海も見ずに、ものを書いているとき、
ペンの先が細かく震え始めるのを、彼は感じた。
小石だらけの浜辺を潮が引きつつあった。
でもそれじゃない。いや、
それはちょうどそのときを選んで、彼女が
何も身にまとわずに部屋にはいってきたせいだ。
寝ぼけまなこで、少しのあいだ今自分がどこにいるのかも、
わかってない。額に落ちた髪を、振って払う。
目を閉じてトイレットに座り、
下を向く。両脚を開く。彼は戸口ごしに彼女の
姿を見ている。たぶん
その朝に起こったことを、彼女は思い出しているのだ。
というのは、少ししてから彼女は片目を開けて、彼を見るから。
そしてやさしく微笑むから。
As he writes, without looking at the sea,
he feels the tip of his pen begin to tremble.
The tide is going out across the shingle.
But it isn't that. No,
it's because at that moment she chooses
to walk into the room without any clothes on.
Drowsy, not even sure where she is
for a moment. She waves the hair from her forehead.
Sits on the toilet with her eyes closed,
head down. Legs sprawled. He sees her
through the doorway. Maybe
she's remembering what happened that morning.
For after a time, she opens one eye and looks at him.
And sweetly smiles.
レイモンド・カヴァー『ある午後のこと』
村上春樹 訳 “An afternoon”
午後、電話が鳴った。懇意にしていいただいた上司からだった用向きは
企業内組合の元執行委員長と長い間会っていないので気の置けない仲間
と再会しに行かないかと言うことだった。それで、快諾し、それじゃ、
元専従のOさんに日程を調整してもらおうということになった。互いの
近況を暫く話しあって電話を切った。そうなのだ、彼と彼がいなければ
わたしはここに住み家族をもつことはなかったのだと。長い余韻が続き、
<人生>が露わになり哀切を胸の奥へと放ち消えていった。それを埋める
かのように、カーヴァーの詩篇をひと摘みし、部屋の真っ赤なハイビス
カスとともに吾と吾が心は充足していった。
ところで、携帯電話やスマートフォンで絵文字を使うことは日本ではお
なじみだが、米国でも近年、絵文字を使ったコミュニケーションが増え
てきたというから意外だ。米国で携帯電話を使ったメールは、テキスト
による「ショートメッセージ」が主流。そこでは「絵」を表現するため
に、アルファベットや、カッコなどの記号文字を組み合わせて顔の表情
をつくる「顔文字」が頻繁に使ってきたが「半角文字」のアルファベッ
トの場合、顔の表情も「横向き」となり、多様な全角文字を使える日本
の顔文字と比べるとやや見づらく、バリエーションにも乏しい(なるほ
ど)。イラストでひと目で分かる絵文字が、米国のユーザーの間で使え
るようになったのは「iPhone」の功績だという。日本を中心にアジアで
普及していた絵文字に、アップルとグーグルが注目し、2009年に絵文字
使用の標準化プログラムを推進したという。現在「iPhone」で使える数
は722個に増え、またグーグルのメールサービス「Gメール」でも絵文字
に対応するようになったというのだ。
「人間たちはかくも必然的に気違いであるので、気違いでないとは、狂
気の別のひとめぐりによって、気違いであることである」(パスカル)
「彼の隣人を閉じこめたからといって、ひとは自らの正気を確信できる
ものではない」(ドストエフスキー)の言葉をミッシェル・フーコーは
『狂気の歴史』のエピグラフに書き付けたと中沢新一は『芸術人類学』
(みすず書房)で引用し、人間科学あるいは人文科学全体がよって立っ
ている土台をひっくりかえして、その全体を新しい土台の上に再編成し
なおすという作業は、レヴィ=ストロースやフーコーらの努力にもかか
わらず、じつはまだほんのわずかの前進しかしめしていない、というの
がほんとうの状況だと言い、レヴィ=ストロースの構造人類学と、もう
いっぽうで芸術と宗教の起源をめぐる思索をつうじてあらゆる思考の絶
する非知の働きを現生人類の心の本質としてみいだしたバタイユの思想、
このふたつの思想を結合したところにあらわれてくるはずの、未知の思
考の領域を切り開くのだといっていたが、その作業はどれほど進んでい
るのかと。ふと、そんなことも思ってみた。
そう言えば今週は職場仲間の後輩達はボーナスが入っているはずだ。こ
のころは一度は雪が降り少しだけつもり、クリスマスキャロルを聴くイ
ブ前後には雪が積もっているはずだが、温暖化によりそれも無くなりつ
つある。そう、現生人類の土台を揺るがすような状況が続いているのだ、
これもなにかの試練かも知れない。これを受け年頭の言葉はどうやら、
“克己”に収まりそうだ。