二日目はからりと晴れ、尾花沢市の銀山温泉へ。
近くにある、江戸の最盛期には日本三大銀山に数えられたという延沢銀山が、その名の由来。
小さな谷間にある温泉街の中央の川に9つの橋が架けられ、その両側に木造の古い旅館が建ち並んでいます。
湯元能登屋旅館に大きく掲示してある「木戸佐左ェ門」とは、銀山開拓の祖で能登屋を建てた人の名前なのだそうです。
大正時代のような佇まい、台湾の九份のような雰囲気が素晴らしい。
しかしここも、かつては電柱が建ち並んでいたのだそうです。
昭和61年に「銀山温泉家並保存条例」を制定し、電線類を地中化したり、3メートル積もる雪を溶かすため歩道の下に地下水を流す融雪システムを配したりして、この景観を守ってきたのだと。
温泉街への一般車両の出入りは禁止なのだとか。
やはり努力なしには、景観は守られないのですね。
(雪タロウ)
そう言えば、20年位前に銀山温泉のアメリカ人女性の旅館の女将が有名になったことがありました。
金髪碧眼の女性が着物をきりりと着こなし、「ニッポン人には日本が足りない」というコピーでCMに登場。
あの女将はその後どうなったのかとググってみたら、このサイトによると、その後離婚して帰米されたようです。
残念…
(雪ウサギ。南天の実があれば、目をつけられたのに!)
(銀山温泉の路肩の雪)