大阪城の指定の桜が花をつけたそうで、明日気象庁の人が確認されたら、大阪の開花宣言となるそうです。さくらといって真っ先に思い浮かべるのがこの画像の桜です。1955年春、51年前の桜です。
1996年に近くの公民館で、コラムを書くという講座がありました。
第1回目、講師の細見先生は、当時産経新聞論説委員だったと思いますが、即興でお題を出されました。
桜という題で、20分で原稿用紙1枚、その場で書き上げます。
初めての体験でドキマギしているうちに時間は刻々と…
とっさに思い出したのがこの桜です。
その時数十人の参加者の中を巡回しておおられた先生が、講評の時間になって私を指名され、以下のコラムを皆の前で読み上げました。
わざわざこの場でご披露するのもお恥ずかしい限りですが、話のついでに。
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実家の向かいに祖母の本家があり、その門の脇にそれは見事な桜の木があった。大きく広がった枝ぶりは実に堂々としていて、春になって花をつけ始めると、道行く人は皆足をとめて見入ったものだった。
ここの当主の大伯母が、他には例を見ないほどのケチで有名だった。三人姉妹の一番上で、婿養子をとり、一子をもうけたあとすぐ離縁。お嬢様学校であった帝塚山で家政科を教えていた。
だから贈り物、付け届けは多く、留守の折には我が家で預かるのが常だった。後で届けると、きれいな菓子箱を見せてくれるだけで、中身のおすそ分けはなかった。庭になる柿やイチジクの実でさえくれなかった。
そのシブチンの大伯母が、自分では損得勘定のできない桜の花見を、道行く人すべてに施すのは皮肉なものだった。
晩年それすらももったいなく思えたのか、毛虫の始末が大変と木を切ってしまった。その後みるみるうちに弱り96歳で他界した。
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この文の中に出てくる一粒種の跡継ぎは、すでに70歳を超えられ、つい最近もともちゃんのブログ時々見てますとメールくださいました。
これ読まれたら気を悪くされるかなとちょっと気にもみましたが、半世紀近く前の話なんだもん、許されるよね。