秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

たこぼうずもなか

2011-01-07 | 日々是好日
世の中に最中(もなか)数々あれど、かなり上位ランクだと思う。
あんがぎっしり入って甘さも程よくかなり美味しい。

貝塚市の林宝泉堂の『たこぼうずもなか』
創業1906年の和菓子店で、たこぼうずもなかは販売から半世紀はたつヒット商品。
私が初めて食したのは1970年代です。
たぶんあれからまったく変わってないと思います。

ここ数年は、新春パーティにトシちゃんの手土産でいただくが、
あっという間に食べてしまって撮影忘れてしまう。
今年は食べる前に画像残しておいたので、ウンチクちょっと調べてみました。
 
 

この地方の蛸地蔵伝説をもとに作られたそうです。
南海本線蛸地蔵駅には、この伝説をステンドグラスにした窓が
 

14世紀半ば和田和泉守高家が城を築いた頃、岸和田の浜を大津波が襲った。
不思議と被害が無く、その代り蛸の背に乗った地蔵尊が海辺にお姿を現された。
しかし、乱世のため厚く信敬せず250余年の歳月が流れた。

天正12年3月、紀州根来や雑賀(さいが)の衆徒が織田信長を打つために大阪へ侵攻
途中にある泉州に攻め入り岸和田城にも迫って来た。
敗色濃厚となった時、無数の蛸とともに法師が現れ敵を打ち破り城はことなきを得た。

城主は加勢をしてくれた坊さんを探したが見つからなかった。
ところがその後、城主の夢枕に水の中でもがき苦しんでいる坊さんが出てくるようになった。
あちこちの池やら海やらをさらってみた所、お城の堀の泥の中から一体のお地蔵様が出てきた。
よく調べてみると、これは以前に津波から岸和田を救ってくれたお地蔵様。
乱世のおりにお城の堀に沈められたものだとわかった。

それ以降お城の中に大切に祀られることになり、文禄年間に天性寺に移された。

晴れてよし 曇りてもよし 富士の山

2011-01-06 | 日々是好日
ライブカメラの画像一覧よりもらってきました。
今日1月6日午後1時半ごろ撮影されたようです。

日々の出来事を綴るとき、いつもいつもハッピーなことばかりではありません。
一年365日、そうそう来る日も来る日も好い日であるはずがない。

このブログで記事をエントリーしてカテゴリーを選ぶとき、
とても好日やないねんけど、と思うときがよくあります。

まぁしゃあないなぁ~
そのとき悪いと思えたことも、いつどこで福と転じるかわからんし
そう思い直してカテゴリー「日々是好日」を選んでいます。

『日々是好日』とは、10世紀の中国、雲門文偃禅師の教えです。

日本で禅といえば、曹洞宗や、臨済宗。
当時中国には五家と呼ばれる五つの特色ある宗派があり
為仰宗、法眼宗、雲門宗は日本には伝えられませんでした。

その五家の一つである雲門宗の基になった雲門文偃禅師。
雲門禅師は弟子を指導するのに、簡潔な一字をもって仏法の真実を言い表わす事が多かった。
当時の人々は雲門宗の特色を『雲門の一字関』と呼ぶようになりました。

『ロッー(露)』とか『カァーッ(喝)』とか
どうしても言葉で表現する事の出来ない仏法の真理を、一字でもって提示しようとしたものです。

葬儀の引導の際には、導師が故人に対し問い掛けをし、
故人がそれに答えるという問答の形式になっているのだそうで、
故日ハム監督の「カァーツ!」ってここからきたのかな。


過去にひきづられることなく、
まだ来ぬ未来に思い煩わされることなく
ただ ただ 今あるがままを受け入れる。
晴れは晴れなりに、雨は雨なりに

晴れてよし、曇りてもよし、富士の山

…元の姿は、変わらざりけり



稲荷神って、狐じゃあなかった

2011-01-02 | 古代史のミステリー
全国にある稲荷神社の総本山とされる伏見稲荷大社。
住まいと同じ京阪沿線ですぐ行けるのに、初めてお参りに行ってきました。

年間約1000万人が訪れ、初詣には3ヶ日で約250万人が参詣、
これは関西で最多で全国でも五指に入るそうだ。

1589年(天正17)に豊臣秀吉が母・大政所の病気平癒を祈って造営した楼門


楼門内には右大臣と左大臣の像が安置されています。
両側には阿吽の2対になった狛犬ならぬお狐様が。
楼門前の一対の狐の像は、宝珠と鍵を銜えていて、
それぞれ御祭神の御霊と米倉の鍵とされるそうです。
これは今調べていて知ったことなので画像ありません。

 

本殿は、応仁の乱で消失した後、1499年に再建された「稲荷造り」重要文化財です。
しめ縄ではなくて稲穂がのれんのようにぶら下がってます。

有名な千本鳥居


 
左側一方通行で、どちらも同じ奥社奉拝所につながってます。
千本鳥居の終点にあるのが奥社奉拝所。

おもかる石

願い事を念じて、灯籠の頭の上の丸い石を持ち上げます。

私が持ったらものすごく重たかった。。。
予想より軽かれば願いが叶い、重ければ叶わないと言われています。

「杉」は、伏見稲荷大社のご神木。
木の昌んに生い繁ることから「椙」とも書き「富の木」と称えられています。
『しるしの杉』を一体授かってきました。

平安時代中期以降、熊野詣が盛んとなり、
その往き帰りには、必ず稲荷社に参詣するのが習わしとなっていた。
その際には、稲荷社の杉の小枝『しるしの杉』をいただいて、
身体のどこかにつけることが一般化していったそうです。

 

今年2011年が鎮座1300年にあたります。

711年(和銅4)2月7日初午の日に、
秦氏の伊呂具(いろく)が、餅を的にして矢で射た。
*「そんな遊びができるほどうちには米が沢山余っているぞ」という金持ち自慢
餅が突然白鳥に姿を変えて飛び去った。
白鳥は山城国紀伊郡の稲荷山三ヶ峰に舞い降り、その峰には稲がたわわに実った。
この奇跡を見た伊呂具が「伊奈利」の名をもって3つの峰に3柱の神を祀った。
これが伏見稲荷大社の起源という。

その後この地に豪族として秦氏が君臨することになります。
963年(応和3年)には、都の巽(東南)を鎮護する神社と定められました。


稲荷山という標高233mの山全体が神域となっています。
山自体が神の宿る場所「神奈備」
稲荷神そのものが狐ではありません。

「稲荷」とは、稲を荷うという意味で、稲成りや稲生りともいわれます。
五穀や食物を司る農耕の神様です。

 

農民にとっての五穀豊穣は、商人にとっての商売繁盛
いつしかお金持ちの家などに祭られるようになりました。
江戸時代には「全国どこにでもある」と言われるくらいの広がりを見せます。

狐が稲荷の使いとされるようになったのは、
稲荷神の別名である「御食津神(みつけがみ)」の当て字に「三狐神」と書かれた事や、
古代にあった「春に山の神が里に降りてきて田の神となり、秋に収穫が終ると山に帰る」という信仰から、
山と里を行き来する狐の習性によって狐が「田の神様」とされた事が相まってともいわれています。

伏見稲荷大社の抱き稲の紋
 

強いのは放射能で、弱いのは

2011-01-02 | 世情雑感
この世で一番強いのは放射能、
弱いのはウズラって
あなた そうおっしゃいましたよね~

なんかおかしくて大笑いした。
年末のM1グランプリで、スリムクラブが最初のネタでそういってました。
原子力、放射能に対比して、なんでウズラなんだろう
ずっと考えてた。

今日の昼下がり、アズキさんから電話があり初詣のお誘いうけました。
3時に駅ホームで待ち合わせして向かった先は
伏見稲荷大社です。

なぜかスズメの丸焼きが有名で、ウズラの丸焼きも並んでました。
 

 

ウズラをなぜ弱い象徴に選んだのか、やっぱりわからん。

本殿でお参りするのを並んで待ってたら、
飛行船があっという間に通り過ぎていった。

 

新春パーティ料理の工夫

2011-01-02 | スピードクッキング
今年もお正月恒例、妹んちの新春パーティ行ってきました。
年末から何度か試食を重ね、常に新しい料理にチャレンジし披露してくれます。

目を惹いた富山名物ますのすし風「スモークサーモンとアボガドの寿司」
ケーキの型に入れて作ったそうだ。
中央のアボガドは塩コショウのほかにわさびも混ぜたと聞きました。
トッピングのいくらが美味しかった。
酢飯にごまが混ざっていますが、お寿司につきものの甘酢生姜のみじん切り混ぜてもいけると思います。

 

今年は一人分づつカップに分けられたグリーンサラダカップ。
サラダを大鉢で出すと残ることが分かったので
アメリカンビュッフェスタイルにしたそうだ。

後ろに写っているのは「ゆで豚の北京ダック風」
サンドイッチ用食パンに、ゆで豚と白髪ネギとキュウリ千切りなど包んで、北京ダックの時の辛味噌で食すとまさに北京ダックなのでした。

 
エソラも多彩な料理とお正月ならではの顔ぶれに大喜びでした。


  
これらを準備してくれた妹と甥っ子
きれいなお姉さんの姪っ子は写ってません。