Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

コロナのラスボス

2022年07月16日 | 社会

連日うっとうしい雨が続いていますが、インスタに友人が快晴の山景色の写真をアップしていて驚きました。
スイスのエヴォレーヌにいると。
検査とか隔離とかどんな感じ?と聞いたら
何もなし!帰る時に日本入国のための検査があるだけだと。

なんとまあ。
このところ日本ではオミクロンBA5が激増し、昨日は全国で10万人突破。
第7波襲来ということで、旅割は延期、なんだかまたピリピリした雰囲気に。
久しぶりに行動制限のない夏を迎えるということで、楽しみにしていたのに。

そうしたら今日の昼の情報番組で、海外のコロナ対策の比較という特集をしていました。
それによるとイギリスでは今年1月から、コロナに関する規制はすべて撤廃されたと。
PCR検査もなし、陽性になっても隔離期間もなし、マスク着用もなし。
つまりコロナはインフルエンザのような扱いになって来たということなのですね。
アメリカでは一日20万人の新規感染者が出ているが、陽性者は5日間の隔離のみ、濃厚接触者は何もなし。
勿論マスクなんて誰もしていない。

この彼我の違いは何?
私が日頃通っているジムは今もマスク着用が義務で、レッスン中でもお風呂でもつけなければなりません。
この暑い中、踊っている最中にマスクというのは本当につらい。
あれだけでも何とかならないものか…

その番組で一つだけ救われる思いをしたのは、北村義浩教授のこの発言。
BA5というのは、コロナウイルスの最終形だというのです。
流行り始めた頃の型と比べるとコロナとは思えないくらい変形していて、これ以上もう変わりようがないのだと。
本当に?
我々が今闘うのは、コロナのラスボスだと思っていいの?
そう思うと、ようやく希望が見えてきた気がするのですが…

 (写真は、サマーカットして、またハゲがバレたタロウ)


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死なば死ね。生きなば、生きよー「白光」

2022年07月15日 | 


明治5年、絵を描きたい一心で故郷の笠間(茨城県)を飛び出した山下りん。
下級武士の娘として生まれ、結婚しか女の道はないとされていた時代に、絵師になりたいと周囲の反対を振り切って上京する。
工部美術学校で学び、西洋画を更に極めたいと思った彼女は駿河台のロシヤ正教の教会を訪れ、大司教ニコライと出会う。
ニコライの尽力で、日本人初の美術留学生としてロシヤに渡ることになる。

明治初期に日本人女性がロシヤに渡り、苦労して成功した話かと思ったら、そんな単純な話ではありませんでした。
まずロシヤに渡る船の中で、驚愕の試練が待ち受けていた。
同行したロシヤ人宣教師たちは船室で寝起きし食堂で食事をするが、彼女は船底で世界中の荒くれ下男たちと雑魚寝、食事はなんと乗客の残飯を与えられる。
”けれど下士とはいえ、私も武家の生まれだ。そしてあの主教様の肝煎でロシヤに修行に行く身だ”
と思ったりんは
「わたくしは乞食ではありませぬ。なにゆえ、かほどの侮辱を受けねばならないのです」と抗議しますが
「お前、金がない。切手、最下等」
とロシヤ人宣教師に切り捨てられるのです。
こうした環境でりんは一月半かかって、ロシヤの港、オデッサに着いたのでした。

しかしこれはまだ序の口であって、サンクトペテルブルクのノヴォデヴィチ女子修道院ではもっと過酷な試練が待ち受けていた。
その詳細はネタバレになるので省略しますが、その頃りんが陥った状態、食欲がなくなり夜眠れず、朝起きられず、下痢と嘔吐を繰り返し、そしてやる気が出ないというもの。
ロシヤの医師には病気ではないと言われるのですが、これは今でいう鬱病に違いないでしょう。
あのやる気満々だったりんを鬱病にさせるほどの、りんの意思に反した境遇がロシヤに待ち受けていたのでした。
そして5年の留学予定を2年で切り上げて、帰国したのでした。


(ニコライ聖堂)

イコンとはキリストやマリアを描いた聖像画であり、山下りんは日本初のイコン画家となったのです。
りんが敬愛したニコライ大司教、彼が生涯をかけて建設した神田駿河台の東京大聖堂。
その元であるサンクトペテルブルクのニコライ聖堂、そしてノヴォデヴィチ女子修道院に、2017年に行きました。
この美しい、堂々とした建物の写真を見ると、ここに150年も前に訪れ、孤軍奮闘した日本女性がいたのだと感慨深いものがあります。
「死なば死ね。生きなば、生きよ」
りんの言葉です。

「白光」 

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夏の痩せ我慢

2022年07月14日 | グルメ

絽というのは、紗と並ぶ夏の着物の生地です。
お坊さんの法衣などに使われる、あの透けたような薄い生地です。
あれをキリリと着ると、見た目は非常に涼し気ですが、実はとーっても暑い。
その下に和装下着、長襦袢(どちらも全身の長さ)を着て、帯をグルグルと巻き、紐を何本も締めているのですから。
普段ならこの時期は素足なのに、足袋も履かなければならない。
つくづく着物は痩せ我慢の美学だと思います。


が、せっかく着付けを習ったのだからと、夏の着物ランチ会を。
水色の絽の着物にベージュの絽の帯を締めました。
うかい亭カフェ「春待坂」の小町御膳。
真ん中の写真はジュンサイと冷たい昆布出汁の「二ツ井豆腐」、ツルリと美味しく頂きました。
ジュンサイってぬるぬるして、子供の頃は何だかよくわからなくて嫌いでしたが、大人になると美味しいものですね。



このところ連日雨の中、どうなることかと思いましたが、今日は午前中、曇り。
ランチの間、ザーザーと降っていましたが、食べ終わった頃には上がっていました。
東南アジアのような湿度の中、うかい亭の庭の緑に水が滴って輝いていました。



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北海道旅行③見渡す限りの花畑

2022年07月13日 | 国内旅行

美瑛町の四季彩の丘には、見渡す限りの広大なお花畑が拡がっていました。
15Haの敷地に数十種類の花が咲き乱れ、遥か向うの丘にまでそれが拡がっている。
北海道ならではの雄大な風景ですね。



パッチワークの路を通り、セブンスターの木、ケンとメリーの木などを楽しみながら、富良野の富田ファームへ。
こちらでは1958年(昭和33年)に香料用のラベンダー栽培が始まったのですって。
いっときは成功するも、1972年からの貿易の自由化によって安い香料が広まり、更に合成香料の技術が進んで瀕死状態。



それを救ったのが、1976年の国鉄のカレンダー採用されたラベンダー畑の写真。
そしてドラマ「北の国から」でも放送されて徐々に観光客が訪れるようになり、今では年間100万人以上の人が訪れる観光スポットに(コロナ前)。
1990年にはフランスの「ラベンダー芳香フェア」で、こちらのエッセンシャルオイルが第一位に選ばれたのだそうです。



そんな歴史があったのねえ。
今でこそ、ラベンダーを知らない人はいないと思いますが、私がその名前を初めて知ったのは、1972年のドラマ「タイムトラベラー」の中でした。
筒井康隆原作、「時をかける少女」の前身であるこのドラマで、未来から来た少年ケン・ソゴルは、ラベンダーの香料を入れてタイムリープするための薬を調合していたのです。
ケンが現れる時、消える時には、いつもラベンダーの香りが漂っていた。
ラベンダーの香りってどんな!?
その頃は、少なくとも私の周りにそれを知っている人は、誰もいなかったのでした。



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帰省の収穫

2022年07月12日 | 家庭

昨夜、岐阜から戻って来ました。
義父の二十三回忌も無事済み、そしていつものように私の実家に行ったのですが、今回は珍しく、長男夫婦も来てくれたのです。
91歳の私の母、ひ孫と初対面。
おチビが一昨年の秋に生まれ、写真や動画はせっせと送っていたものの、実物に会うことなく、義母が昨年旧急逝してしまったことが、ずっと心残りでした。
あんなに喜んでくれたのに、会えないまま亡くなるなんて、コロナはどこまで残酷なのか。
なのでとにかく一度、老母におチビを見せたかったのでした。

写真は、叔母宅で能舞台デビューしたチビ姫。
ここは広いので、走ったり転がったり、おチビは大喜び。
そしてもう一つ小さなグッドニュース。



私の夫は、おチビが可愛くて仕方ないものの、どう扱ってよいか分からなかったのです。
自分の息子たちが幼い頃にもろくに相手していないので(バブルの頃で滅茶苦茶忙しかった)、小さな子どもとどう相対してよいのか、まるで分からない。
何度か不器用におチビと遊ぼうとしたものの、人見知りされてイジケていました。
能舞台にはオモチャも絵本も何もないので、最初は走り回っていたおチビが飽きてきた頃、たまたまスマホをいじっていた夫が、その中のタロウの写真をおチビに見せたのです。

ワンワンだ!
タロウが好きなおチビは大喜び。
何度も何度も夫の所に行き、写真を見ているうち、ようやく夫の膝の上に乗ったのでした。
夫の鼻の下が際限なく伸びたのは言うまでもない。
夫の親戚にもおチビをお披露目できたし、老母も夫も喜んでくれたのが何よりもの収穫でした。

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北海道旅行記②青とピンク

2022年07月09日 | 国内旅行

まさか、日本でこんな事が起こるなんて。
まだ信じられません。
モリカケサクラ、アベノマスクと色々ありましたが、凶弾に倒れるなんてあってはならないこと。
ご冥福をお祈り致します。

気を取り直して、旅行記の続き。
美瑛町の「青い池」は、2012年Apple社のPCの壁紙にその写真が採用され、世界的に有名になったのだそうです。
私もネットでその写真を見かけ、あまりの美しさに感動して、一時期フリーソフトを壁紙にしていました。


(Apple社に採用されたShiraishi氏のフリー写真)

この池は、十勝岳の噴火の被害を抑えるべく造られた堰堤のひとつに、水が溜まったものなのですって。
青く見えるのは、アルミニウム含有の地下水によるせいということです。


(今回の写真)

今回は青というよりは、薄青緑という感じでしたが、それでもとても綺麗。
コロナ前2019年に行ったメキシコ、ユカタン半島のピンクラグーンを思い出しました。
ここは塩田なのですが、植物プランクトンの作用でこんなピンク色になるのですって。


 (2019年12月)

青い池とピンクラグーンの違い。
広大なピンクラグーンの周りには、掘立小屋一つありませんでしたが、青い池の周りには
アスファルトの駐車場、綺麗なトイレ、物産店があり、青いソフトクリーム、青い饅頭が売られていました。

夫の父の二十三回忌で今朝から帰省します。
ついでに母の手伝いで3日間ほど岐阜にいますので、コメントの返事が遅れるかと思います。

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北海道旅行➀

2022年07月08日 | 国内旅行

こう暑くちゃかなわん、北海道で涼もう!の夫の一言で、3日間の小旅行に行って来ました。
快晴の小樽は30℃あり、暑いじゃん!というのが第一印象。
潮風が心地よくはあるのですが、あの運河の辺りなど、私が持っていたちょっとイメージが違う。
日記で確認してみたら、前に行ったのは2010年1月の雪の中。
やはり冷涼な雪景色の方が、この街には似合うような気がします。



こんな看板を見つけました。
こちらの昆布専門店に意味をお聞きしてみたら、お父さんに昆布茶を差し上げるからそれ飲んでゆっくりして、お母さんはその間に買い物して下さいということなんですって。
確かに夫族は買い物を嫌がるものねえ(写真はヨソのお父さんです)。



そして旭山動物園に。
ここも10年前の真冬に訪れていました。
日記で確認したら、その日はマイナス18℃。
”雪の中の動物園を廻るのは、確かにペンギンや北極グマやアザラシの自然に近い姿は見られますが、体力的に中々覚悟が要ります”と書いています。
今回は旭川も30℃で、ペンギンはさぞつらかろうと思ったら、屋外では頭上から冷たいミストが噴出している。
結構元気そうにヨチヨチ歩いていました。
それでも暑かったら、冷たい水の中に飛び込めばいい訳だし。
水中トンネルで、自由自在に泳ぐペンギンの姿を見ることもできます。



先週は大雨だった北海道、今週も少し前まで雨予報でどうなることかと思いました。
見事に外れて快晴なのはありがたいが、こんなに暑いとは…?




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「ペガサスの記憶」(ネタバレあり)

2022年07月04日 | 

桐島洋子さんの最新刊「ペガサスの記憶」が昨日amazonで届き、すぐに読み終わりました。
驚くこと多々でした。
ネタバレがありますので、これからお読みになる方はお気を付けください。

前半は洋子さんの自伝。
祖父は三菱財閥の重鎮であったが戦後没落し、上海、葉山、東京で過ごした子ども時代のこと。
駒場高校を出て文藝春秋社に勤め、仕事と恋と遊びに寝る間も惜しんで明け暮れたこと。
新幹線の中でアメリカ人の退役軍人と知り合い、たちまち恋に落ち、子どもを身籠ったこと。
長女をこっそり産み、信頼できる人に預け、二人目を身籠った大きなおなかで欧州を旅し、そして船上出産を果たしたこと。
そこで前半は終わっています。

後半は、三人の子供たちから書かれた桐島家のこと。
どんな思いをして子供時代を過ごしたか、そして子供たちの目線から捉えた母親の像。
今までの彼女の著作には書かれてなかったことが、多々ありました。
例えば子供たちの父親に、アメリカに妻がいたことは語られていますが、実は日本にもう一人の愛人がいて、その女性との間にも子供がいた。
そしてその女性と籍を入れたことを彼女は知っていて、それでも関係を続け、三人目を作ったのだと。

何より驚いたのは、彼女が45歳で結婚された勝見氏のこと。
博識で美意識が高く、非常に才能豊かな人だが、それだけにかなり難しい性格でもあり、身軽に風のように暮らしたい自分には、方向性が異なる彼と夫婦であることがしんどくなった。
それで一緒にいるより友達に戻った方が快適だということを長い時間かけて説得し、段々と別居に馴らして円満離婚を果たした。
離婚した後もよい友達となり、難病ALSに倒れた彼を看取ったのだというのが、「ほんとうに70代は楽しい」に書かれていたこと。

ところが、かれんさんに言わせると
”私たちの人格を深く傷つけるおぞましい嘘で攪乱し、私たち四人家族の仲を引き裂こうとした”と。
そして彼女は二十代以降、一度もその人とは会ってないのだそうです。
次女ノエルさんは
”母の結婚相手は到底受け入れられる人ではありませんでした。虚言癖があり、母の友人たちに電話をしては私たちの悪口を言いふらし、些細なことで顔を真っ赤にして怒り出すような、きっととても臆病な、心の小さな人でした”
そして、高校生の彼女と言い合いになった彼は、飼っていた猫を思い切り壁に投げつけたというのです。

桐島洋子という人は、良く言えばつくづくポジティブ思考であり、悪く言えばなんとええかっこしいであったのか。
辛い思いも悲しい思いも散々なさって来ただろうに、そういうことは著書にはまるで書かれていないのですね。
後書きに、2014年彼女はアルツハイマー型認知症と診断されたと書かれています。
それで書き続けることが難しくなり、子供たちが力を合わせて後半を書いたのだと。
”母は今、体調はすこぶる良好で、穏やかな日常を過ごしています。本音を言えば、倫理的に物事を考えてシャープな発言をしたり、決断したりする母の姿が見られなくなったことは少し寂しいです”と。(かれんさん)
しかし難しい話をしなければ会話も楽しめるし、彼女なりの美意識を持って今も生きていると。
そして”人間としての母に対する私たちのリスペクトは揺るぎないものです。その絆はどんなことがあっても変わりません”(ノエルさん)
というのが、桐島家の三人の子供たちの総意であるようです。

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あるオペラの一日

2022年07月03日 | 劇、オペラ、コンサート

メーテルリンク原作、ドビュッシー唯一のオペラという「ペレアスとメリザンド」
王太子ゴローとその異父弟ペレアス、謎の女メリザンドによる三角関係の愛憎劇ということですが、英国の鬼才ケイティ・ミッチェルの演出は、シュールで摩訶不思議で、さっぱり意味が分からない。
「お客様には夢、より正確には悪夢を見ているような、次に何が起こるかわからない、
怖いことも起こるかもしれないという不安定さを共有してもらえたら」というのが彼女の言葉。
本当に悪夢のようでした。
私はもっと分かりやすいオペラの方がいいな…



現代風にしつらえられた舞台には二人のメリザンドがいて、一人は妊娠したり赤ん坊を抱いていたり、挙句はレイプされかけたり。
そんなオペラってある!?
韓国ドラマよりも波乱万丈ではありませんか。



鑑賞前に、オペラシティ53階「よし田」のステーキランチ。



「孤独のグルメ」にも出てきた渋谷の長崎飯店で、冷やし中華と特上ちゃんぽん。
腹を空かせた五郎が渋谷の街を彷徨い歩いて「もう俺の来るとこじゃないのか」などと思っていると、路地裏に見つけた古臭い町中華店。
今年初の冷やし中華は、冷たい缶詰のミカンが載った、昔懐かしいさっぱり味でした。


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あの聡明な女史が…

2022年07月02日 | 

根耳に水でした。
あの桐島洋子さんが認知症になられたとは。
「淋しいアメリカ人」や「聡明な女は料理がうまい」に始まってその頃の彼女の著作、若い頃に一通り読みました。
今から半世紀以上も前に、妻帯者のアメリカ人との間に3人の子をもうけ、シングルマザーとして孤軍奮闘。
文芸春秋社に勤めながら、一人目はオーバーブラウスでおなかを隠して働き続け、二人目の時は船上出産は医療費がかからないため、ヨーロッパ旅行の船の中で産んだという。
その後フリーのライターとして活躍されたのは、周知のとおり。
『渚と澪と舵 ふうてんママの手紙』や『マザー・グースと三匹の子豚たち』にはその辺りのこと、アメリカでの生活の様子がイキイキと描かれていました。
その後、スピリチュアル的な方向に行かれたようで、彼女の本から長らく遠ざかっていました。


その彼女は今、85歳。
暫く前から自叙伝的な小説を書かれていたが、認知症のせいでそれができなくなり、3人の子供たちが書き足して「ペガサスの記憶」という本が先日出版されたという記事が出たのです。
それを求めて近所の書店に行きましたが、早くも品切れ。
図書館は予約数が多くてすぐに廻って来そうもないので、とりあえず上の本を借りて来ました。


まず、表紙の柔和な表情のお顔に驚きました。
2014年出版のこの本は、色々な雑誌に寄せられたエッセイを集めたもののようです。
古希を迎えた著者が、自宅に大人の寺子屋「森羅塾」を開いて啓蒙活動を始められた様子が書かれています。
やたらその塾の宣伝が多いし、上から目線には拍車がかかり、正直それほど面白くはなかったのですが、「エイジングは神の祝福」と題された章が心に残りました。
アンチ・エイジングだのなんのと、あんまり若さにしがみついたりシャカリキに頑張ったりしない方がいいと。
過剰な仕事や付き合いから解放され、余計な沃野見栄やこだわりが抜け落ちて行くと、本当に好きなもの、生涯大切にするべきものがよく見えてくる、だから歳を取るということは素晴らしいのだと。
そう言われると、なんだかちょっとホッとする気がします。


”私自身はいまのところ五体健全、賞罰無し、借金無し、人様に迷惑かけず行き終えるぐらいの備えはあるが、相続税の心配をするほどの財産はない。後世に名を残すような業績は何もないが、残したいとも思わない。まあ暫くは家族や友人の心の中に残るだろう。それで十分だ”
そう2014年に書かれた著者が、今は…
最新作を読んだら、またご報告します。

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