このエノキの樹齢がどのくらいなのか、エノキの寿命がどのくらいなのか分かりませんが、直径1メートル以上ありそうなこのエノキは、少なくとも百数十年以上生きてきたことは間違いないでしょう。多摩川の流れは、その間このエノキの生存を脅かすほどには変わらなかったと考えられますが、それにしても多摩川の様子はどんなものだったのか。
このエノキは江戸時代からこの場所で周りの景色を見てきたわけですが、例えば200年前は、どのような景色が広がっていたのでしょうか。ちょんまげを結った侍も、菅笠をかぶった農民もいたでしょうが、冬の間は、江戸時代には東京湾や江戸の町の水田には普通にいたというガン(雁)が、多摩川の流れに浮いている姿や近くの水田で落穂を食べる姿を見たことでしょう。タヌキやキツネが、エノキの回りを餌を求めて歩き廻っている姿も想像してしまいます。
1本のエノキを巡って想像をふくらませると、一方では多摩川のことについてほとんど何も知らないことに気づかされます。
このエノキは江戸時代からこの場所で周りの景色を見てきたわけですが、例えば200年前は、どのような景色が広がっていたのでしょうか。ちょんまげを結った侍も、菅笠をかぶった農民もいたでしょうが、冬の間は、江戸時代には東京湾や江戸の町の水田には普通にいたというガン(雁)が、多摩川の流れに浮いている姿や近くの水田で落穂を食べる姿を見たことでしょう。タヌキやキツネが、エノキの回りを餌を求めて歩き廻っている姿も想像してしまいます。
1本のエノキを巡って想像をふくらませると、一方では多摩川のことについてほとんど何も知らないことに気づかされます。