昨日はランチ前に陶荒田(すえあらた)神社へ参拝しました。
ランチ場所ラグーの大阪狭山市西山台と
神社鎮座地の堺市中区上之がすぐ近かったから。
屋根が付いて珍しいですよね。
境内入口に社標と二の鳥居ありました。
駐車場へはその前で道曲がり、西の鳥居から入りました。
ランチ予約してたので余裕なく撮影できなかった。
屋根下蛙股?の彫物も立派でした。
拝殿の向こうの本殿は見えません。
ご祭神は、高魂命、剣根命、八重事代主命、菅原道真公。
帰る時、道路先の一の鳥居を車中から 昔は境内もっと広かったんですね。
今は陶器大宮の戎さまとして有名らしいです。
とても清々しい神社でした。
お掃除は行き届いていて、
この時も境内で2人の高齢男性が手入れされてました。
市杵島姫を祀る弁財天社は
池の真ん中の祠でこんな立派なの初めて見ました。
ガラス戸で覆われています。
お正月前の掃除もあってかガラスもピカピカ。
この陶荒田神社は小高い丘の上にありました。
古代、須恵器の生産で有名な陶邑、
このあたりには陶器千塚と呼ばれる小古墳が散在してたようです。
昨年暮れに幸先詣した鈴の宮蜂田神社、土塔とまぁまぁ近い。
その記事最後に記したこと
「別の古墳群陶器千塚があり、お墓の形も作り方も異なる。
お墓ごと焼く、何とも大胆な葬送方式だと。
埋葬施設自体を木で枠組みを作って、粘土をはって窯のようにして作る
その中に入れた遺体を、直接じゃなくて埋葬施設自体に火をかけて焼く。
これは火化(かか・ひか)といい、火葬とは違う概念です。
またなぜか焼かないままのときもあるらしい。
前方後円墳作った民族と違うのでしょうか。
興味は尽きません。」
崇神天皇が、大神神社を祭司させた太田田根子の出身地が
この茅渟県の陶邑とされています。
当社のあたりは「太田内」「太田の杜」と呼ばれるそうです。
毎年10月の例大祭には大神神社より代表が参列されると、
由緒書に記されてました。
この陶荒田神社でものすごく興味深いことありました。
太田社と、玉の緒社
ホントはそれから書きたかったけど、
まず位置関係とかざっとあらまし情報を先にレポートしました。
つづく