秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

金閣寺のお不動さんが顕現?

2016-09-10 | 日々是好日






金閣寺にある不動堂には、弘法大師作といわれている石の秘仏、不動明王が祀られる。
石室に安置され普段石室の入り口は扉で閉ざされ、江戸時代からすでに秘仏とされている。
大文字送り日8/16と、節分2/3の二日だけ特別開扉される。

鹿苑寺の境内にありながら、本坊とは独立して運営されている。
嘉永元年(1225年)に建立され、文明17年に焼失、天正年間に宇喜多秀家が再建。


このあと、今宮神社参道であぶり餅を食してるとき画像確認してたら、

あれれ~
金閣寺の不動堂の線香の煙に白いのなんか写ってるわ、と連れに見てもらった。

これは屋根の角で頭打たないようスポンジで保護ガードされてるんですよ。
それよりも煙に顔が見えます!




うわぁ~、お払いしなくともいいの
と、見て確認したもう一人が心配気に言う。

煙の後ろに石不動明王の提灯の字が見えるので、
石不動明王が顕現されたことにしよう!!!



黄不動 (国宝 曼殊院)

黄不動といえば、2年前2014年11月に三井寺へ秘仏開扉されてて会いに行ってました(^_^;)
これを写し描いたものが曼殊院の黄不動ですって。
北山にあったものが、義満の金閣寺造営で移転されてたのですね。

なんともけったいな三井寺の伝承の数々




外人と修学旅行生だらけの金閣寺で

2016-09-10 | おでかけ・近畿


しょうざんで宿泊した帰り、すぐ近くの金閣寺へ。
一行4人のうち、ただ一人私だけが金閣寺行ったことなかったから寄ってもらいました。





拝観券のまわりの白いもやは暑さしのぎのためのミストです。

拝観料400円は、京都の世界遺産観光地にしたら安いね。

二つ折りしてバッグの中でくちゃくちゃになったらあかんやろうと、ずっと手に持ってたので撮影とかしにくかった。
おまけに数珠なりのえらい人で、立ち止まったらガードマンに注意されたり。

池越しに見る金閣を背景に撮影するのに皆さん必死です。
浴衣姿でも、いろんな言語が飛び交ってました。












金閣の鳳凰は昭和の舎利殿の放火消滅の際も残り現存してるとか、10cm角の金箔を貼り付けてあるとか、
修学旅行生の集団を引率するガイドさんの案内に耳そばだてて知りえた情報。



見返り金閣、右のほうに金閣の屋根が少し見えてます。




安民沢(あんみんたく)の中央にある白蛇の塚、画像なし。
白蛇は古くから西園寺家の鎮守とされていたそうです。
金閣寺を立てる前は西園寺家の別荘で、安民沢はその当時からある池で水が涸れた事がなく雨乞いの場所でもあったとか。



どこかのお堂でお賽銭を入れて手を合わせることなく、庭をどんどん進んでいきます。
出口近くになって、やっと不動堂。



ご本尊様はどこに祀られてるんだろうと検索したら
金閣の三階に器に入ったお釈迦様の骨がおまつりされてるそうです。

臨済宗は禅宗で、禅宗のご本尊はお釈迦様なんですね。

金閣寺とは
正式名称を北山鹿苑寺(ほくざんろくおんじ)臨済宗相国寺派
相国寺の塔頭寺院の一つで、舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれる。
金閣を含んだ境内全体が金閣寺でした。



元は鎌倉時代の公卿・西園寺公経の別荘
1397(応永4)年、室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造り隠居所とした。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われる。

有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化という。
義満の死後、遺言によりお寺となり夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられた。

金閣寺・銀閣寺がともに塔頭寺院であることはあまり一般に知られていない。
銀閣寺は八代将軍である足利義政の隠居所で、正式には東山慈照寺(とうざんじしょうじ)


続きは、金閣寺秘仏石不動明王


洛北鷹ヶ峰三山を借景に 花と緑の観光工場「しょうざんリゾート」

2016-09-10 | おでかけ・近畿


東急ハーベストクラブ京都鷹峯に宿泊してたら、しょうざん庭園の入場料は200円に割引いてもらえます。

午後出発で夕食前にホテル着いたので、庭園散策。







西陣に生まれ戦後いちはやくウールお召しを開発して世に広めた創設者、故・松山政雄氏が、大文字山の麓、金閣寺に隣接する景勝の地に思い描いた「花と緑の観光工場」。
「しょうざん」の建設は昭和26年にさかのぼり、戦後消失の運命にあった美しい日本の建造物を移築し点在しています。

敷地の中央に流れる紙屋川を中心に庭園を広げ、自然の川と配置された石、杉が見事に調和、北山杉が三千本、その周辺には桜や紅葉など季節のあでやかな木々。

石畳の小径、竹林を渡る風、涼やかな川のせせらぎ、紅葉、梅林と春夏秋冬の移り行く自然の営みを包み込みます。









盆栽や植物を販売しているところがあり、一番お高い三百万円の松を見てただけ。




3万5千坪の広大な敷地に、日本庭園、結婚式場、プール、ボウリング場、レストラン料亭など休日にゆっくりできる施設がそろう。

後に、会員制リゾートホテル「東急ハーヴェストクラブ京都鷹峯&VIALA」ができました。



料亭千寿閣の夏だけの渓涼床は、貴船ほど川の流れうるさくないし、市街地の賀茂川床よりずっと涼しい。







江戸時代初期、本阿弥光悦が徳川家康から与えられたのが、ここ京都の洛北・鷹ケ峯の九万坪の土地。
光悦の呼びかけに応じて、多くの金工、陶工、蒔絵師、画家、そして創作活動を支える筆屋、紙屋、織物屋が集まり住んだといわれる「光悦村」がうまれた。
「しょうざん」に隣接する「光悦寺」は、芸術村にあった光悦の屋敷跡。

今回は訪れる時間がなくて、翌朝、帰路向かった先は→次に続く