難宗寺さんの明治天皇玉座の続きです。
慶応4(1868)年1月3日
鳥羽伏見の戦で敗れた旧幕府軍は大坂城に敗走。
それを追う形で3月20日大阪御親征軍が京都を出発。
石清水八幡で一泊し22日夜9時頃難宗寺に到着された天皇御一行。
この御親征には大阪遷都の計画があり、三種の神器も奉安され文武百官も伴った。
この時、守口は一夜の帝都となった。
翌23日、大阪の西本願寺津村別院(北御堂)に入られた。
明治天皇から拝領した猩々緋菊紋船印を拝謁。
想像上の霊獣が名の由来
「猩々(しょうじょう)」とは、
中国に伝わる想像上の霊獣で、サルに似た体つきで紅色の体毛に覆われた動物。
その血はとても赤いとされ、猩々緋の色名は、そこから誕生した。
室町時代後期からの南蛮貿易により日本にもたらされた毛織物のうち、
この目を見張るような赤色の織物は、とくに羊毛でできた羅紗(らしゃ)に多かった。
戦国時代、多くの武士達は羅紗を陣羽織に仕立て戦場で愛用した。霊獣の力をも味方につけたかった。
右に立派な船印、
左に大正天皇御用、木製の湯殿
ちっちゃ😩
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