秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

不思議の4文字 サムハラ

2016-01-03 | 日々是好日




昨年末に調べものしてて行き当たりました。

今まで全く知らなかった、サムハラ。
加藤清正もこの四文字を刀に彫りつけて征韓に出陣、万死に一生を得たそうです。

仏教以外の、道教・儒教・神道などの経典名・神名・護符・呪符等に限って用いられる神字らしいです→こちら


交通安全のお札でもと思ってたら、
ジャストサイズの指輪も出逢えたので賜りました。
指に合うサイズは滅多にないらしいのに
v(^_^v)♪





大阪市西区立売堀に鎮座なら近いやん、
無事忌明けも終わってるし、今日もめっちゃいいお天気だし。
11:34地下鉄守口、谷町線から谷町4丁目で中央線に乗り換え、阿波座下車徒歩約10分足らず。

















いかほどのパワーかわかりませんが、
帰路は堺筋本町まで歩いて堺筋線、天神橋6丁目で地下鉄乗り換え。
とてもスムーズに約2時間、歩数4000ほどの快適な参拝でした。
指輪装着感もいい感じ。

17 コメント

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吉田一氣 (ulala様への返信)
2016-01-03 16:42:54
サムハラは江戸時代の古銭にもあるし
弾除けのお守りでも有名ですね。
指輪のちょうどいいサイズがあって良かったですね。
裏文字は手作業で押印されているようで
いつも標準サイズは売り切れで無いと
うかがっています。
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吉田一氣さんへ (ulala)
2016-01-03 20:19:00
やはりご存知でしたか。
加藤清正に刀とくれば吉田さん、かつて吉田さんのブログで読んだかも、とブログ内検索しましたが発見できず。
サムハラがこんなに有名で同じ大阪の近くの神社だというのに、意識に入ってくる時期というのがあるもんなんですね。
指輪は薬指ではなくて左中指に合うサイズにしたので在庫あったのだと思います。
ご縁があり引き寄せられたんだと賜ることにしました。
帰りは久しぶりに、本町にあるいかすり神社へ寄りました。
かつてこの坐摩神社で三光紋に興味持って、一氣さんのブログにたどり着いたのでした。
ブログに記事投稿してすぐにコメントお寄せいただき、繋がってるなぁと感じました。
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いくたまさんとざまさん (ulala)
2016-01-03 21:40:11
吉田さんの懐かしの初コメは以下ページで
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/3d17a238505428c754988b98f926fbf4

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びっくりの御指導 (吉田一氣)
2016-01-04 00:48:59
私のブログで大山咋神について
教えてほしいとのコメントがあって
今ちょうど調べていたところなのですが
『大年神と天知迦流美豆比売の間の子』
ということをメモに書いたあとに
ちょっと一服でこの小笹さんのコメント部分を
拝見しました。
懐かしの初コメというのでクリックしてみると
私自らのコメントが
『疋野神社の祭神ですが...
大年神と天知迦流美豆比賣の間ともいわれています。』
と同じ文言を言っていてとてもビックリしました。
あー そうなんです。
丸5年へだてているのですが
神大市比売=大歳御祖神と須佐之男命との間の子供の
大年神と宇迦之御魂神についても
大年神と天知迦流美豆比売の間の子供の
波比岐神についても大山咋神についても
探求がそのままになったままでした。
導きの通り、今年は初心に戻って基礎的なところを
掘り下げて探求したいと思います。
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サムハラ元社について (吉田一氣)
2016-01-04 01:12:43
もしかしたら御存かもしれませんが
参考までに
サムハラの御札はいくつかの場所がありますが
サムハラ元社については以下のところです。
http://gokigenproject.sakura.ne.jp/gokigenproject/Blog14/entori/2014/9/24_monogotono_shimari.html

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耳袋 巻の二 (追記です)
2016-01-04 01:19:32
耳袋の話です。1782年のこと
http://homepage2.nifty.com/pfruit/mimi/02/02018.htm
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謹賀新年 (aoi)
2016-01-04 10:25:31
今年もブログ楽しみにしています。

宇宙根源神様登場ですね、すごい神社ですね。
サムハラ神社
合気道の植草盛平氏がお参りしていた神社と聞いたことがあります。
弟子でディズニーランドの地鎮をされた佐々木将人氏も神参りには必ずついて行かれたそうです。
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誤記です (aoi)
2016-01-04 10:32:56
すみません
×植草盛平氏→〇植芝盛平氏
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吉田一氣さんへ (ulala)
2016-01-04 14:31:10
サムハラの岡山の奥の院のご紹介ありがとうございます。
このサイトは知りませんでした。
津山市加茂町中原899「金比羅神社」境内にあると記されていますね。
この奥の院は、戦後再建されてのち現在地に遷座したそうで、元はどこかな?

あの八つ墓村の事件は、
岡山県苫田郡西加茂村大字行重字貝尾(現在津山市加茂町行重)
ともに津山市加茂ですけど。
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aoiさんへ (ulala)
2016-01-04 14:38:27
年始早々のご訪問ありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。

さてこのサムハラ、去年12月はじめに調べてて行き当たりました。
そのときは保江邦夫さんという量子力学の教授に興味もってました。
aoi さんが書いてくださったように合気道の創始者植芝盛平氏に感銘受けて、保江邦夫さんも新流派で現役ですって。
その達人の技がすごくって、少林寺拳法の道志にユーチューブURL送信しました。
保江教授がこのサムハラを信仰されてるんですよね~
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恭賀新年 (雷音寺)
2016-01-06 23:45:40
明けましておめでとうございます。

ご無沙汰していますがいつぞやコメントさせて頂き失礼しておりました。

サムハラ神社には10年位前に参拝しました。

神気の清い神社という印象があります。

危難除けの御守りは有名ですが、サムハラの他に「サンバ、サンバ」「シャクコウ、シャクコウ」「キンカツ、キンシン」などの読み方もあります。

指輪の御守りは近年女性達の間にブームが続いているようです。

植芝盛平師や岡山の奥の院の情報は既出なので割愛致しますが、植芝師の合気道は本来は「天之叢雲九鬼武産合気道」といい、武産の文字をサムハラと読ませています。

武の根源の神様である天之村雲九鬼サムハラ竜王から大猿田毘古神を通して神伝の武道であるということです。

またコメントさせて頂くかわかりませんが、幸多き年でありますようお祈り致します。
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雷音寺さんへ (ulala)
2016-01-07 12:56:34
ご訪問、そして新年のご挨拶ありがとうございます。
以前、雷音寺さんというHNでコメント残してくださったとのこと、忘却のかなたで申し訳ないです。
おそらく前回同様、このたびも詳しいご説明ありがとうございます。
サムハラってサンスクリット語でシャンバラだと聞いてます。
「サンバ、サンバ」「シャクコウ、シャクコウ」「キンカツ、キンシン」などの読み方は全く存じませんでした。

またいろいろご教示賜るとうれしいです。
ネット検索だけでは知りえないこといっぱいありますものね。
よろしくお願いいたします。
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サムハラの歴史 (吉田一氣)
2017-04-27 02:01:37
サムハラの原点というべき歴史は
http://www.e-tsuyama.com/report/2015/09/post-974.html
に書かれている通りだと思います。
奥の院は戦後再建されてのち現在地に遷座ということですが
それほど距離が離れている訳ではなさそうです。
岡山県津山市加茂町百々の範囲内ということでしょう。
サンスクリットのsaṃvara三跋羅=戒律が
三祓神ということで
「天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神」の三神となったようです。
ご指摘の『津山事件』の件ですが
旧帝国陸軍が神社を焼き払ってしまい
その祟りで引き起こされた事件という説に関しては、
1938年(昭和13年)頃という事で
確かに警視庁特高部の発表によれば
1937年(昭和12年)の日華事変勃発は、
再び淫祀邪教が蔓延しているとなっています。
ただ旧帝国陸軍が神社を焼き払ったから祟った
という事に関しての因果は???と思えます。
淫祀邪教の定義からは外れているように感じられます。
私のブログでは自分の祭祀との縁がないので
今までは記載していませんでした。
加藤清正との関係はたぶん伝承の範囲をでないと思われます。
調査では今のところ江戸時代以前の確かな情報を得られていません。
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訂正追記 (吉田一気)
2017-04-27 11:21:06
コメントを記載したので早速霊験があったのか
サムハラ守りについて新情報を得ました。
福岡県糸島市の 雷山千如寺大悲王院のサムハラ守りは
天竺霊鷲山から渡来した伝説上の人物である清賀上人由来とのこと。
真実かどうかは分かりませんでしたが
勉強不足でした。
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吉田一氣さんへ (ulala)
2017-04-27 21:23:28
サムハラの未知の情報提供いろいろありがとうございます。
清賀上人は天竺霊鷲山から来られたとのこと、今興味持ってる法道仙人もマガタ国霊鷲山から飛来したと書かれてあります。
播磨と福岡は少し離れてますが、岡山のサムハラ奥宮なら近いですね。
同じような時代にインドから渡来されたのでしょうか。
三蔵法師もインド行かれたのは7世紀だし、あの時代の南洋の白檀香木が正倉院に保存されてますね。
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田中富三さん (りひと)
2017-04-28 11:25:33
昔はサムハラについてのみしか見れてなかったようですけど今回ランキングで上がってきていて覗いてみたらあの銅像のお名前に釘ずけでした。
田も中も富も三も全部超大好きで追っている神に繋がりそうです。出身地の岡山大事そうですね。
多分アシの一族が関わっていると思います。そして関東東北近江大阪泉奈良の明日香辺りもかなあ。逃げてきたのかもしれませんね。

法道さんと同じ地名が出てくるならありかとも思います。4412
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りひとさんへ (ulala)
2017-04-28 15:25:42
最初この記事書いたときには、田中富三さんのことは彫像の画像貼り付けただけで触れませんでしたしね。
今日新たに検索してて、サムハラ神社奥の宮の旧お社にこの春参拝された記録を見つけました。
そこからさらに上り、パワースポットと言われている山頂公園には若一神社があるんですって。
http://www.kamichika.site/entry/samuhara6

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