夜昼も 裏も表も 知る花は 慈愛満ちたる 部屋に開花す
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小さな書斎兼事務所にハイビスカスの
一輪が開花した。この空間にはブラッ
ドオレンジの木もあり、人工日照時間
も長い温室となり良い環境にあるんだ
ろうと想いながらシャッターを切る。
A winter fairy is melting a snowman.
A winter fairy is melting a snowman.
A winter fairy is melting a snowman.
It's melting a snowman.
木村カエラの歌詞ならずとも、この空
間はどこにも負けないくらい慈愛に満
ち温かいところとハイビスカスは讃え
ると。
「連帯税収入の推移」
【朝鮮統一の現実味】
韓国の李明博体制は迅速だ。10月4日、
東西ドイツ統一の教訓を統一に生かす
ため、韓国(統一省)・ドイツ共同諮
問委員会が設置された。統一と統合に
関するドイツの文書や資料を共有し、
統一問題の担当公務員をドイツに派遣
するなど人的交流も推進している(「
韓独共同諮問委員会を設置、統一経験
共有へ」)。
北と南では30倍もの貨幣格差があると
いう。旧西ドイツでは経済混乱に足を
すくわれ、統一の際に1:1での通貨
交換をしてしまったため、5000億マル
ク(当時の日本円にして約3兆5千億円)
が吹き飛び赤字転落してしまった失敗
体験から貨幣統一を慌てなくて良いと
いう。このことから最低社会保障の拡
張統一で1:15程度からスタートさせ
た方が良いのではと考える。
ドイツ側のシミュレーションによると
30年で 210兆円の復興費を必要として
1年で7兆円必要だという。世界銀行
や関係国(米国・中国・ロシア・日本
など)の信用供与、勿論、韓国側の拠
出額は毎年3兆円程度は覚悟しなけれ
ばならない。ドイツの経験からそれを
連帯税などで補填する必要が出てくる。
もっと、韓国統一省の資産ではこれよ
り膨らみ、約3500兆ウォン(約 250兆
円)が必要としている。また、韓国の
全国経済人連合会(全経連)の北朝鮮
との南北統一に関するエコノミスト20
人に実施した調査で、向こう5年以内
に朝鮮半島の統一が実現すると考え
る回答者は1人もいなかったが、約半
数は10~20年以内には統一があり得る
と考えているという(ソウル11月14日
ロイター)。
しかし、それだけの経済成長ポテンシ
ャルがあるわけで、北の政治的リスク
を除外した純経済の波及効果は、資源
開発、インフラ整備、福祉・環境・観
光事業などを勘定にいれるとそれ以上
あるものと想定される。問題は、日本
米国、ロシアは毎年拠出できるのだろ
うかとの悲観・懐疑論だ。勿論、中国
はいままで北に支援してきたのだから
額の多寡はあっても『出世払い』した
方が現状より得と条件付きで判断して
いると見ているし(甘~~~い予測)、
Robert Dujarric
今回の延坪島砲撃について、テンプル
大学(Temple University)日本校現代ア
ジア研究所のロバート・デュジャリッ
ク(Robert Dujarric)所長が、北の今後
は予測しがたいと言う。「いつでも、な
んの兆候もなく崩壊しうる。そうした
場合、再統一はすぐに起こるだろう」。
中国政府はおそらく現状維持を望んで
いるが、「金政権を守るために戦争に突
入することはしないし、政権崩壊を防
ぐために(北に)侵入することもしな
いとの予測もある。
「朝鮮族ネット」
さらに、韓国統一省は、2008年の平均
年収の比較では、韓国が約1万9230ドル
(約161万円)に対し、北朝鮮は約106
ドル(約8万9000円)。韓国の李明博
大統領は、将来の南北統一に向けた資
金を確保するため「統一税」の導入を
提案している。韓国全経連は「韓国経
済に与えるショックは短期的には大き
いが、長期的には統一はポジティブだ」
と表明している。
【太子信仰の現在的意味】
日本には聖徳太子自身を信仰対象とし
て聖徳太子像を祀った太子堂が各地に
存在し「聖徳太子は観音菩薩の生まれ
変わりである」とする考えもあり、親
鸞が、太子信仰を有していたことも知
られている(親鸞を観音の化身とした
ことが、既に妻・恵信尼の書状、親鸞
の『正像末和讃』「皇太子聖徳奉讃」
の11首、『皇太子聖徳奉讃』に75首、
『大日本国粟散王聖徳太子奉讃』に114
首と和讃を著している)。
室町時代の終わり頃から、太子の忌日
と言われる2月22日 (旧暦)を「太子講」
の日と定め、大工や木工職人の間で講
が行なわれるようになった。これは、
四天王寺や法隆寺などの巨大建築に太
子が関わり諸職を定めたという説から、
建築、木工の守護神として崇拝された
ことが発端である。さらに江戸時代に
は大工らの他に左官や桶職人、鍛冶職
人など、様々な職種の職人集団により
太子講は盛んに営まれるようになった
とされる。
聖徳太子とかかわる王の系譜
親鸞の聖徳太子信仰は、六角堂で
聖徳太子の夢告を得たことに始ま
る。建仁元年(1201)比叡山で修
行中であった親鸞は、京都巾中の
六角空に百日参籠をして、本尊救
世観音に「後世の事」を折り、そ
の95日目の暁時に聖徳太子の夢告
を得て、法然の浄土門へ転じた。
天台の自力門から浄土の他力門へ
の「回心」であった。
この六角堂百日参籠は、当時の
庶民の太子信仰を踏まえていた。
彼岸に大坂・四天王寺の西門で夕
日参拝して極楽を観想する「日想
観」が流行したように,京都の市
中では六角堂の本尊救世観音に極
楽往生を遂げることを祈ったので
ある。
門屋光昭
『親鸞の聖徳太子信仰』
尚、六角堂が四天王寺以前に建立され
たという伝説は、早くからあり、親鸞
は「仏法最初のところ」という。その
土壇を六角にしたのは、迷界の六道(
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)
に苦しむ者を救うという観音の慈悲を
現している。
この様にして、親鸞にあっては「観音
=聖徳太子」として存在し「生き仏説」
「架空・虚像説」の後世の論争を越え
信仰されたことが伺えるわけだが、中
国の日本歴史家・王勇や安藤更正、井
上靖らが鑑真を介することで「上宮皇
太子菩薩伝」、つまりは、鑑真の弟子
である法進、思託らにより「慧思禅師
はすなわち日本に降生し、聖徳太子と
為る」とし、慧思と太子の両者を結び
つけ「思禅師はのちに日本国の橘豊日
天皇の宮に生まれる」という一文があ
り、鑑真らの慧思信仰と奈良時代の太
子信仰とが習合した原初的な形態とみ
られているのである(「聖徳太子と鑑
真和上-なぜ古代に目を向けるのか-」)。
この「中日文化交流史」の王勇が意図
するホームページで掲載されているよ
うに、国家主義的手法の手詰まりを越
えて、東アジアの安定的で共生的な発
展を考える上で、外交的手法の手がか
りとして『太子信仰』をとらえ直して
みたわけだが、短時間であったが有意
義なブログ作業であったことを記録す
る。
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