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朝日の今日の夕刊、「三谷幸喜のありふれた生活」。
愛犬の最期を巡っての日々が書かれています。
”とびがこの世を去ってから一週間が過ぎた。
仕事から帰っても、とびが迎えてくれない生活。
朝になっても、とびが顔を舐めて起こしてくれない生活。
そんな暮らしにも少しずつ慣れ始めた。
そして今、激しい後悔の中で溺れそうな自分がいる。”
後悔というのは
とびの介護に当って、自分ができるだけのことがしてやれたかということ。
さらに言うなら、13年間、飼い主としてとびを幸せにしてやれたかということ。
この連載、これが639回目ということは
もう12年ほども私はこの連載を読んでいるのか。
その間には色々あったなあ。
週に一回の短いエッセイから垣間見られた
三谷氏の幸せな新婚生活、映画の成功、そして離婚。
公演などで不在が続くと、ストレスからいたずらや拒食を繰り返したとび。
叱りつけるとあまりにいじけるので、三谷氏の股間を解放してやると
うっとりと顔を埋めていたとび。
”(いよいよ歩けなくなったとびを乗せた)台車を表の道まで移動させた時、
とびが突然「うおおん」と鳴いた。
久々に聞くとびの声。
どこにそんな元気が残っていたのか。
さらに「うおおん」「うおおん」ととびは大声で叫び、
そして「おん」「おん」とニ回小さく鳴いた。(中略)
それがとびの最期だ。”
あの時、とびは何を言いたかったのかと著者は言っている。
永遠に答えの出ない問題を残して、とびは旅立ってしまったと。
何をって…
そんなの「ありがとう」に決まってるじゃないの、と
犬を飼っている私は思う。
飼い主が好きで好きでたまらない犬が最後に残す言葉って
ありがとう、大好きだよに決まってるじゃないの。
とびは13年間、幸せだったに決まってるじゃないの。
でも、よその犬のことだからそう思うのであって
タロウの最期の時には、私もやはり自信を失くすのだろうなあ…