大枝地車隊の伊勢参りの旅で初日、関宿観光後に向かったのが
香良洲歴史資料館
三重県津市香良洲町6320
TEL 059-292-2118
観光三重のパンフレットには載ってません。
参加者ほとんどが初めて聞いた地名でした。
香良洲と書いてカラスとよみます。
入館料は無料ですが、館内撮影不可なので画像ないと拡散しにくいね。
戦前、ここには予科練教育を専門に行う三重海軍航空隊がありました。
貸切状態で見学しましたが、帰る間際にやっとお客さんひとり
戦争の惨禍を風化させないというコンセプトはわかるけど、もう一こ見落としてることあると思う。
2013年封切りだったか、ジブリのアニメ 風立ちぬ
映画館で見ましたが、記録残してなかったのか拙ブログ内検索で見つけられなかった。
このたびの香良洲歴史資料館で案内してくださった方に、ジブリのアニメでと話しかけたけど全くご存じなくて・・・
ゼロ戦の設計者堀越二郎氏が、東京の大学へ列車で向かう途中で関東大震災発生。
その後紆余曲折を経て、おそらく伊勢湾か三河湾の沿岸どこかで飛行機を作ってたと思います。
その終盤で地震映像あったような記憶が…
でももう一度再確認のため映画を見てないので、記憶か妄想かがよくわからない。
1944年12月7日に発生した東南海地震の震度状況は
従来のデータの誤りを正し集計値と整合のある市区町村データを新たに整備され震度分布図が作成されたものです(2015年)
詳しくは、
1944年東南海地震の広域震度分布の再評価と被害の特徴
もう一度地図確認すると
パンフレットにはちゃんと載ってます、当然。
でも、ネットの地図でも見つけにくい。
歴史館とクロマツの表示は私が書き入れました。
この香良洲の三角州には有名なクロマツがあるようです。
もちろん見に行ってません。
三角州地帯の香良洲町の海岸には香良洲公園があり、ここは県内一とされるクロマツ純林。
最大と思われるクロマツは幹周囲354cm、樹高17.5mの大きさ。ここは防風林、防砂林で、夏は海水浴の場。
明治40年の「三重県案内」でも「風光絶好にして明石にゆずらず伊勢湾風景第一の地」と紹介された。
戦時中は近くに「三重海軍航空隊」があった。
古い伝説もある。大同2年(807)東北に向かう途中の征夷大将軍・大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)は、戦勝を祈願して神宮に参拝するが、台風で一時香良洲浦に避難。
この時、地元の香良媛が舞楽でもてなした。将軍はかぶら矢を立てて再会を約束して出発したが、矢を立てたところが、野原だったので、香良洲町の前の旧村名の矢野村になったという。更に将軍が馬をつないだマツがあり、これを「駒繫(こまつなぎ)松」といって海岸にあった。
しかし、この古松は宝永4年(1707)の富士山の噴火にともなう地震津波で根が洗われ、寛延4年(1751)ころ枯死したという。その後、里人は復活すべく「大伴弟麻呂駒繫松」を指定している。
ここで、初めて大伴弟麻呂の伝承を知る。
歴史資料館のすぐ南には、香良洲神社もあったのね。
祭神・稚日女命だって、知らなかったから参拝してない、残念。
香良洲という地名由来の一つに、
伊勢市倭町の常明寺境内で加利屋須岐を祀ること、または香良洲神社境内の小香良洲社で可良須女命を祀る、ということ。
他の地名由来には
海を航行する船が岩石を避け、順風を願ってこの地を渡ったことから辛洲(からす)となった。
鳥類のカラスの住まう地であることにちなむとか、
イネを刈り取って枯らす(乾かす)ことからとか。
何はともあれ、伊勢湾に流れ込む雲出川の砂洲で海抜も低いのは当然で、そうなると地震の津波では大被害でてたことでしょう。
みえ防災・減災アーカイブには
昭和 19 年 12 月 7 日午後1時 35 分頃、熊野灘を震源 として発生した昭和東南海地震は、三重県に甚大な被害 をもたらしました。
と記録残されてます。
昭和東南海地震体験談をみると、香良洲地区での被害も甚大であったに違いなく、しかし戦争中で海軍の予科練、三重海軍航空隊があったとこ。
正確に報道するわけにもいかず隠された大地震となったのでしょう。
しかし、今ならちゃんと伝えることができるし備えないと。
そのためには、こうした歴史資料館の役割もおのずと見直さなければならないと思いました。
香良媛は舞姫なんですね。
今カラって音を聞くと唐とか加羅とかではなく ナを先頭に付けてナガラ?ではないか?と色々なカラを見始めています。加羅というと渡来っぽいんですけど、もっと前にすでに日本のいた民族でナ+香良なんてどうですか?なのでカラスとなるよりなナ香良洲。カラも柄も気になっていてどこか日本っぽいですよね。長柄とか名柄とか永良とかも。
津という場所もどうも親戚が関係しそうなんですよ。
津には行ってみたいですし、あの辺り船で移動のが楽だったんじゃないかとも思っております。
りひとさんけんかい、的を得てるかも。
伊勢湾の鳥羽から志摩へと南下すると、英虞湾までに
的矢牡蠣で有名な的矢湾があります。
この湾にハート型の風待ちの島、わたかの島で宿泊したことあります。
伊勢は風強いとこで、枕詞は神風の、これを確かめるためにググってると、伊勢の白い風を発見。
神宮参拝時に垣内との仕切りの白い御帷が風でフワリと上がることですって。
2014年は内からの風で持ち上がりましたが、今年は外側の参拝者側からの風、どう違うのでしょうね。
津ですから牛にも聖天にもなってそうだし、伊勢津彦っていなかったっけ?
女性よりも男性的場所っぽく感じます。だから姫が舞うんでしょう。大伴関係者か、紀氏辺りも気になりますね。気になって事が2点あったんですけど、そう結城神社ありそう。結城氏絡めば家康からの薬師もあるでしょう。木で船停めてくとか?そう馬でしたもんね。
あと、そうそい雲出川って遺跡あるはず?出雲の逆ですね。相当怪しい。あと元伊勢でもないのかな?伊勢神宮寄りこの辺りのが気になります。
とにかく木、黒松も駒留も木ですね。おそらく紀氏絡み。タジイさんもいそうですよね。
伊勢って本当は女神じゃないんじゃないかな?伊勢津彦ってそう風宮にいるのかな?あれはシナズ彦?
イセツ彦ってシナじゃなくナカ津彦?なんか面白くなりますよ。中原氏と度会は関係するかな?私は荒木田さんのがすきだけど。最近こっち軽ばかり。
暴れん坊じゃない男の方弟麻呂ですかね?ありかも?
調べてみます。
794ウグイス平安京から804エミシ平定までの征夷大将軍のマンガ、あの時代のことよくわかりました。
https://bushoojapan.com/comic/nihonshimanga/2017/09/24/104033
ちなみに征夷大将軍の一覧は
709年 陸奥鎮東将軍 巨勢麻呂
720年 征夷将軍 多治比縣守
784年 征東将軍 大伴家持
788年 征東大将軍 紀古佐美
790年 征東大使 大伴弟麻呂
794年 征夷大将軍 大伴弟麻呂
796年 鎮守将軍 坂上田村麻呂
797年 征夷大将軍 坂上田村麻呂
歴代の征夷大将軍ってなんか同じ色の一族ですね。赤っぽい。でおまけに征夷大将軍とはいってもむしろ地方にすでにネットワークを持っていて逆に自分の土地と人民を捧げてそうに思うんですよね。
また歴史の中では割とマイナーだけど、各地の古代で一時必ず出てくるような一族たちですね。
この前も気になりますので春休みで落ち着いた所で調べたい課題になりました。
問題はそこにそういう民族の人たちを踏みつけて、存在してなかったようにしているのではないかな?と。大抵青の道真とか源氏っとかに見えるんですけど、その下にいるんですよね。龍って概念もまさにそう。龍が見える人にもちょい聞いてみたいんですよね。青い龍は、ちょい違うんですよ。赤に関係あるなら白かなあ?
赤も白も護れる青なら水神としては海の関係かな?いや風なにかも?赤の母と白の父と息子の青かな?厳密には親子関係はないかもしれませんけどね。
こちらの方々はおそらく木とお水の関係者だとは思いますね。井戸とか魔除けとか極彩色とかも含めて建築とか地形とかもある程度の知識もあり動いていた方々だと思います。
根本同じ水神さんからの派生なんで人間とか概念の
先入観の問題だけなんですけどね。
石を削るのも地形を作るのもお水。そしてこれほど強いパワーはないんです。でその水神さんからのサラブレッドが風の神。波動とかでいけばお水の波動は津波にもなるし、地震にでもなります。
それと面白い事に、この関係者の古墳って出ててもスルーされていましたけどその凄さや技術で間違いなく今の考古学では見過ごす事は出来ないはずです、いっぱい注目されて急上昇していますよね。
巨勢に関しては凄い古墳群ありますし、多治井さんは道真さんの知識のベースですし、紀氏は徳川さんもおそらく注目していたでしょうし、大伴さんも大友とちょい違う大伴と混ざって見えにくいんですけど確実に水面下にいらっしゃいます。田村麻呂の坂本さんも東北では祭神になれるほど土地と密着していますね、ただ大抵叩かれるように仕向けられての征夷大将軍にも思いますね。忖度しちゃいけなかったけど、今後悔していると面白くなりますね。
遡ると雀の付くような一族もいたように思いますね。結局その役目は本来は民族間の提携を仕切れる民族だったお役目がいつに間にか自分の勢力の力を誇示して忖度させてしまってきたのが記入の辺りの時代のように思います。でその先はおそらく勘違いしてしまってる民族が暴力や非人道的な行為でなにも言わせない形になったと思います。
とすれば見極めが明確です。土地を明け渡した民族がその人をちゃんと小さな形でも祀っているか?そこだけではっきり見えると思います。神社等も豪華のする理由が結局は慕われ度のはずなので。
イチローは監督は自分は出来ない、人望がないって言ってましたけどそういう人ほど神輿には担ぎ上げたいと思う方々いるのが日本なんですよね。
源氏とか武士の忠誠心もそもそもそこからだったはず。この監督だから頑張りたいって下が勝手に思ってくれていれば監督なんてなにもしなくてもチームはいい状態になります。そこに信念と努力と命への思いやりがブレなければ出来るんじゃないかな?
葛西氏と鈴木氏の関係もちょっと深読みしますね。
新しいリーダーの形作って欲しいですね。
新しいというよりは古代からの形に戻って欲しいですね。少なくてもミスで殺されたり、精神的に威圧して過労死寸前まで気付かないそんな方じゃあ、企業も生産性が上がらない。まずはその組織の一番底辺に優しくて向上する為の愛情の鞭を持ち合わせているか?
それで見えてくると思います。
ドイツも昔は営業時間が明確で不便って思いまいsたけどあれも大事。世の流れで変化してるかもしれませんけど、日本はどんどん従業員苦しめる生活がまとも出来ないような働き方に変化してしまってましたね。宅配の時間の緩和、コンビニの夜の営業時間の変更もいい流れだと思いますね。声を出さないと理解して貰えないけど、声を出したら結構みんな協力したくらいうずうずしているんだとも思います。
今後傷めつけられてきた民族がまず見えてきて声あげてくれるとスムーズですよね。そういう一族ほど神からのギフトも多いのでもちろん立ち振る舞いや行動の軌跡が注目されてまたトップにもなれるんですよね。
不思議なアシストもあるんでしょうね。
以前にも記事にしたことありますが、天井の天文図ですね。
「@中国天文学では、天球を天の赤道帯に沿って東方・北方・西方・南方の四大区画に分け、それぞれに四神(四象)を対応付けた。これらを東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀と呼ぶ。」
その四神区分に十二支が描かれてるようですが、十二支といえばイランにもほぼ同じ十二支があると知りました。
春分の日がイラン、ペルシャの新年になることを確認してて見つけました。
なんと辰がクジラなんですって。
ここだけ違うというのも面白いですね。
辰がクジラ(鯨・久次良・櫛羅・久白・久慈ら・孔子ら?久地ら)と変換では出ますね。孔子の孔ってクって読むんですかね?穴太とか穴穂部とか似たように関東の戸籍では読むようですけどちょっと面白くなりそうです。
海の恵のくじら。向こうでは食べるんですかね?
研究してみます。海が真っ赤になるモリで指す猟法、あれに関係出てくるかな?穴とか串とかなんか怖そうだけど生きる為の糧を得る為の行いなら心開いてみようかな?でも戦いに利用されたらかなり怖い方々かも。
男性の世界海賊関係になってくるのかな?水先案内人とは気質は違うでしょうね。
去年二月堂のお水取りを一緒に見学した友人が、春になったら葛城行きたいと誘われてました。
葛城は何度も行ってるので道詳しいから案内できるわ、ということで二年ぶりに大神神社参拝してから葛城へ向かう予定立ててます。
櫛羅という地名あたりに笛吹神社がありまして、ここはまだ参拝したことないのです。
笛吹は、かつてフルート習ってた頃から興味持ってましたが、マニアックなので一言主神社のついでに寄ってとは今まで言えなかったのでした。
今回はいよいよ行けそうなので調べてましたが、葛木坐火雷神社と二座になってるんですよね。
櫛羅という地名といい、興味津々です。