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極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

宇陀にルーツを辿る。

2010年12月12日 | 国内外旅行



約束の 里山訪ね 畦に立ち 犬が迎える 澤の城跡 




 “Memoria justorum manet in aeternum.
          Justus ut palma florebit.”

義人の記憶は永遠に消ゆることなし
義人は棕呂の樹のように栄えるであろう 



Beatus vir qui timet Dominum, 
in mandatis ejus volet nimis: 
potens in terra erit semen ejus, 
generatio rectorum benedicetur; 
gloria et divitiae in domo ejus, 
et justitia ejus manet in sacsulum saeculi. 
Exortum est in tenebris lumen rectis, 
misericors et miserator et justus. 
Jucundus homo qui miseretur et commodat, 
disponet sermones suos in judicio; 
quia in aeternum non commovebitur. 
In memoria aeterna erit justus, 
ab auditione mala non timebit. 
Paratum cor ejus sperare in Domino: 
(confirmatum est cor ejus,) non commovebitur 
donec despiciat inimicos suos. 
Dispersit, dedit pauperibus, 
justitia ejus manet in saeculum saeculi, 
cornu ejus exaltabitur in gloria. 
Peccator videbit et irascetur, 
dentibus suis fremet et tabascet: 
desiderium peccatorum peribit. 
Gloria Patri, et Filio, et Spiritui Sancto. 
Sicut erat in principio, 
et nunc, et semper, et in saecula saeculorum. 
Amen.
 

              ‘Beatus vir’

 

その諸々の戒めを大いに喜ぶ人は幸いである。
   
その子孫は地において強くなり、
正しい者のやからは祝福を得る。
繁栄と富とはその家にあり、
その義はとこしえに失せることはない。
   
光は正しい者のために暗黒の中にも現れる。
主は恵み深く、憐れみに満ち、正しくいらせられる。
   
恵みを施し、貸すことを成し、
そのことを正しく行なう人は幸いである。
正しい人は決して動かされることはなく
   
とこしえに覚えられる。
彼は悪い訪れを恐れず、
   
その心は主に信頼して揺るがない。
ついにその仇に打ち勝つまで動かされることがない。
   
彼は惜しげなく施し、貧しい者に与えた。
その義はとこしえに
失せることはない。
その角は誉れを得てあげられる。
   
悪しき者はこれを見て怒り、
歯をかみ鳴らして溶け去る。
悪しき者の願いは滅びる。
   
願わくば父と子と精霊とに栄光あれ
初めにありしごとく 今も いつも
代々に至るまで。アーメン。 

            「主をおそれて」


聖書を読むなど何年ぶりだろう。30年ぶ
りだろうか。便利なもので原文をネットで
簡単に読める時代だ。「喩としての聖書」。
高山右近の顕彰碑文はラテン語。改め
て聖書を楽しめた気分だ。さて、朝9時に
目的地に向かうが、未暁まで作業してい
たので気分が悪く途中、栗東ジャンクショ
ンを降りコンビニを探すがなく草津をうろ
うろして再び上がり宇治西ジャンクション
を降りて途中、昼飯を調達するためにロ
ーソンに立ち寄る。



 

伊藤園のお茶と焼きハラコ、熟成生た
らこ買い込んでトイレ休憩したが、こ
ちらはすっかり快晴模様。この昼ご飯
は帰宅車中、午後三時過ぎ頂くことに
なるのだが、包み紙を破れば直ぐにた
べることができ便利だ、欲を言えば海
苔巻きが湿気を吸い「パリッ→しんな
り」となるぐらいだが、これは世界に
誇れるファストフードだ。

世界に売り込むとなれば、国々の土地
柄を食材を取り入れる技術(ノウハウ)
がいるものの、マクドやケンタッキー
は油・脂し、高齢者はそこからはずれ
る。だから、
伊藤園とおにぎり屋と滋
賀農協
がコラボし、健康志向のファス
トフードを販売すれば、えぇ~~っと、
70億人×10-3/日×¥200/日/人×365≒
0.5兆円/年の市場が誕生するわけで、
日本人の就労者を、売上高を¥1億/人/
年とすると5千人の仕事が誕生する。

 

車を走らせいると12月だというのに雲の
かたちがまだ夏の雲の形をとどめている。
やはり、異常気象なんだと主ながら阪奈
和道から阪名道を経て榛原区は澤と大貝
に到着する。生駒と吉野を結んだ中央に
位置するのか懐かしい景観だ。



史述によると、澤城は、土豪沢氏の本
拠地として南北朝時代ごろに築かれ、
沢氏の史料上の初見は「細々要記」の
延文四年(1359)で、南朝軍に属して
いた。秋山氏、芳野氏らと共に「宇陀
三将」と呼ばれ、応仁の乱や戦国の動
乱を通じて勢力を競い、永禄三年(15
60)に松永久秀軍によって落城、澤氏
は伊賀方面に逃れた。松永久秀は、部
将の高山飛騨守友照を城番に任じたが、
その四年後の永禄七年頃の城の様子が、
ルイス・フロイスの「日本史」に述べ
られるキリシタン武将だ。

高山友照は城内に礼拝堂や宣教師の宿
泊施設まで整備したという。その息子
高山右近が、洗礼を受けた地である。
城跡は、伊奈佐山の南尾根上に南東か
ら北西にかけて空堀、郭、土塁などの
遺構を残す。時間の都合、城山跡に足
を入れるとはなかったが、麓の山口農
園と柳澤宅まで行き、写真を撮り引き
上げるのだが、各家々の番犬が次々が
吠えるのには驚かされた。

 高山八幡宮

さて、その高山友照は、摂津島下郡高
山村(現在の大阪府豊能郡豊能町高山)
の土豪の出自といわれ、大和国宇陀郡
の沢城の城主として知られ、誠実な「
武士の鑑」として同時代人に知られ、
三好長慶の重臣から松永久秀に仕えた。

イエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレ
ラが堺を訪問することを知った僧侶た
ちは領主松永久秀に宣教師の追放を依
頼したが久秀は、宣教師と仏教につい
て議論させた上で判断しようとし、清
原枝賢、高山友照、結城忠正を差し向
けるが、ロレンソ了斎との討議で、キ
リスト教の説く教え惚れ込み高山友照
はヴィレラを澤城に招き入れ家族とと
もに洗礼を受けるという展開となった
というから実に面白い。

高山城址や高山八幡宮は郷里にあり、
いつでも訪れることができるから、親
父の<高山右近の末裔>遺言からはじま
ったルーツ探しの旅は一旦終わろうと
帰りの車中で思った。今年は「
摂津郷
族→清和源氏→源頼朝・鎌倉時代→秩
父平氏→室町南北朝時代→高山友照親
子→キリシタン弾圧」の脈絡で「鎌倉」
と「澤城址」を訪ねることができただ
けでも有り難いことだと。それでも、
<郷里>とは面白ものだとこの歳にして
再認識する。見知らぬところだという
のに、先入観という思いこみがあるの
か、初めてではないという「懐かし匂
い」という親和感が漂いう宇宙がそこ
にはいつもあったのだ。

※「尾根道北行き 伊那佐山

              

コメント
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