日本に美術館を創りたい、その夢ひとつに生涯を懸けた不世出の実業家・松方幸次郎。
戦後フランスに没収されたその松方コレクションを守り、交渉し、取り戻した、
時の宰相・吉田茂、孤独な飛行機乗り・日置釭三郎、美術史研究科・田代雄一。
国立西洋美術館誕生にかけた4人の男たちの物語。
なんといっても、松方幸次郎という人物のスケールが凄い。
父親は元薩摩藩士、その後日田県知事を経て、内閣総理大臣になる。
1886年その息子として生まれた幸次郎は、イエール大学大学院を出て川崎造船所の後継者となる。
才覚と国際的感覚で軍艦造船会社にまで発展させ、財政界の巨頭となり、日本における本格的な西洋美術館の創設を目指して、私財を投げ打って欧州で数千点の有名絵画・彫刻を買い集める。
しかし世界大不況で川崎造船所は破綻し、彼のコレクションは売り立てられて国内外に散逸、第二次世界大戦末期にはフランス政府に敵国人財産として没収される。
彼は失意のうちに亡くなるが、前述の男たちの努力によって、完全ではないもののなんとか取り戻し、それを基に1959年国立西洋美術館ができあがったという話です。
4人の男たちのうち田代だけが架空の人物であるが、これは西洋美術史家の草分け、矢代幸雄をモデルにしているらしい。
その矢沢氏が
「松方さんのパリ市場における威力は大したもので、これはその大規模な買い方にもよったが、また松方さんの風貌、態度、人柄、どこから見ても、パリの本場所に出して、誰れにも引けを取らぬ世界の大實業家として通り、それがためあれほどの尊敬を博したのであろう、と私は思った。」
と言っています。(『藝術のパトロン』1958年)
松方幸次郎、どんな顔の人だったのだろうと思ってネットで検索。
なんて端正な顔、なんておちゃめな表情!
そしてロンドンで松方が一目ぼれしたという造船所の絵を描いた、フランク・ブラングィンによる肖像画がこちら。
田代が松方に、どうしてそこまで絵に夢中になるのだ?と聞かれて答えた言葉。
「僕は裕福でもなく、家族に恵まれているわけでもなく、ただ…ただひたむきに、タブローが好きで、関りをもちたい、少しでも近づきたいと、その思いひとつでここまでやって来ました。…まあ、いってみれば僕は、タブローのことばっかり考えて夢中になっている、どうしようもない愚かものです。」
タブローとは絵画のことなのです。
2年前にその国立西洋美術館で、60周年記念として松方コレクション展が開催されたのでした。
その時にこの本を読んでいたら、何をさておいてもすっ飛んで行ったでしょうに。
しかも今はコロナ禍、しかも西洋美術館は22年春まで施設整備のため休館。
なんと…
「美しき愚かものたちのタブロー」
松方コレクション展
原田マハ・インタビュー