都島神社境内の三重宝篋印塔。
大阪市内最古の石造文化財で鎌倉後期嘉元2年(1304)の銘があります。
都島神社は後白河上皇がこの地に行幸された折に、
何度も洪水に苦しむ農民に鎮守社を設けるよう命じられたのが始まり。
昭和になって都島神社と改名されてます。
すぐ近くに母恩寺がありまして
階段下から見上げただけですが
説明文には以下のように記されてました。
御白河上皇が十五社神社を建立させ
さらに生母待賢門院の供養のため母恩寺建立。
浄土宗尼寺として代々皇女が住職務める格式高いお寺だったようです。
度重なる洪水と兵火で衰微したそう。
何度も洪水という言葉が出て来ましたが、
現代の大川堤防が築かれるまでは治水で苦労した地のようです。
鵺が眠るまちの元になった鵺塚は、都島駅の南側にあります。
上の地図の8番
自転車ならあっという間ですが行きませんでした。
都に出没して当時の天皇を苦しめた鵺を源頼政が射落とした。
その亡骸は淀川に流されてこの地に流れ着いた。
祟りを恐れた住民が母恩寺住職に弔ってもらい鵺塚をたてた。
今でも大阪港紋章に取り入れられてます。
両側に『ぬえ』。
『ぬえ』とは、近衛天皇(1139~1155)の時、源頼政が宮中で射殺したといわれる怪獣。
頭はサル、胴はシシ、尾はヘビ、手足はトラ、声はトラツグミに似ていたといわれる。
詳しくは⤵︎
鵺とは、2017/7/15
謎は深まるばかり…
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