地域コミュニティの史跡巡りの日でした。
朝7時の日の出は曇り
寒そうな一日の始まり。
雨降ってないだけマシ。
今日歩いたのは文禄堤を中心に京街道の一部です。
豊臣秀吉が、京の伏見城と大坂城を結ぶ京街道を整備。
淀川左岸の文禄堤27kmのうち一部700mが守口に残っています。
大坂夏の陣の後1616(元和2)年
徳川家康は東海道57次を制定。
200年も経って後1832年、安藤広重が描いた東海道53次。
が有名です。
しかし幕府が管理した東海道は、
京の三条の続きがありました。
54次伏見宿、55次淀宿、56次枚方宿、57次守口宿で大坂へ。
幕府は街道と宿場を天領として抑え、物資と情報を掌握、全国支配体制を強化していきました。
守口の本陣辺りは馬が繋げるよう街道幅が広くなってたそう。
その角に、難宗寺が建ってます。
浄土真宗中興の蓮如さん1477年建立の守口御坊です。
江戸幕府終焉の頃、首都を大坂へという案もあって風雲急を告げる。
1868年(慶応4)3月22日午後8時
明治天皇御一行が難宗寺を御行在所に。
三種の神器はすぐ近くの盛泉寺が賢所に。
幻の大坂遷都で守口が一日帝都になった記念日です。
難宗寺さんで保存されている明治天皇の玉座みせてもらえました。
つづく
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