秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
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奥の細道★むすびの地で「行秋ぞ」→出立地の「行春や」

2018-08-07 | 旅・関東&中部&北陸地方


大垣船町の川湊のすぐ前にある奥の細道むすびの地記念館を訪れました。



この施設は平成24年(2012)4月にできてまだ新しく、3DのAVシアターなども最新のものでした。
その年の暮れ12月5日、天皇皇后両陛下のご訪問(行幸啓)
会館建物前に、天皇皇后両陛下行幸啓記念碑がありました。


開通したばかりの東海環状自動車道を通行止めにしてすいすい~っと。

5月に行った臼杵の石仏の地も修復された年の行幸啓を恭しく紹介されてました。
今夏の暑い8月は北海道の利尻島へ避暑にお出かけになりエゾバフンウニが楽しみですと、ニュースで見ました。
シニアのセレブな私的旅うらやましい限りです。


下々の民の大垣市協賛ツアー一行34名は、
一人旅参加 6名
二人組×6  12
3人組、5人組、8人組 ×各1

5人組は白人の若いカップル2を引率する日本人中年男性のグループでした。
ツアーで初めて外人さんと一緒になったよ。



お試しのたらい舟に一度に載れないので、3班に分かれました。
私たちは、3番目のグループになったので、先に3Dシアター20分をまず視聴。
映像も内容もNHK監修でなかなか見ごたえのあるものに仕上がってました。




続いて、学芸員さんについて展示物の説明を受けました。


撮影不可だと後で言われ、削除しますといったんだけれど…
とてもよくわかる説明だったので、学芸員さんに感謝を込めてアップしときます。

『奥の細道』って紀行文学の傑作だったんですね。

松尾芭蕉が陸奥・北陸路の古歌や故事で知られた名所・旧跡の地を訪ねた旅日記に基づいたファンタジーだったんだ。
俳句日記のように思ってました。


国名勝 おくのほそ道の風景地スタンプラリー より


芭蕉は、元禄2年(1689)3月27日に、弟子の曽良とともに江戸を出発し、東北・北陸地方を巡り、8月21日に大垣で、『奥の細道』の旅を終えました。

距離にしておよそ2400キロ、150日あまりにおよぶ生涯で最大の旅だった。
ふつうに割り算して
2400÷150=16

しかし滞在数日というところもあるので
一日平均16㎞以上歩いたということになります。

ときに芭蕉46歳。
元気ですね~

先の記事で紹介した、むすびの地で俳句
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ

長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて
詠まれた句となっています。

元禄二年が式年遷宮の年にあたり、内宮は九月十日、外宮は同十三日に行われ、芭蕉は内宮の式には間に合わず、外宮の式を拝したようです。

そして遡ること、彌生も末の七日
(元禄2年3月27日のこと太陽暦では5月16日にあたる)



明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽かに みえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。
むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。
千じゆと云所にて 船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。


行春や鳥啼魚の目は泪


この当時の風習では、長旅に出る人の送別は一駅先の宿駅まで同行した。
親しい人々はみな前夜からやってきて、共に舟に乗って見送ってくれる。
千住というところで舟をあがると、・・・

千住は当時、奥州街道(1597年)・日光街道(1625年)第一の宿場で、芭蕉たちは深川にて乗船し、この墨田川の千住大橋付近に上陸。


船に上がったところで、行く春や~
この句は一番最後に対になるよう作られたものだったそうです。
舟を降りて旅が始まり、また舟に乗り旅を終える。



紀行文学だったことを、この年にして知る。