
信貴山(しぎさん)の一部6kmほど歩いてきました。
P社の健康ウォーキングに参加させてもらいました。
朝9時信貴山口集合で、9;30発のケーブルで高安山駅へ
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信貴山生駒スカイラインは自動車専用道ですから、歩きは山道です。
高安山駅より少し歩いて気象レーダー横を通り、スカイラインを横切り、
30分あまりで信貴山城址に着いたのが10時半過ぎ。
けっこうな山道で息が上がりました。
信貴山は大和国と河内国を結ぶ要衝の地です。
天智天皇時代に山城が築かれた記録に始まり(高安山のほうだった)、
信貴山には戦国時代には松永秀久の支配により歴史の表舞台にも登場。
1577年( 天正5年)松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け50日間籠城の上、名器・平蜘蛛茶釜と共に爆死し落城、その後廃城となりました。

ここで朝護孫子寺境内図が配られ、11時半大トラ前集合まで自由散策でした。

伏見稲荷の千本鳥居のように空鉢堂(くうはつどう)まで鳥居が続きます。
信貴山観光協会の説明によれば、
空鉢護法(くうはつごほう) 約700mの山道に、500本といわれる朱塗りの鳥居の中を登ると、そこはあたかも天空の世界。
山頂からの眺望は最高です。近くには「信貴山城址」の碑も。
近づく台風のかげんで残念ながら少しけぶり見晴らしはイマイチだった。
山頂には空鉢護法堂(空鉢堂)と呼ばれるお堂がありました。


このお堂を中心にして、まわりに小さな鳥居と小さな祠がいっぱい。
神仏習合のなごりがここかしこに残っています。
ちょっと珍しい気にかかる不思議な聖域でした。


信貴山中興開山・命蓮(みょうれん)上人によって祠が造られ
毘沙門天王の分身で、巳の姿(竜神、難陀竜王)で出現される空鉢護法の神を祀っています。
難陀(なんだ)竜王は、今から千四百年前、毘沙門天王がこの地に出現した時に、劒鎧童子と共にお供をして現れました。
天王の福徳を授ける使者である八大竜神の中では最も優れた竜王で、信仰篤き者には一願成就必是のあらたかな神様、だそうです。
信貴山縁起絵巻(飛倉の巻)

空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、
驚き嘆く長者に慈悲の心を諭して福徳を授けたという出来事由来により空鉢

家に帰り暦を確認すると、今日は巳の日だった。
しかし空鉢様は巳の姿で出現されることはなかった。
空鉢で検索すると、空鉢仙人がヒット。
法道仙人(ほうどうせんにん)ともいわれ、インド出身だということになっている。
6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、日本へと渡ってきたとされる。
播磨国一帯の山岳などに開山・開基として名を遺す、数多くの勅願寺を含む所縁の寺がみられる。
鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢仙人とも呼ばれ、不思議な術を使う超能力の持ち主であった。
いろいろな寺の縁起などによると、推古天皇のころに日本へ渡ってきたとされるが、本当の事跡や没年、墓所などすべて不明。
彼が日本に渡るときに、共に渡ってきた「牛頭天王(ごずてんのう)」は、
姫路市の広峰神社に、その後、八坂神社中の座に祭られたとされている。
朝護孫子寺の本堂で牛王宝印を賜ってきました。

招福厄除 牛王宝印
牛王(ゴオウ、牛黄とも)とは牛玉とも言い、牛膽の中から得られるとされる最も貴い薬だと言われています。
元々は医薬であった牛王が仏教、特に密教と結びついて”牛黄加持”なる秘密法が生まれますが、それが後世において「牛王宝印」が生まれるに至ったものであると思われます。
牛王宝印とは、この牛黄を印色として護符の上に印するところから「宝印」と呼びます。
当山のものは「信貴山寺 宝印」と刷られ、その一字ずつに御本尊・毘沙門天王様を表す梵字”(ベイ、バイとも)”の御印形が押してあり、祈願主が身の守りとする護符となります。
信貴山では修正会の時に額にこの印を授けますが、この護符があれば家内安全・身体健全・無病息災・厄難消除等々、毘沙門天王様の庇護を得る事が出来ます。
どうぞ御家庭の玄関にお貼り下さい。
総本山 朝護孫子寺
P社の健康ウォーキングに参加させてもらいました。
朝9時信貴山口集合で、9;30発のケーブルで高安山駅へ


信貴山生駒スカイラインは自動車専用道ですから、歩きは山道です。
高安山駅より少し歩いて気象レーダー横を通り、スカイラインを横切り、
30分あまりで信貴山城址に着いたのが10時半過ぎ。
けっこうな山道で息が上がりました。
信貴山は大和国と河内国を結ぶ要衝の地です。
天智天皇時代に山城が築かれた記録に始まり(高安山のほうだった)、
信貴山には戦国時代には松永秀久の支配により歴史の表舞台にも登場。
1577年( 天正5年)松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け50日間籠城の上、名器・平蜘蛛茶釜と共に爆死し落城、その後廃城となりました。

ここで朝護孫子寺境内図が配られ、11時半大トラ前集合まで自由散策でした。

伏見稲荷の千本鳥居のように空鉢堂(くうはつどう)まで鳥居が続きます。
信貴山観光協会の説明によれば、
空鉢護法(くうはつごほう) 約700mの山道に、500本といわれる朱塗りの鳥居の中を登ると、そこはあたかも天空の世界。
山頂からの眺望は最高です。近くには「信貴山城址」の碑も。
近づく台風のかげんで残念ながら少しけぶり見晴らしはイマイチだった。
山頂には空鉢護法堂(空鉢堂)と呼ばれるお堂がありました。


このお堂を中心にして、まわりに小さな鳥居と小さな祠がいっぱい。
神仏習合のなごりがここかしこに残っています。
ちょっと珍しい気にかかる不思議な聖域でした。


信貴山中興開山・命蓮(みょうれん)上人によって祠が造られ
毘沙門天王の分身で、巳の姿(竜神、難陀竜王)で出現される空鉢護法の神を祀っています。
難陀(なんだ)竜王は、今から千四百年前、毘沙門天王がこの地に出現した時に、劒鎧童子と共にお供をして現れました。
天王の福徳を授ける使者である八大竜神の中では最も優れた竜王で、信仰篤き者には一願成就必是のあらたかな神様、だそうです。
信貴山縁起絵巻(飛倉の巻)

空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、
驚き嘆く長者に慈悲の心を諭して福徳を授けたという出来事由来により空鉢

家に帰り暦を確認すると、今日は巳の日だった。
しかし空鉢様は巳の姿で出現されることはなかった。
空鉢で検索すると、空鉢仙人がヒット。
法道仙人(ほうどうせんにん)ともいわれ、インド出身だということになっている。
6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、日本へと渡ってきたとされる。
播磨国一帯の山岳などに開山・開基として名を遺す、数多くの勅願寺を含む所縁の寺がみられる。
鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢仙人とも呼ばれ、不思議な術を使う超能力の持ち主であった。
いろいろな寺の縁起などによると、推古天皇のころに日本へ渡ってきたとされるが、本当の事跡や没年、墓所などすべて不明。
彼が日本に渡るときに、共に渡ってきた「牛頭天王(ごずてんのう)」は、
姫路市の広峰神社に、その後、八坂神社中の座に祭られたとされている。
朝護孫子寺の本堂で牛王宝印を賜ってきました。

招福厄除 牛王宝印
牛王(ゴオウ、牛黄とも)とは牛玉とも言い、牛膽の中から得られるとされる最も貴い薬だと言われています。
元々は医薬であった牛王が仏教、特に密教と結びついて”牛黄加持”なる秘密法が生まれますが、それが後世において「牛王宝印」が生まれるに至ったものであると思われます。
牛王宝印とは、この牛黄を印色として護符の上に印するところから「宝印」と呼びます。
当山のものは「信貴山寺 宝印」と刷られ、その一字ずつに御本尊・毘沙門天王様を表す梵字”(ベイ、バイとも)”の御印形が押してあり、祈願主が身の守りとする護符となります。
信貴山では修正会の時に額にこの印を授けますが、この護符があれば家内安全・身体健全・無病息災・厄難消除等々、毘沙門天王様の庇護を得る事が出来ます。
どうぞ御家庭の玄関にお貼り下さい。
総本山 朝護孫子寺
空鉢さまは毘沙門天で巳の姿をしているのですネ。
ここ雑司が谷では、鬼子母神の娘吉祥天と結婚しています。(ちなみに鬼子母神の夫は大黒さま)
500本の鳥居が豪華です。
6キロの健康ウオーキング、歴史と触れ合いながらの1日で楽しそうでした。
私のブログにも書きましたが9月26日(水)には
修徳学院のあと、信貴山で昼食、食後参拝でした。
私は旅館で昼寝していました(笑)
私は寅年なので山門前の大虎は年賀状によく使います
同級生も参道に灯籠を寄進しています。
大虎は四天王寺から飛んで来たと言われていますね。
私も大きく飛躍出来るようにいつも祈っています。
小笹さんも飛躍されることを祈ります。
私たち一行はウォーキングで鳥居参道途中より上に上がり、帰るときの下りの長さに驚きました。
空鉢護法とか知らないと、とても上に上がる気力のわかないところでした。
山頂は掃除も手入れも行き届きとても気持ちのいい場所でした。
ご利益とかいろいろ感応される信者さんが確かにおられるのだと見受けられました。
ホンとは下の朝護孫子寺でお水をカンテラに入れて賜り、山頂でお供えして祈願するらしいです。
これも下に降りて初めて知りました。
朝護孫子寺参拝も行程に入ってなかったです。
当時は神社仏閣興味なかったので、このお寺も上の空鉢堂も知りませんでした。
P社のIさんのお誘いで、初めて信貴山の本来の姿を垣間見ることができました。
大虎が四天王寺から飛んで来たという伝承があるのですか。
記事最後のほうに記載した空鉢仙人が播磨の国に足跡たくさん残しておられますが、
播磨の法隆寺と呼ばれる鶴林寺の聖徳太子由来ですから、なんか播磨と四天王寺と信貴山と繋がってますね。
彼岸花がとてもきれいに咲いて、田んぼの淵をトリミング
したように、咲いていました。
球根に毒があるようですが、あの球根をすりおろして、
足の裏に張ると、癌に効果があるとかで、そうしておられた人が、今はお元気にしておられます、
でもお医者さんのお薬が効いたのか、彼岸花が効いたのか、定かではありませんが
、
去年、ちょうど新米の季節に笑路という朝市で美味しく豚汁いただきました。
彼岸花の球根で癌撲滅はスゴイわ。
毒を持って毒を制するという療法ですね。
ところで10日の会合6時からですけど、受付のお手伝い一緒にお願いできますか。
組織部会員と4役さんの会費を集めないといけないので、よろしくお願いいたします。
朝護孫子寺は2度ほど訪ねていますが、空鉢護法堂へは行ったこと有りません。
そんなお堂有ることすら知りません。
山頂ですか?
しんどいですか?
石段ですか?
どんなコースなのでしょう。
ケーブル駅でもらった地図を撮影してアップしておきました。
多少デフォルメされているでしょうが、空鉢堂までの鳥居の参道けっこう長いですね。
信貴山山頂にあるので、地図にある空鉢堂の絵あたりが信貴山城跡です。
高安山ケーブル駅から山道を通って、たぶん信貴山の山の北側斜面を通ってここへ到着しました。
すでに鳥居参道のかなり上のほうでした。
山頂でお参り済ませた後、鳥居を下ることになりましたが、想像以上にキツイ参道でした。
津和野にある太皷谷稲成神社みたいな感じで、つづら折りで階段あり~のコンクリートの坂道あり~のが続きます。
下る時これからお参りする4人の方とすれ違いましたが、まぁなんと奇特なと思ってました。
多宝塔からさらに下にある手水舎(水屋)で貼紙
「空鉢様(空鉢護法堂)に水を御供の方は、備え付けのポットに入れてこの水を空鉢護法堂までお持ちください」
家に帰り調べてみて、なんとこの水を山頂で供えてお祈りするんだと分かりました。
下っただけでもキツイと思いましたが、チャンスがあれば是非もう一度ちゃんとお参り行って見たいです。
都合で変更しますが。
今回は会場設営しなくていいし、配布資料は他の方にお任せして…
保護司会メンバーの会費集める係りと認識しています。