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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「奏鳴曲 北里と鴎外」

2022年12月18日 | 

万座の宿で夢中になった本、読み終わりました。
この二人がこんなライバルであったとは…

北里柴三郎は熊本の小村の庄屋に生まれ、幼い頃からきかん坊で軍人になりたかったが、二人の弟をコレラで亡くしたこともあって医者になることを決意する。
森林太郎は津和野の御典医の坊っちゃんとして生まれ、早くから神童と見なされ、一族の期待を一身に背負う。
二人は時を同じくして東京医学校(現東京大学医学部)に入学し、ほぼ同時期にドイツに留学する。
明治・大正の日本の衛生医学の指導者として生涯のライバルとなり、人生を複雑に絡ませて行く。

ドイツでコッホに師事し、ペスト菌を発見し、「日本の細菌学の父」の異名を持つ北里。
この人のことは実に豪快に描かれています。
「不肖柴三郎、いざ参るったい」というのが口癖で、体格も性格も肥後もっこすそのもの。
日本に妻がいながらドイツでは下宿先の女主人モニカとねんごろになり、晩年も新橋の芸者などと浮名を流したようですが、その大らかな性格からか、憎む気にならない。

かたや森林太郎は、非常に優秀ではあるが、あんまり好きになれない男として書かれている。
「北里が上昇気流に乗ると、ぼくの失速が始まった」「北里が上げ潮に乗れば、ぼくは退潮になる」
といった調子で、一人称の彼の独白からは、神経質さや嫉妬心ばかりが目に付くのです。
林太郎がドイツから追いかけて来た恋人エリスを棄てた話は有名ですが、この本によると、彼はドイツではエリスと結婚するつもりであったらしいですね。
それで彼女に、日本への船のチケットを渡して帰国するのです。
ところがエリスの父親が軍人であったことから、軍医の彼は、外国の軍人の親族との結婚は禁じられていると石黒忠悳に諫められます。
いずれにしても彼を慕う恋人を裏切ったことに違いはないのですが、当時、莫大な国費を使っての留学をした身であっては、国と親族を裏切ることはできなかったのでしょう。
そして順天堂閨閥の娘、登志子と見合い結婚をする。
罪の意識に耐えかねて結婚早々「舞姫」などを出版したせいか、登志子とも離縁してしまうのですが。
10年ほど経って、また条件の良い18歳下の娘と再婚しています。



姑息な手段を使って北里を蹴落とそうとしたり(それは結局失敗に終わる)、
自らが主張する米食主義に固執して、日清・日露戦争で陸軍内に脚気により何万人もの死者を出したりと、文豪森鴎外の裏の面をここまで書いちゃっていいの?と心配になる位ですが、明治天皇、後藤新平、福沢諭吉、石黒忠悳などあの時代の著名人との複雑な関りが出てきて、説得力があります。
明治22年、二人がまだ若くてドイツに留学していた頃の、北里と後藤新平との会話に、ライバル二人の立ち位置がよく分かるような気がします。
北里「チビスケには難儀させられたと」
後藤「チビスケって誰のことだ?」
北里「今や陸軍軍医の出世頭の、森林太郎閣下たい。我執の塊で、自分の意思ば弱く、思うように生きられんのを人のせいばしちょる。どんだけ偉くなっても、根っこはチビスケのままじゃ」

450ページのどのページも読み捨てできないような、ギッシリと濃い本でした。

コメント (8)
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