鳩が向き合ったかわいい神紋です。
「向い鳩」は八幡の八をあらわすともいわれています。
鳩は八幡大菩薩の使いであると言われ、勝利を呼ぶ瑞鳥だそうです。
平和の象徴鳩は、西洋の認識で、日本では昔から武運を祈る鳥。
そうとも知らず、身体健康と書いてしまったわ。
外人の多い東大寺では、英文字の祈願文も見られました。
手向山八幡宮は、八幡宮の分社では第一号です。
749年に東大寺を建立、大仏を鋳造する際、大分の宇佐八幡神が勧請されました。
このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに
高校時代、小倉百人一首を全部暗記させられました。
このたびは 幣もとりあへず 手向山
紅葉の錦 神のまにまに
菅家
菅家は、菅原道真を尊敬した呼び方であると、この年齢になって知りました。
898年秋、道真が宇多上皇の御幸のお供で奈良の吉野へ行く途中のこと。
供の一人が、道祖神にお供えするものを忘れてきてしまった。
「これは困った!道真、どうしよう」
「はい。それでは私が歌を捧げましょう。」
こうしてこの歌が作られたそうです。
翌899年、藤原時平が左大臣に、道真が右大臣に任じられます。
菅原道真は吉備真備につぐ学者出身の大臣となりました。
「藤原氏でも無い者が大臣の位につくなど、ありえぬ。
このままでは藤原氏を越して太政大臣にもなりかねない…」
藤原時平は醍醐天皇に
「道真は帝を追放し、弟君の斉世親王を天皇の位につけるつもりです。
これは謀反です!」
醍醐天皇は、もともと口うるさい道真とその背後にいる父宇多上皇を煙たく思っていました。
そこへ時平の讒言です。
ここぞとばかりに菅原道真を大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷し、大宰府送りとされます。
都から遠く離れた大宰府、浄妙院(榎寺)に謹慎すること二年。
延喜3年(903年)2月25日菅原道真は失意のうちに没しました。