秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

とうとうと流れる淀川、その2

2021-01-23 | 古代史のミステリー
旭区の大宮神社は、かつて南島という地名だったそう。
島というからには中州だったのでしょう。
このブログでは何度も、昔の淀川の地図載せたのを探してみた。

2018/3/8市役所で展示されてた古地図を撮影しました。
2018-5-3に記録残してます。

スーパー「ダイエー」の発祥第一号店が千林商店街にありました。
その千林あたりを拡大したのが下の図⤵


赤い四角で囲った村名の、左端から3番目に南嶋村
1185年壇之浦合戦に向かう源義経がこの地に宿泊し霊夢を見た。
平家を討伐したのち、後鳥羽上皇に 奏上して神社建立をお願いして許されたのが大宮八幡宮。

南嶋の左に江野村、おそらく江野天満社があって、明治の合祀で南嶋の大宮八幡に、江野の鳥居と灯篭が移設された。



この地図は、明治18年陸軍による測量図だった。

明治中頃から遡ること700年前が義経伝承。
さらにもっと昔の仁徳天皇のころ南嶋村は中州か島だった。

仁徳天皇は、淀川の氾濫を鎮めるため人柱を建てた話が記されています。

過去ログに記してます。
茨田堤(まむたのつつみ)は、仁徳天皇が淀川沿いに築かせたとされる堤防です。
5世紀頃、淀川の洪水を 防ぐため渡来人などの技術を用いて築かれました。 
・・・
築造の際、困難な箇所が2ヶ所あり、人柱を立てた地が2箇所あることを知りました。
「強頸の絶間」は大阪市旭区千林町、
「衫子の絶間」は寝屋川市太間町だといわれています。


強頸の絶間は大阪市旭区千林町、民家の屋敷内に遺跡あるらしい。
大宮神社に近い地下鉄の駅「千林大宮駅」と京阪「千林駅」
アーケードの商店街で繫がっていて、人混み除けて歩いて5~10分でしょうか。


この記事で載せた以下の地図、茨田の堀川の川の字あたりでしょうか。



大宮神社を調べていて参考にさせてもらった神奈備 サイトによれば

『摂津国風土記』に比売許曽の神が比売島に来たとある。西淀川区姫島に鎮座する姫島神社を比売許曽神社とする説があるが、ここは近世まで海中であった。 摂津国風土記にいう難波の日女島(比売島、姫島)は旭区森小路付近と考えるのが妥当ここに鎮座するのが当社である。当地は旧名を南島と云われ、島であり人々も住み耕作もされ、北側には淀川から流れこむ瀬で船泊りもできたようだ。


ここで記録したことは、

仁徳天皇の時代に淀川の整備で茨田の堤を築いたと記され、その伝承地は大阪市鶴見区や旭区、あるいは門真市など守口市近辺です。
あの時代までの大阪湾は現代の大阪平野まで入りこみ、上町台地の東側は河内の海でした。
西淀川区のあたりはまだ海の中だったと思います。


コメント欄でも
茨田の堤(日女島)のヒメ島はきっと現代の稗島(ひえじま)だと思います
二島、三島など湿地帯に堤を築いて島みたいに中州・輪州ができてたのでしょう。
 

長年、「あかるひめ」「ひめこそ」を追っかけしてきて、
この大宮神社で繫がったようでうれしい。

往古からの聖地であったかも知れない。
と、私もそう思います。

心に留め置いてると、つぎつぎ情報がもたらされるのを楽しみに。



2 コメント

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Unknown (木方)
2021-01-24 22:22:25
知りたいとか理解したいって思っていると結構情報は入ってくるもんですよね。普通はそれを意識していないので入ってきても気付かない事が多い可能性ありますよ。言霊じゃないけど言うと口や耳だけでもなくなんか波動でもあるのなら納得出来るんですけど、どうせならそう思ってみた方が結果いい方に進むようにも思います。日々目の前の事が気になるのですけど、気になってたり意識していると出てくるから楽しいですよね。

あかるひめ、ヒメコソさんは私はどちらかと言うと対なのか相棒の方の探求から気になっております。なので治水関係にどうしても引っ張られるし人柱も。仁徳さんが出がちなのですが、まだまだゆっくりと研究しますのであまり急激に進み過ぎると滞る事が多いのでと伝えておきますね、神様がいるならば。ただ行基さんがやたらと出てくるんでそっちの方で探求してみますよ。探求の向かっている方向が似ているのでとても参考になります。

今回のエリアは森が付く所が点在しているのでかなり大きな区画で考えてみるつもりです。森もお水がないと発達出来ないでしょうし。島もかなり好きなので今の地形では想像出来ないけど、ちゃんと理解するために昔の方が残した物でイメージを膨らませて今大事な情報を活かせるようになるといいですね。
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木方さんへ (ulala)
2021-01-26 11:24:05
意識してると引っ掛かる、無意識だとスルー。
でも目の端に入り記憶に刻まれてるときもありますよね。
縁があればまた蘇るということにしておきましょか。
すべての情報をくまなく拾うことは無理ですものね。

人がこの世を去って遺すものは、デジタル遺産を含めこの半世紀でずいぶん増えてます。
昔は通帳と印鑑と権利書ぐらいには気を使ってればよかったのかも。
昨今はカード決済も増えてるし、遺されたものはワケワカラン・・・

発掘品と歴史書による考古学資料も含め、いろいろ考えさせられます。
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