先の日曜日、母を見舞う前に墓参りしてから産土神さんにお参り行きました。
母の産土神は、堺市戎之町にある菅原神社。
菅原道真を祀っているからか天神さんとよばれてます。
車を路駐しての参拝だったので、境内全部まわりきれない。
それでたぶんココだと思われた少彦名神を祀る薬祖神社にご挨拶してきました。
私的には、天神さんは少彦名神だと思います。
2014-01-09
天神さん、天の神様、お天道様★8/28追記
もう一箇所の産土神は私の生まれ育った神様です。
狭山池から大和川へ流れる支流、西除川の川べりに余部神社がありました。
子供のころよくそこの境内で遊びました。
鳥居前がバス停だったこともあり、気軽に挨拶できる鎮守でした。
年を重ねて知ったことには、本社ではなくて遥拝所だったのでした。
元々はこの地に祀られてたのが、明治40年に菅生神社へ遷られ、大正6年に遥拝所が創出という看板画像を見つけました。
菅生神社を菅原と間違えて書かれてありますね。
しかし、何のご縁か母の産土神は菅原神社ですから、不思議です。
氏神、産土神、どう違うのか正確には知りませんでしたので、この機会にはっきりさせときましょう。
氏神とは、祖先神あるいは守護神
もともと古代社会において血縁的な関係にあった一族がお祀りした神さま(一族の祖先神あるいは守護神)
産土神、産土とは読んで字のごとく、生まれた土地という意味で、その土地を守護してくれる神さま
その土地をお守りくださる産土神が、その土地に生育する作物、植物、河川、その他の自然物をはじめ、その土地に住む人間の生活全般に密接に関わる働きをしておられます。
詳しくは→
産土神と氏神は異なる神
菅生神社は堺市美原区菅生にあります。
2008-10-08
それぞれの歴史
そのエントリー記事の最後に書きました。
「そこの由緒をみて驚きました。
それから毎晩ずっと調べてました。
やっとわかったこと、すっきりしたこと、また今度書きます。」
でも結局、今に至るまでまだ書いてないのです。
調べても調べてもよくわからなくて常に宿題、迷宮入り。
菅生神社本殿左側に余部(あまべ)神社があります。
去年2014年11月22日、神城断層が動きました。
白馬では大きな被害が出た地震でした。
今度、その神城の姫川源流へ行きます。
神城って、学生時代に夏合宿で長逗留してる地でした。
1年と4年のとき、2回も訪れてるのに、当時無知だったから。
冬には白馬栂池あたりスキーで何度も行ってますが、このときもアウトドア楽しんだだけ。
それにして、八岐大蛇伝説って、島根県の揖斐川じゃないの?
なんでひめ川なんでしょう??
それで、 姫川 スサノオ 等ワードを変えて検索してました。
そしたら、いつも拝見してる「神々が動いている」がヒット。
2009.02/03 [Tue]
黒姫大蛇伝説より
一部引用させてもらいます。
「立山連峰はまさに富む山。日本文化の「根っこ」の国。
そうした
根の国の底なる地震が、大蛇(龍)をとおして長野の黒姫山、および戸隠に共振をもたらしたことをぜひ憶えておいてほしい。ぜったいあとでまた出てくるから。学校の先生じゃないけど、ここはポイントです。
あと、ヒスイといえば勾玉。勾玉といえば御統(みすまる)。
まがたま大神の麻賀多神社。日本武尊が埋めた七つの玉・・・。
そして黒姫山のさらなるポイント・・・。
柏崎や糸魚川の地名がでたんで、もうカンづいてる方もいらしゃると思う。
そう、
フォッサマグナの両構造線、糸魚川~静岡、柏崎~千葉を、黒姫山がおさえてるカタチなのだ。
そしてそのふたつの黒姫山の要といえるのが、長野の黒姫山であり、戸隠の神。
いわば
戸隠の神は、フォッサマグナ(大地溝帯)の神なのである。
吉備武彦の行軍路は、まるでそれを知りつくしていたかのようだ。
フォッサマグナは、日本列島の地下を横切る巨大な溝。大地創成の太古に、どデカい龍体エネルギーがけずったか、横たわった痕にも見える(笑)。
ヒスイは、蛇紋岩の中に存在する。姫川のヒスイは、立山連峰の気が遠くなるほど巨大な造山運動でうまれた。何千年にもわたってヒスイを愛しつづけた祖先たち、大自然の活動に蛇や龍を感じた彼らが、彼らの感性で大地の構造と特性を理解していたとしても、僕にはぜんぜん不思議じゃない。」
今回のウォーキングツアーの2日目は戸隠社参拝ウォーク。
フィールド調査で空気と風を感じてきます。