「反原発ポスター展」なるものが
渋谷で開かれているのだそうです。
”放射能の恐怖は、日本中に拡散、収束する日を知りません。
反原発は、イデオロギーではなく命の叫び、理性の声です。
ここに全国のグラフィックデザイナー・イラストレーターから
寄せられた200点を越すポスターの力作を一堂に集めました。
さらにドイツ、アメリカ、ロシア、フィンランド、ポーランド、
ハンガリーの著名デザイナーから送られてきたポスターとあわせて展示します。”
というもの。(反原発ポスター展HPより)
U.G.サトー
ネットでそのポスターの色々を見て
その迫力に圧倒されると共に、ある違和感を覚えました。
「No More Fukushima」というコピーをつけたものが結構あるのです。
言うまでもなく「No More Hiroshima」と同じで
「福島で起きた悲劇は繰り返さない」
という意味なのでしょうが…
広島については違和感など感じたことないのに。
何故だろう?
佐藤 文
広島に原爆が落とされ、街が壊滅したことは誰もが知っている。
でもその後、人々は必死に復興に励み、街は見事に立ち直った。
それどころか以前よりも遥かに発展している。
だからこそ「No More Hiroshima」という言葉も
おおらかに受け取められるのかもしれない。
しかし福島は?
原発はまだまだ収束の目途も立たず、人々は自宅に帰ることもできない。
仮設住宅やあるいは県外に避難し、あてどもなく帰る日を待っている。
そんな時、「No More Fukushima」の字を目にしたら?
これは福島の人にとっては失礼な言葉になるのではないだろうか?
泉屋政昭+横山愛乃
もっとも心血注いで反原発ポスターを作った人に
福島を貶める気があったとは到底思えないのですが。
言葉って難しいですね…
福田 毅
「反原発ポスター展」http://www.stopnuclear.net/index.html
渋谷で開かれているのだそうです。
”放射能の恐怖は、日本中に拡散、収束する日を知りません。
反原発は、イデオロギーではなく命の叫び、理性の声です。
ここに全国のグラフィックデザイナー・イラストレーターから
寄せられた200点を越すポスターの力作を一堂に集めました。
さらにドイツ、アメリカ、ロシア、フィンランド、ポーランド、
ハンガリーの著名デザイナーから送られてきたポスターとあわせて展示します。”
というもの。(反原発ポスター展HPより)

ネットでそのポスターの色々を見て
その迫力に圧倒されると共に、ある違和感を覚えました。
「No More Fukushima」というコピーをつけたものが結構あるのです。
言うまでもなく「No More Hiroshima」と同じで
「福島で起きた悲劇は繰り返さない」
という意味なのでしょうが…
広島については違和感など感じたことないのに。
何故だろう?

広島に原爆が落とされ、街が壊滅したことは誰もが知っている。
でもその後、人々は必死に復興に励み、街は見事に立ち直った。
それどころか以前よりも遥かに発展している。
だからこそ「No More Hiroshima」という言葉も
おおらかに受け取められるのかもしれない。
しかし福島は?
原発はまだまだ収束の目途も立たず、人々は自宅に帰ることもできない。
仮設住宅やあるいは県外に避難し、あてどもなく帰る日を待っている。
そんな時、「No More Fukushima」の字を目にしたら?
これは福島の人にとっては失礼な言葉になるのではないだろうか?

もっとも心血注いで反原発ポスターを作った人に
福島を貶める気があったとは到底思えないのですが。
言葉って難しいですね…

「反原発ポスター展」http://www.stopnuclear.net/index.html