養老の滝から少し下ったところに養老神社があり、社殿右に菊水泉、水が湧き出してるのがわかりました。
昔は滝とこの水源は繋がってたそうです。
滝から流れる川の左側を歩いてても、万代橋、もみじ橋を渡ると養老神社に行くことができます。
地図の菊水泉へと延びる道は急な階段でした。
養老神社の社標の下に人だかりがありました。
ここでお水を賜ることができて、すぐ際まで乗用車が上がってこれるので、水タンクいっぱい積載されてました。
甘みはあるがクセのない美味しい水でした。
また急な階段参道をあがると
階段上から見下ろすと、左手に水くみ場
社殿前には
そして社殿右横に菊水泉があり、そこで湧き出た水が小川となって下の水くみ場に。
養老孝子伝説
昔むかし、美濃の国に貧しいけれど親孝行な樵が、ある日山に入ったところ、苔むした岩の間から酒の香りのする水が湧き出ていました。
樵は喜び、この水をひょうたんに詰めて持ち帰り、年老いた父に飲ませたところ、この上もない良い酒とたいそうな喜びようです。
この話が奈良の都にまで届くと、時の帝・元正天皇はこの地までお越しになり、この泉の水をお飲みになりました。そして、この樵にごほうびを授けられるとともに、このめでたい年を記念して、年号を「養老」と改められたのです。
この伝説から、この地が養老と呼ばれるようになりました。
養老の滝を出発するまでに間があったので足をつけて涼んだ。
『続日本紀』によれば
霊亀3年(717)8月、多治比眞人廣足を美濃國に派遣し、行宮を造らせた。(→現在御旅所になっている)
同年9月、元正天皇は美濃國へ行幸。當耆郡に至り、多度山の美泉(菊水霊泉)に接した。10日間滞在。
同年11月、靈龜から養老への改元の詔があった。
朕は今年九月、美濃國不破行宮へ行き、數日間留まり、當耆郡多度山の美泉に接し、手面は皮膚が滑らかになった。また痛い箇所につけるとなくなる。また、この水を飮む者は白髪が黒く戻り、髪がない者は生えてくる。目が見えない者は見えるようになり、歯痛は治る。老いを養う水の精である。
昔の事と聞いているが、後漢の光武帝の時、泉が湧きだし、これを飮む者は、皆病気が治ったとある。
天下の80歳以上の老人には、物を賜り、位を授ける。孝行を尽くす子を表彰する。
元正天皇は、翌年にも美濃國の泉に行幸している。
自ら飲浴され「老を養う霊泉」と元号を養老と改められました。
養老山地から湧き出るミネラルを含む水は、世の中をくくり結び、病に効く「
菊水泉」と名付けられ、昭和60年に日本の名水百選に指定されています。
平安時代に編纂された令(法律)の式(その施行細則)のなかの、『
主水司(もといりのつかさ)式』の条文に
「宮中または京内の井戸一か所を選び、
牟義都首(むげつおびと)がその井戸を清め、立春の夜明けにその井戸より若水をくみ、主水司がこれを天皇・皇族に献上する」
元正天皇は、養老の滝への行幸の際にもムゲツ氏を帯同させ、その後も水の祭祀を任せていたそうです。
立春の暁に若水をくむ宮中の年一度の「
主水の祭事」にムゲツを名乗る人物がその主役を勤めていたのは、なんでだろう。
水とかかわりの深い氏族だったムゲツ氏。
「ムゲツ」は、「身毛」「身毛津」「牟義都」「牟宜都」といろいろ表記されるがいずれも「ムゲツ」
1年ほど前にこのことを知った。
2017-09-29
不思議を追ってたら 向こうからやってくる…
あれ以来、養老の滝へいけば、ムゲツ氏の尻尾捕まえられるかとずっと行ってみたかった。
今回滝見て気持ち良かった、水は美味しかった、
でもそれ以外の深いところはさっぱり?だった。
追っかけのテーマ見つけれて楽しみ増えました。