12月と言えば毎年、赤穂浪士の討ち入りの話や真珠湾攻撃(太平洋戦争の始まり)が度々出てきます。
真珠湾攻撃の経緯や太平洋戦争の開戦は、日本人にとって忘れることの出来ない不幸な出来事であり、その後の日本の状況を見れば、多くの犠牲の上に、今の日本があることを忘れてはなりません。
しかし、赤穂事件は、比較は出来ませんが、これも日本人には、忘れることの出来ない出来事であったのでしょう。
皇居東御苑にある松の廊下跡
日本三大仇討ちは、赤穂浪士の討ち入り、曽我兄弟の仇討ち、伊賀超えの仇討ち(荒木又衛門)ですが、中でもこの赤穂浪士の討ち入りは、日本人なら誰でもが知っている事件です。
でも、事件発生当時においては、この事件が一般に知られていたかは不明です。事件の発端である松の廊下の刃傷事件の真相もはっきりしないのが実情だそうです。
江戸城の図面 右上が天守、右半分が大奥、
松の廊下は、左半分の上部の真ん中の中庭に面してます。
日本人に特に知られるようになったのは、事件の4年後(1706年)に浄瑠璃で「碁盤太平記」が竹本座で上演され、以降歌舞伎にも取り入れられ、一般に知られる人気演目となり、明治以降は、徳川幕府への遠慮が無くなって益々人気を博しました。
泉岳寺 泉岳寺山門
日本人好みの「判官ひいき」は、義経に始まり、この赤穂事件(この事件を基に脚色した物語の総称を「忠臣蔵」といいます)は、最たるものです。
この「忠臣蔵」で、江戸時代というものを調べて見るのも面白いもので、次回よりあらゆる角度から検証して見たいと思います。