳴ったり、暴力を振るったり、殺したりするよりずっとマシ)と言っているに等しいわけで、地続きの差別であることはわかっているはずです。そのうえで、差別といっても差異や程度はあるはずと安堵しているのです。

言葉の暴力から身体へ加える暴力の強度がエスカレートするといった段階(論)です。すると、アジア女性との結婚を「大型犬と暮らすに似ている」というコメントの白人はどの段階にもいない、「差別しない人」になります。そこに暴力はないからです。

日本人とは異なり、アメリカの白人はかつての奴隷制度によって黒人差別が残ってきたことから、黒人という少数派に対する自分たち多数派の白人の問題であることをよく知っているはずです。したがって、差別にも差異や程度があるという個人の問題に逃げ込むことができません。

一方、日本の「たいしたことはない」という人は、差別心から差別行為まで、個人や周囲の問題にとどめ、日本人や日本国民の多数派、集団の問題とはとらえないようです。個人から集団へ次数を上げて考えることをしません。

コメントの白人は、アジア女性を伴侶にすることによって、自分の差別心を否定しつつ自分たちの差別を棚上げして、集団から個人へ次数を下げることで心の安寧を得ていると思えます。そう意識したかどうかはべつにして。

つまり、両者は似通った個人的な立場を選び、それぞれ安堵と安寧を得ているとします。おかげで多数派の差別を直視せずに済む代わりに、かえって自らの差別心を温存し肥大化させていることに、眼を閉ざしているように思えます。

「たししたことはない」や「穏やかな大型犬」という個人の異様さとは、そこから生じているのではないでしょうか。

「差別される人」にならないかぎり、「差別しない人」のことは「差別しない人」自身が考え続けるしかありません。どこかから、「いつまでもやってろ」という罵声が聴こえますが。

(止め)



スーパーやコンビニで国民投票ができる!

2021-05-03 21:03:00 | 政治
「スーパーやコンビニなどに投票所を設けることを柱とする、国民投票法改正案の採決が連休明けに予定されています」

憲法記念日の5月3日、朝7時のNHKニュースで女性アナウンサーがいいました。スーパーやコンビニの店頭で簡単に投票できる、そんな利便性が改正案の「柱」だそうです。アナウンサーのコメントの元記事はこちらです。逐一、検討してみましょう。

憲法施行74年 国民投票法改正案 連休明けに採決行われるか焦点
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210503/k10013010461000.html

>憲法記念日の3日、日本国憲法は、施行から74年を迎えました。国会では、憲法改正の国民投票で商業施設に投票所を設けることなどを柱とした国民投票法改正案の採決が大型連休明けに行われるかどうかが焦点となっています。

2行目の「商業施設」がスーパーやコンビニですね。連休明けに採決が行われるか、行われないかが焦点だそうです。しかし、すぐ後を読むと、自公維に加え野党第一党の立民まで採決に参加するとあります。自公維に立民の議席数を合わせると衆院の91%になるので、採決は行われるに決まっています。焦点になどなりません。

>衆議院の憲法審査会では、3年前の6月に自民・公明両党と日本維新の会などが提出した国民投票法の改正案の審議が行われています。

>改正案は、憲法改正の是非を問う国民投票で商業施設に「共通投票所」を設けることなどが柱で、取り扱いをめぐって、自民党と立憲民主党は、去年12月に今の国会で「何らかの結論」を得ることで合意しています。


今回の改正案はすでに3年前に提出されている古証文の棚卸であることがわかります。3年前も「改正案の柱」は「スーパーやコンビニの店頭で簡単に投票できるようにする」で、内容は変っていないようです。そして、昨年12月にすでに自民党と立憲民主党は国会採決に合意しているようです。

>自民党は、会期末を来月中旬に控え、今の国会で改正案を成立させるために、大型連休明け6日に採決したいとしています。

>立憲民主党は、先週、国民投票の広告規制などについて「施行後3年をめどに法制上の措置を講じる」ことが改正案の付則に盛り込まれれば採決に応じる方針を決めました。


改正案の手直しではなく、「広告規制」について施行後3年のうちに法制上の措置を講じるという文言を改正案の付則に加えてくれと立民は求めています。採決され、可決されることが前提になっているわけです。

>このため、与野党の調整が行われる見通しで、連休明けに採決が行われるかどうかが焦点となっています。

またも、まったく焦点ではないのに、焦点と書いています。

繰り返しますが、連休明け6日の採決に立民が加われば、自公維立で衆院議席の91%、参院議席の80%が賛成して可決となります。たとえ立民が反対に回ったとしても、自公維だけで衆院68%、参院60%を占めていてじゅうぶん可決できます。「その他」にも改憲派が少なくありません。立民は影響力も及ぼせるだけの投票数を持っていないのです。

衆議院定数  465    

自由民主党 278
立憲民主党 110
公明党    29
日本共産党  12
日本維新の会 10
その他    27

参議院定数 245

自由民主党 110
立憲民主党  42
公明党    28
日本維新の会 16
日本共産党  13
その他    34


>一方、参議院の憲法審査会でも先月、およそ3年2か月ぶりに自由討議が行われました。
>国会での憲法論議は、改憲を掲げた安倍政権から菅政権にかわって以降、活発になりつつありますが、

「一方」が曲者です。するっとつけ足りのように憲法改正に話が変わっています。一方や他方は「別もの」に話題転換する言い回しです。憲法改正以外に国民投票が行われることはなく、国民投票法と国民投票、憲法改正はひとまとまりのセットなのです。

また、「3年2か月ぶり」に討議されたのに、どこが「菅政権にかわって以降、活発になりつつあります」なのでしょうか。

>秋までに行われる衆議院選挙に向けた各党の思惑も絡んで、今後どこまで深まるかは不透明な情勢です。

俳句なら季語が何であっても「根岸の里の侘び住まい」で、川柳なら出だしは何であれ「それにつけても金のほしさよ」とつければ何となく収まるように、「思惑が絡んで不透明」は便利な結語です。いつでもどこでも、選挙に向けた各党の思惑は絡み、先行きは不透明に決まっているのですから、無意味といえます。

ただし、今回は「意味深」と受けとって、「うがって読む」こともできます。

コロナ感染が収束するか、ワクチン接種が急速に国民に普及しない限り、このままではオリンピック開催はきわめて難しいのは、誰しも思うところでしょう。

オリンピックが中止、もしくは延期となった場合、「コロナ敗戦」の目に見える結果の一つとして、菅内閣が責任を問われるのは必至ですから、内閣総辞職や首相交代も当然あり得ます。

巨額のオリンピック準備費用が無駄になるわけですから、自民党政権にとって大打撃となり、今秋の衆院選挙には勝てないかもしれないという危機感が高まるのは無理もありません。

そこで、東京五輪に代わる政権にアドバンテージがあるイベントとして、憲法改正の国民投票が浮上してきたと自民党が考えて不思議はありません。

国民投票法改正案の採決をテコに、憲法改正のスケジュールを既成事実化し、「コロナに打ち克った証」をオリンピックから憲法改正にスライドして、セットにするわけです。

憲法改正の「柱」はいうまでもなく、コロナ下の「緊急事態」であり、尖閣・台湾をめぐる中国との「緊急事態」です。その「緊急事態」の「柱」は、「私権の制限」です。

繰り返しますが、自公維の「与党連立」だけでもじゅうぶん国会の2/3を越えて憲法改正を国民に発議できます。これに立民が加わるか、あるいは立民のなかの国民民主党からの移籍組の過半を占める改憲派が加わるだけでも、実質的に大政翼賛です。国民投票が影響されないわけがありません。

すでに、「国民感情」としては改憲に抵抗感などなく、護憲と拮抗どころか、むしろ改憲支持が上回っているようです。

コロナ対応へ改憲「必要」57% 共同通信世論調査
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee

憲法改正 「賛成」48%、「反対」31% 毎日新聞世論調査
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6392300

憲法改正を発議する国会で圧倒的多数を占め、改正の可否を下す国民感情が改憲に傾いている。政府自民党にとっては、二度とはない絶好の機会といえます。

しかし、やはり、NHKのいうとおり、憲法改正にとっては、「秋までに行われる衆議院選挙に向けた各党の思惑も絡んで、今後どこまで深まるかは不透明な情勢」が続くはずです。

憲法改正は、オリンピックがそうであったように、あくまでも自民党の政権維持のために、求心力を高める道具に過ぎないからです。

自民党は改憲の正統性を訴えるとき、「自主憲法制定は結党以来の綱領」といいますが、憲法施行74年、一度も本気で改憲に取り組んだことはなく、むしろ避けるように解釈改憲を繰り返してきたのが、ほかならぬ自民党なのです。

本気で改憲に取り組まないのは、なぜでしょうか。国民投票どころか、その前の国会による改正発議以前に、高いハードルがあるからです。国際社会という名のアメリカの承諾が必要です。

憲法改正を秋の衆院選挙の追い風にしようとする政府自民党、その追い風に乗ろうとするが、逆風になればそれにも乗ろうとする立憲民主党、いずれも憲法改正にも反対にも本気ではなく、選挙しか眼中にないという点では同列といえます。

換言すれば、日本と日本人の「緊急事態」に本気で取り組む気はなく、自らの選挙以外についてはタカをくくっているのです。NHK記事の結語中、憲法改正の「(論議)深まる」はまったくの空言空語なのです。

内容に即して、冒頭のNHK記事の見出しは差し替える必要があります。以下の3案を考えてみました。

改題A 憲法改正のための国民投票法改正案 連休明けに採決行われる予定

改題B オリンピック中止にともない憲法改正が焦点へ

改題C 安倍元首相再々登板か オリンピック開催と憲法改正をめざす


(止め)