全国にある稲荷神社の総本山とされる伏見稲荷大社。
住まいと同じ京阪沿線ですぐ行けるのに、初めてお参りに行ってきました。
年間約1000万人が訪れ、初詣には3ヶ日で約250万人が参詣、
これは関西で最多で全国でも五指に入るそうだ。
1589年(天正17)に豊臣秀吉が母・大政所の病気平癒を祈って造営した楼門
楼門内には右大臣と左大臣の像が安置されています。
両側には阿吽の2対になった狛犬ならぬお狐様が。
楼門前の一対の狐の像は、宝珠と鍵を銜えていて、
それぞれ御祭神の御霊と米倉の鍵とされるそうです。
これは今調べていて知ったことなので画像ありません。
本殿は、応仁の乱で消失した後、1499年に再建された「稲荷造り」重要文化財です。
しめ縄ではなくて稲穂がのれんのようにぶら下がってます。
有名な千本鳥居
左側一方通行で、どちらも同じ奥社奉拝所につながってます。
千本鳥居の終点にあるのが奥社奉拝所。
おもかる石
願い事を念じて、灯籠の頭の上の丸い石を持ち上げます。
私が持ったらものすごく重たかった。。。
予想より軽かれば願いが叶い、重ければ叶わないと言われています。
「杉」は、伏見稲荷大社のご神木。
木の昌んに生い繁ることから「椙」とも書き「富の木」と称えられています。
『しるしの杉』を一体授かってきました。
平安時代中期以降、熊野詣が盛んとなり、
その往き帰りには、必ず稲荷社に参詣するのが習わしとなっていた。
その際には、稲荷社の杉の小枝『しるしの杉』をいただいて、
身体のどこかにつけることが一般化していったそうです。
今年2011年が鎮座1300年にあたります。
711年(和銅4)2月7日初午の日に、
秦氏の伊呂具(いろく)が、餅を的にして矢で射た。
*「そんな遊びができるほどうちには米が沢山余っているぞ」という金持ち自慢
餅が突然白鳥に姿を変えて飛び去った。
白鳥は山城国紀伊郡の稲荷山三ヶ峰に舞い降り、その峰には稲がたわわに実った。
この奇跡を見た伊呂具が「伊奈利」の名をもって3つの峰に3柱の神を祀った。
これが伏見稲荷大社の起源という。
その後この地に豪族として秦氏が君臨することになります。
963年(応和3年)には、都の巽(東南)を鎮護する神社と定められました。
稲荷山という標高233mの山全体が神域となっています。
山自体が神の宿る場所「神奈備」
稲荷神そのものが狐ではありません。
「稲荷」とは、稲を荷うという意味で、稲成りや稲生りともいわれます。
五穀や食物を司る農耕の神様です。
農民にとっての五穀豊穣は、商人にとっての商売繁盛
いつしかお金持ちの家などに祭られるようになりました。
江戸時代には「全国どこにでもある」と言われるくらいの広がりを見せます。
狐が稲荷の使いとされるようになったのは、
稲荷神の別名である「御食津神(みつけがみ)」の当て字に「三狐神」と書かれた事や、
古代にあった「春に山の神が里に降りてきて田の神となり、秋に収穫が終ると山に帰る」という信仰から、
山と里を行き来する狐の習性によって狐が「田の神様」とされた事が相まってともいわれています。
伏見稲荷大社の抱き稲の紋